第9話 09 終わりと始まり

「うぁあああああああああああああああああっ!」

「フッキャァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

「ふぬぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 叫び声と共にダンボールの塔が二つ倒れ、それに驚いた佳織と優希がユニゾンで悲鳴を上げ、崩落に巻き込まれかけた玲次が奇声を放ちながら飛び退いた。

 慶太と晃は、事態を把握できずに絶句するばかりだ。


 直後、崩れたダンボールを踏み越えて、大きな塊が喚きながら晃に向かって突進してきた。

 相手の異様な勢いに固まりかけたものの、突進といっても動きは鈍い。

 突っ込んでくるのが人だと分かって我に返った晃は、身をかわしつつ咄嗟とっさに足払いをかけてみる。


「なぁあああああ――あんっ!」


 人影は情けない声を漏らしながら見事にスッ転び、ヘッドスライディングの要領でホールへと滑り出た。

 小走りに近付いた晃は、倒れている何者かの様子を観察する。

 長めの髪を後ろでまとめているが、服装からして若い男らしい。


「うわっ! ちょっとやだ、何なのこれ? 誰? 何?」

「はっ? ……えっ? へっ?」


 唐突な新キャラのお呼びじゃないタイミングでの登場に、佳織と優希は完全に混乱状態だ。

 似たり寄ったりの心境であろう慶太と玲次も、警戒心を露にした険しい表情でもって診察室から出てくる。

 晃は土下座のような姿勢で動かない男を見下ろしながら、ここからの面倒な展開を予感して溜息を吐いた。


「おい……おい、何してんだ? お前」

「はいっ、すいません! すいまてんすいっせぇんずんませんすいばせん、すいませぇええええんっ! ぉんっとうに、すりませぇえええええええええええんっ!」


 慶太が質問をぶつけると、男は土下座チックなスタイルを崩さずに、噛み放題の謝罪を早口で繰り返す。

 肩も、背中も、小刻みに震えていて、声は鼻声だ。

 今にも全力で小便を漏らしそうなまでに、とことん怯えきっている。

 明らかな脅威ではなさそうだが、それでも危険なことに変わりはない。

 そう考えている晃と同感なのか、玲次が緊張の滲んだ調子で訊ねる。


「いや、すいませんじゃなくてさ、何なの? あんなトコで何してたのよ」

「え? 何、って……」


 男は四つん這いのまま、恐る恐るといった挙動で顔を上げた。

 驚きと怯えと戸惑いがグチャグチャに混ざり合った表情は予想通りに若く、晃たちと同年代に見える。


 メガネをかけた小太りの風貌と、無駄に伸ばして後ろで縛った髪は、オタク系の典型といった佇まいなのに、ヒップホップとか聴いてそうな雰囲気の服装で全身を固めているのは、ちょっとばかり違和感が強い。


 その服は上下共に埃塗れになっていて、白いフレームのメガネは左のレンズに大きくヒビが走っている。

 自分が転ばせたせいかも知れないな、と晃は軽めの罪悪感に囚われるが、弁償がどうこうという話になっても面倒なので、とりあえずは触れずにおく。


「あんたらは、ちっ、違うのか? あいつらと……違うんだったら、じゃあさ、じゃあ助けてっ! 助けて下さいよっ、お願いしますっ!」

「……はぁ?」


 慶太の発した疑問を無視して、メガネの男は「助けて」を繰り返す。

 状況が飲み込めないが、まずは落ち着かせるべきだろう。

 そう判断した晃と玲次は、土下座しながらガムシャラにSOSを訴えてくる男を宥め賺して立ち上がらせ、近くのソファへと座らせた。


「それで、何がどうしたってんだ?」

「えぇっと、ですね……」


 落ち着くまで数分待って震えを沈静化させた後、慶太がライトを向けながらザックリし過ぎな事情聴取を開始するが、メガネの男は口篭もってしまう。

 何から話したらいいものか迷っている様子なので、晃はフォローに回って思考を整理させる。


「まずは自己紹介。それから、何が起きてあの部屋に隠れることになったのか。最後に、俺たちにどうして欲しいのか。これを順番に説明してくれ」

「ああ……その、ボクは霜山シモヤマっていって、高校三年生で。今日の昼過ぎ、友達のタケと遊んでる内に、ノリで廃墟探検に行こうって話になって。それで今日ここ来たんだけど、その途中で妙なことになって……」

「ミニスカ黒ギャル集団に逆ナンパされた、とか?」


 特殊なビデオでしか見かけない、トンチキなシチュエーションを半笑いで口にする玲次に、霜山は右手を振って否定のジェスチャーを見せて、また話を続ける。


「タケと病院の中を見て回ってる途中、ボクらとは別の……別の何かが、いる気配があって」

「それは幽霊とか、そういうやつ?」


 佳織の質問に、霜山は先程と同じ否定の動作で応じる。


「じゃなくて、変な二人組だった。一人は目付きの悪い、チンピラみたいなおっさんで……もう一人が、ホストみたいな雰囲気の若い奴。そいつらがいきなり追いかけてきたんで、ボクとタケはシャレになってないと思って逃げたんだけど……タケが捕まっちゃったみたいで」

「みたいって、お前……ツレがどうなったか、確認してないのか」


 霜山は今年一番の腹痛を堪えるような表情で、慶太に頷き返した。

 そして肉の余った顔を何度か撫で回し、大きく咳をしてから説明を再開する。


「逃げてる最中、『ふざけんな』とか『離せよ』って大声は聞こえたんだけど、怖くてそっちには行けなくて……で、その二人がボクの名前を呼びながらウロつき回ってたんで、あの部屋に隠れてたんだ。で、誰かの声が聞こえた気がして様子を見に行こうとしたら、ダンボールを落としちゃって」

「それで、オレらに発見されたってワケか」


 玲次が診察室Bのドアを照らしながら言うと、霜山は興奮気味に立ち上がる。


「そう……だから、お願いします! タケを助けて!」

「助けて、ってもなぁ」


 慶太がぐるりと見回して来たので、晃と玲次は苦り切った表情を返す。

 霜山が遭遇した二人組というのは、こういう場所に来る子供を脅してカツアゲするのが目的だろうし、一発や二発くらいは殴られるかも知れないが、致命的な被害を受けるっていうのも――いや、待てよ。

 引っかかった晃は、念のために確認の質問を投げる。


「なぁ、その友達の……タケだっけ? そいつは今日、どんな服を着てた?」

「えーっと、オレンジのシャツと黒の短パン……だった、かな」


 晃の嫌な予感は、見事に的中してしまったらしい。

 となると、さっき向かいの渡り廊下を走り抜けたのが、そのタケだろうか。

 もし裸に剥かれて病院内を追い回されているとすると、それは既に悪ふざけレベルを楽勝で通り越している。

 どうやら、今回の肝試しはここで終わりのようだ。


「けっ、警察! 警察に連絡しないと! そうだよね?」


 これまで発言のなかった優希が、事態の解決方法として最も効果的であろう提案をしてくるが、それを聞く五人の表情は冴えない。


「ユキちゃん……ここ携帯、通じないんだって」

「山を下りて連絡、ってのもメンドいし」

「呼んだら呼んだで、何であたしらがここにいんの、って話になるよ」

「説教だけで済めばいいけど、下手すると停学とか罰金とか」

「来年は受験なんで、できれば警察沙汰は……」


 慶太、玲次、佳織、晃、霜山に次々とダメ出しされ、何も間違っていないはずの優希は項垂うなだれる。

 澱み始めた空気をはらうように、慶太がパンッと両手を打つ。


「よし、こっちは六人で男も四人いる。対する相手はたった二人だ。パパッとその……タケだったか? そいつ、助けちまって帰ろう」

「だな。その二人ってのは、見た感じどうだった? 強そう? ヘボそう?」


 玲次に訊かれた霜山は、俯き加減で数秒考えた後で顔を上げて答える。


「ガラは悪かったけど、背とか体格とかは普通だった、と思う。あとですね、ボクを頭数に入れるのはちょっと――」

「そうか、その程度の相手なら問題ないな。そんじゃあ二手に分かれて、タケちゃんを捜すとしますか。Aチームが俺とカオリとシモヤマ、カピバラさんチームがレイジとアキラとユキちゃん、って組み合わせでいいか?」


 弱々しさを主張する霜山の発言を聞き流し、慶太は探索の組分け作業を進める。

 めんどくさいので、チーム名については誰もつっこまない。


「バランス的にもそんな感じだな。でもさ慶ちゃん、タケってのを見つけたり、大ピンチになったりした時、どうやって連絡とるんだ? 携帯通じないし」


 晃が訊いてみると、その辺を失念していたらしい慶太は黙り込んでしまった。

 無音が十秒ほど続いた後、清々しい調子で言い放つ。


「まぁ……何とかなるだろ!」

「そこがテキトーなのは流石にヤベェって、兄貴。俺のは意味もなくサイレン機能ってのが付いてるみたいだし、見つけたらコイツを鳴らすわ」


 玲次がライトの下部にあるスイッチを入れると、結構な音量で『ウゥゥウゥー』というスタンダードなサイレン音が鳴り響いた。


「あ、じゃあ慶太さんは、これ使って下さい」


 キーホルダーを取り出した優希は、銀色をした何かを外して慶太に渡す。

 ストラップの先に、小さな卵形のアクセサリがぶら下がっている。


「それ、防犯ブザーなんですよ。ボタンは底で……結構、音大きいですから」

「おう……じゃ、ピンチの時は鳴らしっ放し、アホ二人を軽やかに撃退してタケを確保した時は、鳴らしたり止めたりを繰り返す感じで」


 慶太のその言葉に全員が頷き、二手に分かれての院内捜索が始まった。

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