第5話 05 錆びた扉の先

「あれ、何ていうか……思ったより普通だね」

「そうだねぇ。もっとアホみたいにデカい病院なのかと」


 予想と違って拍子抜けだったのか、佳織と玲次がそんな感想を述べる。

 晃も似たようなことを思ったが、三連続で指摘するのは慶太に悪い気がして、何も言わずにおいた。


「わかってねぇな、お前ら……規模がデカいからこそ、縦に伸ばす必要がねぇんだよ。金持ちの住んでる豪邸が平屋なのと同じ理屈だ」


 慶太の言い訳がましい説明を聞きながら更に進むと、正面玄関と思しき場所へと辿り着いた。

 ライトで照らせば、入口周辺は目の細かいパイプシャッターで囲われているのが見える。

 ゴリラめいた怪力でも使わなければ、侵入はちょっと無理そうだ。

 そしてガラス製のドアの先は、灰色のシャッターが下りていて様子が窺えない。


「ココからだと、入れそうにないな」

「だね。さっき言ってた……B棟だっけ? そっち、行ってみよう」


 先導する慶太に晃が応じ、他のメンバーも歩き出したのだが、そこで「ヒュッ」という息を呑む音が。


「えっ、何? なん、何がっ?」

「いいいいいっ、今ね今ねっ、病院の中の、二階っ! 二階の辺りから、あああああああああのっ、ひっ、光が!」


 取り乱し気味に問う佳織に、もっと激しく取り乱した優希が答える。

 こちらの話し声に気付いた先客が、外の様子を確認したんだろうな――そう判断する晃だったが、相手の存在について口止めされているので黙っておく。


「ライトがガラスで反射したんじゃね? それか、自分が火事で死んだことに未だ気付いてない看護婦の霊が、今も夜な夜な巡回業務を続け――」


 玲次のふざけた軽口をとがめるように「ガコンッ」と大きめの物音がどこかから響く。

 瞬間、全員の動きと呼吸が止まる。

 十秒ほどの沈黙の後、半泣きの優希がわめき始めた。


「ホラホラホラッ! いるいる、いるって! 何かいる! もうやだぁあああ!」

「落ち着けって、いいから落ち着けってユキちゃん。タヌキとかイタチだよ、どうせ……な?」

「田舎だしねぇ。まぁ、いても血に飢えた野犬の群れとか、子育て中で荒ぶってるヒグマとか、そんなんでしょ」

「そっちの方が、オバケなんかより一大事なんだけど?」


 慶太たち男性陣は勿論、佳織も結構大丈夫そうな気配だが、優希はライトであちこちを照らして、見事なまでにテンパっている。

 暗くてよく分からないが、きっと顔色も真っ白に近い状態なのだろう。

 どうにか状況を立て直そうと、晃はわざとらしいほどに明るい調子で優希に話しかける。


「大丈夫だって、優希さん。田舎の夜ってのは静かなイメージだけど、実はかなりうるさいんだよ。ウチのばあちゃんちなんて、夏は毎晩ウシガエルの大合唱だし」

「ゲコゲコ、って?」

「そうそう。他にも近所で飼ってるニワトリが、朝っていうか夜中三時半くらいからもう、フライング気味にクックドゥルドゥルドゥーって鳴くし」

「……何で欧米風なの」


 やっと落ち着きを取り戻した優希に、微かだが笑顔が戻る。

 そんな風に優希をなだすかしつつ歩を進めると、通用口と思しきドアの前に辿り着いた。


「ここか」


 慶太は手にしたライトで、鉄製のドアを下から上に舐めるように照らす。

 元の色はよく分からないが、赤錆が迷彩柄みたくまだらに浮いていて、無駄に禍々しい雰囲気を醸し出している。

 慶太の前に出た玲次が、レバー型のドアノブをギュッと握り、数秒のを置いてから下に捻った。

 ギショッ、と鈍い金属音が鳴る――鍵は掛かっていないようだ。


「おい! ホントに開いてるぞ」

「何それ……ねぇ、こんなとこ開いてるとか、ちょっとオカシくない? マジでヤバいんじゃないの?」


 大袈裟に驚いてみせる玲次に、佳織は低く小さい声で今更な不安を述べる。

 優希はさっきよりも衰弱した感じで、佳織の背後でブラウスの裾を掴んでいる。


「警備員がミスって、閉め忘れたか何かしたんだろ。掲示板で拾った情報は、そこそこ信憑性があるみたいだな」


 不穏な気配を読み取ったのか、慶太がフォローに入る。

 女性陣がイマイチ納得できていない様子なので、晃はフォローを追加しておいた。


「夏休みだし、前に入り込んだ連中が抉じ開けた、ってセンもあるんじゃない」

「でもっ……うー」


 佳織は何かを言いかけて止め、短く唸る。

 その隣で不安そうな優希に晃が笑いかけると、まだ強張りは残っているが弱々しい微笑が返って来た。


「まぁ、ヤバかったらソッコー逃げるし、大丈夫大丈夫」


 玲次は、もう何度目だか分からない「大丈夫」を口にしながら、重そうな扉を何気なく開けた。

 粉っぽい空気が鼻腔びこうをくすぐるが、長いこと換気がされていない場所に特有の、よどんでいるというかれているというかの、あの独特な重たさは感じられない。


「思ったより荒れてない……か」


 ドアの先の空間を照らしながら、慶太は感想を述べた。

 入ってすぐの場所に、製薬会社らしき社名の入ったダンボールが、大量に積まれている。

 その内のいくつかは開けられていて、中身のガラス瓶を誰かがフザケて壁に叩き付けた結果と思しき破片が、床のあちこちでフラッシュライトの光を弾いていた。


「ワリと出入りしてるみたいだな、人は」


 玲次が懐中電灯を下に向けると、砂埃と土埃が堆積たいせきした廊下に、多数の靴跡が残されているのが確認できる。

 その痕跡は、全体的に新しめな印象だ。


「なぁケイちゃん、掲示板で見た書き込みって、書き込み時間はいつだった?」

「確か……一昨日おととい、かな。見つけた時には、あと何時間かでスレが消えるってタイミング」


 慶太の答えを聞き、晃は少し考えを巡らせる。

 あの軽ワゴンの連中だけだとすると、ちょっと足跡が多過ぎる気がする。

 とは言え、他に先客がいればもっと騒がしいだろうし、何組もが同時にこの場所に来るには、情報が晒されていた期間が短い。


「んだよ、お前までビビってんのか?」


 慶太はニヤニヤと笑いながら、黙り込んだ晃の肩を強めに叩く。

 そして首に腕を回しながら、小声でささやいてくる。


「演技も程々にしとけよ。じゃないとユキちゃん、ホントに帰っちまうぞ」

「ああ……いや、ビビってるとかじゃなくて、色々と違和感が」

「筋金入りの心霊スポットなんだぜ。ちょっと変なくらいで丁度いいだろ」

「……そういうもんかな」

「そういうもんだ」

 

 脳裏に灯った警戒信号は消えないが、晃はそれを掻き消すように強く息を吐く。

 それから、慶太と肩を組むような感じで何歩か前に進んで、建物の中へと足を踏み入れる。

 靴底からキリキリと、砕けたガラス片を更に砕いている感触が伝わってきた。


「よっしゃ、行くぜ」

「とりあえず、酸素はある」


 慶太の宣言と晃の半端な冗談に、佳織と優希はシラケた苦笑いで応じる。

 最後尾の玲次は、女性陣二人の背中をトンと押して、建物内へと強引に進ませた。

 全員が入った後で、玲次は内側のノブを引っ張って鉄の扉を閉める。

 その勢いがあり過ぎたのか、結構な大音量が廊下に響き渡った。

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