第15話 15 死体
「この、こいつが……タケ、なのか? ……おい」
何度か唾を飲み下しながらの、機械的な棒読みだった。
そんな玲次の言葉を虚ろな気分で聞き流しながら、そういえばタケとやらの詳しい外見を霜山から教えてもらうのを忘れてたな、と晃は思い至る。
そのことを言おうとしたが、喉がカラカラに渇いてしまっていて、声を出そうとしても出せない。
玲次は、床に作られた薄黄色の水溜まりを避けながら男に近付き、その腫れぼったい顔の前でしゃがんだ。
そして、半開きのまま左右が別々の方向を向いた瞳に、至近距離からの光を揺らしながら当てる。
小刻みにライトを動かして反応があるかどうかを見ているのかと思ったが、単に持つ手が震えているだけのようだ。
ふと晃が自分の手を見ると、やはり指先が自分の意志とは無関係に動いていた。
「スッ――んんっ、んっ……し、死んでる、のか?」
ひっくり返りかけた声を咳払いで修正してから訊くと、玲次は素早く振り返ってゆっくりと
それは否定なのか肯定なのかどっちだ、と質問を重ねそうになる晃だったが、自分でも本当は分かっている。
目の前に転がっているのは、自分らと同年代であろう少年の――死体だ。
「にしても、マジかよ……何だよ、これ……こんなの」
吐き捨て気味に呟いて立ち上がった玲次は、うつ伏せで顔だけ上げた形で倒れている少年の、血で湿った頭髪から汚れて黒ずんだ裸足の足裏までをライトでゆっくり照らす。
頭部から流れ落ちた血液によって、顔は
両の瞳には幕がかかったような濁りがあり、強い光を正面から浴びても何の反応もない。
やはり、死んでいる。
髪で隠れているのか、傷口は見えない。
乾きかけているようだが、かなりの出血だ。
半開きの口の中も真っ赤で、前歯が全部なくなっている。
体格はかなりガッシリしている――体重は霜山と同じ程度だろうが、身長は十センチくらい高そうだし、慶太ほどではないが肩や首周りにはかなりの筋肉が乗っていて、手足も太くて締まっている。
そんな頑丈そうな
腹や背中には大きな
左肩は不自然に膨れ上がり、右膝はありえない方向に曲っている。
死因はわからないが、絶命までに想像を絶する苦痛を味わったのは間違いない。
「こりゃもう、アレだ……肝試しとか言ってる場合じゃねえな」
「まさか、殺人事件に遭遇するとか……マジかよ」
部屋を出た玲次と晃が、溜息を混ぜながら早口で言い交わしていると、優希の肩がビクンと跳ね上がる。
「え、あのっ、殺人って? その……そこで?」
「ああ。ココで死んでる、っていうか殺されてる」
落ち着きを取り戻した様子の玲次が、いつもより低い声で端的に答える。
しばらく俯いていた優希が顔を上げると、何とも場にそぐわない、ちゃらけた薄ら笑いを浮かべていた。
「あのさ、君たち。私を怖がらせようと……ウソ、ついてるんでしょ?」
「……ぶっちゃけ、さっきまではそういうノリもあったけど」
「やっぱり! どうせ死体ってのもウソなんでしょ? 他の誰かが病院にいるにしても、友達の仕込みとかでさぁ!」
キレ気味に叫ぶ優希は、白目が血走っていて危険な気配を発散していた。
各種感情がデタラメに混濁した声色が、晃のささくれ立った神経に塩を擦り込んでくる。
殺害されたと思しき死体、などという非日常な産物を目にした直後でもあり、つい感情的に怒鳴り返したくなるが、どうにか抑えて穏やかな調子で対応する。
「いや、優希さん――」
「私、怖いの苦手だって言ったでしょ! 言ったよね? 君らはこっちが怯えてるのを見て笑えるのかも知んないけど、私はぜんっぜん! 全然面白くないよ! 面白いわけないじゃない、こんなの!」
肩に伸ばした晃の手を払い、凄い剣幕で
優希がブンブンと腕をふったせいで、手にしていた懐中電灯がスッポ抜けて、壁に勢い良く叩き付けられる。
薄いプラスチックが砕ける音を響かせ、電灯は燃えないゴミとなって床に転がった。
散々に緊張を強いられてきたストレスが、このタイミングで大爆発したらしい。
「落ち着いて、落ち着いてよユキさん。これ以上なんかあると、もうシャレになんないから」
「うるさい! 初めっから、いっこも洒落になってないのよ!」
玲次が
泣きそうなのか笑いを堪えているのか、とにかく感情面が壊れかけた表情で優希は処置室に乗り込もうとするが、晃はその左手首を掴んで引き止める。
「ヤバいって、優希さん。あれ見たら、一生モノのトラウマになるって!」
「だからもう、そういうのいいから! ふざけるのもいい加減にして、って言ってるの! うおぉーい、そこに隠れてる誰君だか知らないけど、もうぜぇええええんぶ、バレてるんだよ? 一刻も早く出てこないと、お姉さんがすっごい勢いで、金玉を蹴りに行きまぁああああっす!」
精神状態がギリギリなのか、すっかりキャラが変わっている。
そして、処置室に突入しようとする優希を晃が抑えている内に、玲次がライトの下部についているサイレンのスイッチを入れた。
『ウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥーウゥゥウゥウゥゥー』
改めて聞いても、かなり耳障りな音量だ。
ピンチの時は鳴らしっ放し、という約束を思い出したのか、止まらないサイレンを聞いている内に優希も大人しくなり、その表情はブチキレ一色から不安を混入させた不機嫌へと塗り換わっている。
耳が痛くなったのか、玲次はライトを床に置いて数メートル離れた。
「聞こえてんのかな、これ」
「んあ?」
サイレンに邪魔され、晃は耳に手を当てて玲次に訊き返す。
「下まで聞こえっかな! このヴォリュームで!」
「どうだか! 五分待って来なかったら! こっちから行くか!」
怒鳴り合いの声量でないと、まともな意思疎通も出来ない。
これは中々に面倒臭い――どうしたものか晃が考えていると、背後からTシャツの裾を引っ張られた。
振り返ると、優希がスマホのメール入力画面をスッと突き出してきた。
『ここはハイテク筆談で』
なるほど、と感心しながら晃も携帯を取り出す。
メールの入力画面では予測変換が使えるので、結構スムーズに会話が成り立った。
『落ち着きましたか』
『ごめんね』
『冗談ぬきで一進でます』
『?』
『あ、人死んでます。慶ちゃんとかと合流して、もう警察行きましょう』
『うん』
スマホと共に、優希が疲れの滲んだ微笑を向けてくる。
誤魔化しが効かない重量の疲労感は、晃にもまた
気を抜けば、あの少年の
玲次にライトを向けてみれば、腕を組んで顔を
闇の奥にあるのは上下階に通じている階段だが、誰かが上がってくる様子も下りてくる様子もない。
もし十メートル先にいても、轟音のせいで分からないような気もするが。
『下には聞こえただろうし、サイレン止めないか』
そう入力してから、玲次の肩を叩きに近付こうとしていた最中、晃の視界の端で何かが動いた。
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