第19話 018 譏笑

「ここの他にもまだ、棄てられた人々の村はあるのだろうな」

「はい」

「そこにもまた、どうにもならない悲憤を抱えた者がいる」

「はい」

「内容はどうあれ、今回と似たような騒ぎは何度でも起こるな」 

「そうなるでしょう」


 こちらの鬱屈が伝わっているせいか、ディスターの返事は簡潔だ。

 ただの愚痴吐きだと自覚しつつも、独り言よりは救われる気がして続ける。


「世の中が公正でないのは知っている。だが、一握りの特権階級の安楽な生活を守るため、大多数の人間が窮乏を強いられるこの国の形は……歪み過ぎている」


 ディスターは何も言わないが、同意の気配は伝わって来る。


「私達が探している綻びというのは、実は王政や貴族の存在なのかも知れないな」

「それはどうでしょうか。王政を廃し貴族を追放したルセニ共和国は、相も変わらず不安定な様子ですが」

「……確かに、物騒な噂ばかりを聞くな」


 アーグラシアと東で国境を接するルセニ共和国。

 王国時代は他国と大差ない、穏当な施策を行っている専制国家だった。

 農業に適した肥沃で広大な土地と、大陸第二の人口を有していた豊かなルセニ王国を崩壊させたのは、二十年前に領内で発生した謎の伝染病【族滅痢ぞくめつり】だ。


 発生源も感染経路も未だ不明な族滅痢は、赤痢を激化させたような症状の病気で、一人が発症すると周囲でも罹患者が続出する感染力がある上に、有効な治療法が見つからないせいで致死率が非常に高く、一年余りでルセニの人口を二割減らしたという。

 族滅痢が猖獗を極めている最中、人々は未知の病への恐怖に震えるばかりだった。


 やがて流行は沈静化し、かつての日常は戻って来たが、失われたものは余りに大きく、人々は理不尽な悲劇に理由を求め、元凶を探し出して責任を負わせた。

 その対象となったのは、族滅痢に何ら有効な対策を取れなかった王国政府であり、その最高責任者たる国王のダニール四世とその一族だった。


 疫病が発生するまでの治世からして、ダニールは凡庸であっても無能ではない。

しかし、『王族が使う不老長生の霊薬を作成する実験の末に族滅痢が発生した』とか、『第三王妃エレーナが、王の寵愛を得る魔術の贄として国民を捧げた』といった根拠不明な流言が飛び交うと人々の怒りは王家に向かい、それはやがて革命を引き起こす。

 そうしてルセニは、王も貴族もいない平等な国へと変わったのだが――


「何かが来ます。かなり大きい何かが」


 突然の警告がディスターから発せられ、意識を現実へと戻す。

 周囲を見回してみるが、異変は感じられない。


「あのヒグマがもう一匹か」

「それどころではありません。姫様、御注意を」


 声色から迫り来る脅威の深刻さを悟り、静かに長剣を抜いて意識を集中する。

 ディスターの危惧するような尋常ならざる気配は――いや、これは。


「なるほど、お前の言う通りだ」


 大型生物が高速移動する気配が、不自然な木々の揺れとなって伝わって来た。

 本能も危険性を報せようとしているのか、柄を握る掌にも汗が滲む。

 ディスターはランプを消すと、私から少し離れた場所でハルバードを構える。


「きぃやっきゃぎきゃきゃきゃぎゃきゃっ」


 哄笑。


「ぎへぁぎほぁぎへぃあぁぎへぁぎひゅぁ」


 狂笑。


「いぃぃぃぃぃいいぃいぃぎゃ! ぃいいいぃぃぃぃいいぎゃ!」


 凶暴性だけを伝えてくる音の連なりが、遠くから近くから頭上から背後から。

 頼りない月明かりは、ありふれた森の夜景だけを浮かばせる。


 どこだ。

 どこにいる。


『気を鎮めて。視覚に頼らずに』


 そう言われても、心は果てしなく掻き乱されてしまう。

 闇に溶けたまま何かが跳ね回っている。

 膨大な殺気が木々の隙間を埋めている。


 どこだ。

 どこから来る。


「はあっ!」


 気合の声と共に、上から降ってきた塊を斬り伏せた。

 この手応えは知っている――木の枝だ。


『右です』


 ディスターに相手の位置を教わるが、迎撃の構えを整える時間はない。

 大きく前方に跳んでかわすと、何かが生じさせた風圧が背中にぶつかる。

 その物体が襲撃者の腕だとすると、体長はヒグマの比ではないだろう。


「ぎゃぎゃぎゃっききぃいい」


 癇に障る笑い声が近くから発せられ、鼓膜に突き刺さる。

 奴はまだ、すぐ傍に。

 大音量が混ざり合い、複数の地響きがそれに続く。

 何が起きて――


「うぁあっ?」


 周囲の木が次々に薙ぎ倒されている。

 数本が一斉に、こちらに向かって倒れ込んできた。

 避けなければ、と頭は判断している。

 だが、幹の裂ける音と枝の折れ散らかる音に混乱し、体が上手く動かない。


 目を瞑って、悲鳴を上げていた気がする。

 痛みはなく、意識もある。

 ゆっくりと目を開けてみると、見慣れた背中がそこに見えた。


「ディスター!」

「お怪我はありませんか」

「だ、大丈夫だ……助かった」

「姫様をお守りするのが、仕事の一つでもありますので」


 片手で支えていた大木を、ディスターは無造作に放り投げる。

 直後、人を小馬鹿にしたような、調子外れの拍手が響く。

 見ると、力ずくの森林伐採で生じた空間、そこに転がる大岩の上に人影があった。


 いや、人にしては大きい。

 そして、シルエットがおかしい。

 太さも長さも不揃いな腕、そんな何本もの腕が、不規則に手拍子を打っていた。


「もしかして……あれこそが『コロナの怪物』なのか」

「そのようです」

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