第7話 07 男性用夏物衣料三点セット

 女性陣に聞こえないよう、慶太は小声の早口で晃に告げた。

 この病院に先に来ている連中に、オバケ役をやらせる。

 その意味するところが何となく理解できた晃は、何度も頷いて答える。


「……あ、あー、はいはい、なるほど。クレバーだね、ケイちゃん」

「フッ、ここの出来が違うからな」

「どこのだよ」


 耳の下、扁桃腺のある辺りを指差す慶太の尻に、晃はやんわりと蹴りを入れる。

 自分らより先にこの場所に来た集団を霊的な何かに仕立て、相手とカチ合わないように気をつけながら、佳織と優希を驚かせるネタ元になってもらう。

 晃と慶太の間に共有された悪巧みは、大体そんな感じのものだ。


「じゃあさ、じゃあ次は……って、ケイタ! それマジでヤメてってば」

「おぅ、スマンスマン」


 病室から出てきた佳織に苦情をぶつけられた慶太は、名残惜しそうに深々と一服してから、半分ほど残っている煙草を金属筒の携帯灰皿に押し込んだ。

 優希はまだ警戒しているが、佳織はかなりリラックスしている気配がある。

 慶太と晃は素早く視線を交わし、ゆるんだ空気を払拭する必要性を確認し合う。


「次は、あたしらだけで行ってみるよ」

「えっ? ちょっ、なっ、佳織?」

「いーからいーから、探検れつごー」


 変なアクセントでそう言い放った佳織は、戸惑っている優希の肩を抱くようにして、並びの一番端となる病室にズカズカと入り込む。

 三人の男性陣は、そんな後ろ姿を眺めながら顔を見合わせて溜息を吐く。


「カオリもなぁ、神経ぶっと過ぎだって」

「ユキさんビビっちゃってたし、少しは無理してるのもあるんじゃね」

「にしても、現状じゃ余りにも緊張感ないだろ。だからさ――」


 晃が慶太と企てた作戦を簡単に説明すると、即座に理解したらしい玲次はゲスさの溢れる笑みを浮かべた。

 やっぱりこの兄弟は精神構造が似ているな、と晃もまた悪人面で笑う。


「イイねぇ……じゃあ、その方向性で」

「とりあえず、派手な物音かライト待ちかな」

「いっそ、絶叫でもカマしてくれるとモアベターなんだが」


 そんなことを話し合っていると、ガラッと勢い良く病室の引き戸が開いた。

 慶太が反射的にライトを向けると、光の中で佳織の表情は固まっていて、優希は妙な感じに引き攣っている。

 思い返してみれば、途中から二人の声が聞こえなかったような。

 こっちの秘密会議がバレたのか、と思いつつ晃は訊ねてみる。


「どっ、どしたの?」

「……ちょっと、見て」


 搾り出すような佳織の言葉に従って、男三人は部屋の中へと足を踏み入れた。

 

「見るって、何を――」


 言いかけた慶太の足が止まり、後ろを進んでいた晃は思わず衝突してしまう。


「おうっ……ぁにしてんだよ、ケイちゃん」


 苦情を述べながら背中越しに視線の先を追うと、慶太は床に散らばった電子部品を照らしている。

 元々はスマホだったと思しき物体の残骸だ。

 その傍らには、オレンジのTシャツと黒の短パン、それに深緑色のボクサーブリーフが丸まっていた。

 埃に塗れているが、どれも品物自体は新しい感じがする。


「マジか……何だよコレ? 持ち主ドコ行った?」


 玲次が当然の疑問を口にするが、答えようがないのか誰も答えない。

 粉々に壊れたスマホと、薄汚れた男物の服。

 よく分からないが、怪しい気配だけは濃厚な組み合わせだ。


「部屋ん中に、これがあったのか?」

「ていうか、その棚の下の方を開けてみたら、そっから出てきた」


 慶太に訊かれて佳織が指し示したのは、他の病室でも見かけたタイプの棚だ。

 上部がガラス戸の観音開きで、下部がスチールの引き戸になっている。


「前に肝試しに来た連中の置き土産じゃねえの? ビビって漏らした服と、落として壊したスマホを捨ててったとか、そういう」

「前、じゃない」


 優希はブンブンと首を振り、玲次の仮説を懸命に否定した。

 訝しげに見返してくる男性陣に、優希は緊張気味に話を続ける。


「前じゃないの。だって、そのシャツ……湿ってる」

「……マジで?」


 玲次は恐る恐るといった感じでシャツに手を伸ばし、触れた瞬間に手をすぐに引っ込める。


「うーわ、マジだ」

「いやいや、そんな馬鹿な……え」


 続けて晃も触れてみるが、汗ばんだシャツを脱いでしばらく放って置いたような、中途半端な湿気を指先に感じた。


「つまり、持ち主がまだ近くにいる、ってのか。しかも全裸マッパで」

「やだっ、やめてよそういうの!」


 慶太の推論に、佳織が真顔で食って掛かる。

 不吉な発言をすると、それが真実になるとでも言いたげに。


「持ち主が変態か何かだったら、まだイイんだけどねぇ」

「レイジくんもやめてって!」


 玲次がわざとらしく煽り、佳織の声のボリュームを上昇させる。

 優希はどうだろう――そう思って観察してみたが、そんなに怯えた様子でもない。

 恐怖が限界に近付いて、感情が麻痺しかけているのかも。

 そんな不安を感じた晃は、優希の横に回って話しかける。


「落ち着いてますね。もう、雰囲気に慣れちゃいました?」

「慣れるのは無理だよ……ていうか、ちょっとおかしくない? ここ」

「そりゃまぁ、心霊スポットですし」

「そういうんじゃなくて。ええっと……何て言えばいいのかな」


 優希は言語化にてこずっているようだが、晃には何となく正解が見えている。

 なので、思い浮かんだそれをそのまま口にしてみた。


「建物が『生きてる』っぽさ、ありますよね。微妙に」

「あっ、それそれ! そんな感じ」


 何度も頷く優希に笑顔を見せつつ、その感覚の原因について晃は考える。

 ワゴンRで来た先客がうろついていて、そこはかとなく人の気配が漂っているせいだろうか。

 或いは、病院内の荒れ方が全体的に大人しくて、廃墟のイメージから遠いせいかも知れない。

 そうでなければ――


「何だよ、おい、急に真面目な顔して。知的キャラでも捏造してんのか」


 慶太の声で思考が乱れ、まとまりかけていた疑念はどこかに消えてしまう。

 抗議したい気分を捻じ伏せ、晃は半笑いの顔を作って応じる。


「いや、何かここ変じゃね、って話をしてて」

「そりゃお前、心霊スポットだし」

「そういうんじゃなくて……だめだ、話がループしてる」


 優希が吹き出し、慶太は首を傾げる。

 彼女が笑顔を見せるのは、かれこれ一時間ぶりくらいだろうか。


「よく分かんねぇけど、まぁいいや。次行くぞ、次」

「次って、どっちに?」

「真っ直ぐこの先、本館になるのかな。手術室とかがあるってよ」

「あと図書室も」

「その情報、いるのか?」


 無駄口を交わしつつ、晃達は病院の更に奥へと歩を進める。

 気が抜けた展開になって、どうなることか心配だったが、思いがけない発見が再びの緊張感をもたらしてくれた。

 しかし、あの服が残されていたのは、何事が起きた結果なのか。


「――――――――――――――――っ!」


 晃の思考を蹴破るように、弱った獣の渾身の遠吠えとでも言うべき、表現の困難な奇怪な音が長々と響いた。

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