第29話 027 壮途

 微かな気配で目を覚ますと、ぼやけた視界に動くモノがある。

 部屋の中に誰かがいる、ような――昨夜は教官の部屋に呼ばれて、それからどうしたんだっけか。

 靄のかかった意識を覚ましながら、薄暗がりの中に浮かぶ人影を観察する。

 体の線は細く、背は随分と低い。

 髪は長く、その容貌は――って。


「……おい、何してんだ? マリオン」

「んひゃあっ――」

「アホかっ、静かにしろって!」


 慌ててベッドから飛び起き、叫びかけたマリオンの口を押さえる。

 足が縺れて、後ろから羽交い絞めにするような体勢で倒れ込む。

 背中を強打したが、マリオンには怪我をさせずに済んだようだ。

 口から手を離し、倒れ込んだまま耳元に小声で囁く。


「あのなぁ、マリオン……夜這いにしてもタイミングを考えろって」

「よっ、よばっ?」

「シッ!」


 相手の口の前に人差し指を立てるジェスチャーで、声がデカいと伝える。

 こんな状況を誰かに目撃されたら、問答無用でセクシャル系の犯罪者にされてしまう。


「あ、えと、ごめん……」

「にしてもお前、尻が硬いな――ぅぼっ!」


 腹に載ったモノに対して素直な感想を述べると、キレのいい肘が右こめかみを射抜いた。

 立ち上がったマリオンはカーテンを開け、淡い逆光を背負いながら向き直る。


「まったく、シショーはどうしてこう……」

「痛ぇな、もう……俺が何したってんだ? 不法侵入の挙句に軽やかに暴力とか、ならず者にも程があるぞ」


 側頭部を押さえながら起き上がり、窓辺に佇むマリオンに文句を垂れる。

 赤毛の少女は謝るでもなくコチラを睨み返し、数秒の間を置いて溜息を吐く。


「こっそり忍び込んだのは悪かったよ。それで、ボクの用件なんだけど」

「分かってるって。ちょっと前から実はそうなんじゃないか、とは思ってた」

「……え」


 マリオンが動きどころか呼吸まで止める。

 そこまで驚くことか、とは思ったが図星を突いてやることにする。


「俺が五年がかりで作り上げた『リュタシア夜遊びマップ』が目当てだな?」

「何だそりゃ!」


 逆上気味のマリオンは机に飛び乗ると、そこから鋭い角度で膝蹴りを放ってくる。

 だが俺は、それを余裕でかわして空中で抱きとめる。


「っと、やっぱり軽いなぁお前。訓練ならいいが、実戦での格闘はヤメとけよ」

「う、うん」


 妙に素直なマリオンを床に下ろすと、右足の甲に結構な勢いで踵が降ってきた。

 いくら体重のない子供の一撃でも、油断した状況で素足に喰らうのは厳しい。


「あがっ――」

「シッ!」


 マリオンが俺と同じジェスチャーを見せてきたので、ムカつきながらも叫び声を強引に飲み込む。

 思わず蹲っていると、中身の入った布袋で頭を軽く叩かれた。


「ぐうぅ……んぁ? 何だ?」

「シショーはボクの師匠だけど、ボクもある意味じゃシショーの師匠じゃない」

「むぅ? ああ、そう……なるのか?」


 どうにもややこしいが、座学に関してはマリオンに助けられたし、確かに先生的なポジションと言っても差し支えないかも――いかん、痛みと眠気で頭がイマイチ働いてない。


「だから、これから旅立つ教え子に贈り物です」


 澄ました調子で宣言しつつ、マリオンは袋から頑丈そうな造りのゴーグルを取り出した。

 手渡されたそれは、無骨な外見に反して細工は丁寧で重量は軽く、長時間の使用でも疲れなそうだ。


「おっ、コレはいいな」

「シショー、前に自分で『飛び道具使いは視力が命』って言ってたのに、目を守る気が全然ないからさ」

「そうか……しかし、何でワザワザ明け方に忍び込んだ」

「そっ、それはその、昨夜渡しそびれたっていうか、出発前だとバタバタするだろうし、皆の前で渡すのも照れ臭いかなって」

「よく分からんコトを気にするんだな。でもありがとな、マリオン」

「あ……うん。じゃあ、また後で」

 

 そして数時間後。

 簡単な朝食を終えた俺は、出発前の最後の準備に取り掛かっていた。

 変な時間からマリオンに起こされたのと、半分寝惚けた状態で動き回ったせいか、全身がじんわりとダルい。

 それでも何とか装備を整え、姿見に全身を映してみた。


 養成所からの支給品である、丈夫な生地の着慣れたシャツとズボン。

 習士拝命の祝い金で買った、黒いレザーアーマーと赤茶色のブーツ。

 そして首からは、マリオンから貰ったばかりのゴーグルを提げてある。


 ベルトには使い慣れた投げナイフの鞘が並び、それとは別に短刀が一振り。

 先日壊滅させた盗賊団の首領、ナールが使っていた曲刀だ。

 教官にどういうシロモノなのかを訊くと、恐らくは北方の船乗りが使うカトラスの類だろう、との返事だった。


 何にせよ、刀身の頑丈さと鞘の意匠の見事さからして、実戦用としても換金用としても役に立ってくれるだろう。

 大容量バックパックには、衣類や食料やマントや地図といった必需品に加え、予備のナイフや野営の道具、それに究鏖殺みなごろしを含めた毒劇薬類も大量に詰めてある。


「さて、と」


 荷物を背負って部屋を出ると、杖を手にしたファズが歩いてくるのが見えた。


『準備は』

「完璧だ。いつでも出られる」


 ファズの格好は、出会った時と大差ない。

 フードの付いた厚手のマントを買った他は、使い古した布の鞄が新品の革製のバッグに変わった程度だ。

 これから長旅に出発する意気込みは、装備からも表情からも読み取れない。


『必要な物があれば、その場で調達する』

「……まぁ、ファズはそれでいいや」


 山中での一人暮らしを平然と送っていたのだから、今後も何とかなるだろう。

 ファズと並んで正面入口へと向かう途中、朝の講義に向かう後輩達と行き会って、簡単な別れの挨拶を交わす。

 どうやら、盛大な見送りは期待できないようだ。

 案の定、正門で待っていたのはカイヤット教官とマリオンの二人だけだった。

 万歳三唱で送り出されるのも照れ臭いが、コレはコレで寂しいモノがある。


「……求綻者が出発する時って、こんな感じでしたっけ?」

「まぁ、こういう場合もある。深く考えるな」


 そう言えば、ライザの出発を見送ったのも教官達と自分だけだったな。


「では教官、お世話になりました」

「ああ、時々は顔を出せ……ファズ、リムを死なせるな」


 笑顔だが目が笑っていない教官に、ファズは小さく頷いて応じる。


「またね、シショー。なるべく死なないように」

「なるべくかよ! ていうか、俺はそんなにすぐ死にそうなのか」

「無意識で無茶してる時があるから……だから、そういう場合はちゃんと止めてね」


 軽く鼻声のマリオンに言われ、ファズはさっきより大きく頷く。


「そんな心配すんな。ホラ、師匠からのプレゼントだ」

「ん? 『リュタシア夜遊びマップ増補改訂版』……ホントに作ってたの」

「ああ。夜間の見回り時間から、養成所を抜け出すポイントの数々まで網羅し、どんな客でも入れる酒場や、非合法品を扱う店の情報も各種取り揃えたスグレモノだ」

「おい、私の前で何を言っている」


 教官は苦笑いだが、ここでノートを没収するほど野暮ではないようだ。


「えーっと……ありがとう?」


 疑問系で礼を言いながら、マリオンはメモ帳を受け取った。

 最後に何かカッコイイ言葉でも残そうか――だがガラじゃないし、そもそも気の利いたセリフが思いつかない。


「……じゃあ、ちょっと世界救ってくる」


 悩んだ挙句、無駄にスケールがデカくなってしまった挨拶を残し、俺は五年間を過ごした養成所を後にした。

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