蒐集家と奇妙な魔物たち

ミート監督

第1話 炎骨鬼の紫炎


熱い、熱い。燃えている。俺の体が燃えている。


皮膚が泡立つ。血が沸騰する。灼熱が眼球をどろりと溶かし、肉を黒々とした炭に変えていく。何故こんな苦痛を。俺が何故。


燃え盛る男を嘲笑う声。何故だ。お前達を俺は守ってやったじゃないか。


男は絶叫をあげようとした。しかし、焼け焦げた喉は声を発する事はなく。何故という問いは、ただ空に消えていった。それが男の最期。そのはずだった。





この地では死者は炎によって葬られる。恨みを遺した死体は、魔に魅入られ、ゾンビ、生ける屍として蘇るからだ。


炎には力がある。穢れを祓い、魔を鎮める。故に、処刑の際も火刑が一般的と言われている。これならば、罪人が呪われし魔物として蘇ることもない。


……ただ、何にでも例外は付き物なのだ。


ある男が火刑にされたその日、辺境貴族の所領で炎の魔物は誕生した。







ーーーーーーー







「おおう。すっげー。まるで竜にでも襲われたみたい」


高台から下界を見降ろし、キラキラとした目で美貌の女戦士は口を開いた。


「なあなあ、蒐集家。見ろよなにあれ。街一つ黒焦げだぜ。ヒャハハ、おっかねえー」

「ジズ、あんまり人の不幸を喜んではなりませんよ」


ゼイゼイと息を切らしながら坂を登ってきた蒐集家が、ジズという女戦士に苦言を呈す。


「だってすげえんだもん」

「どれどれ……ああ、これは確かに」


蒐集家の目に入ったのは、悲惨という言葉すら超越した光景だった。


軍隊に攻撃されてもこうはなるまい。灰の山がそこにはあった。熱でどろどろに溶かされた石が、硝子質の輝きを放っている。あの灰にはきっと人の燃え滓も混ざっているんだろう。


「成る程、炎骨鬼が特級災害に指定されるはずです。国も冒険者ギルドも放ってはおかないでしょうね」

「それにわざわざ会いに行くってんだから、あんたやっぱり死にたがりだな」

「死にたくはないですねえ。愛でるべき美は世界にまだまだあるのですから。さ、急ぎましょう」

「うーす」


女戦士は歩みを進め……蒐集家がつい来てない事に気がついて立ち止まった。


「あん? どうした、行かねえのか?」

「まことにお恥ずかしいのですが、ジズ。……疲れて足が棒です。背負ってください」


女戦士は蒐集家を坂の下に蹴り飛ばした。





ーーーーーーー





「くそっ、くそっ、畜生! なんで、こんな、こんなとこで終わるのか。こんなところで!」


泣き叫ぶ冒険者を、炎骨鬼は灰に変えた。闇に染まった紫炎が大地を薙ぎ払う。炎骨鬼出現以降、数多の腕自慢が彼に挑んだ。そして、全員が同じ結末を辿った。


炎骨鬼は思う。何故こうなってしまったのか。自分の何が悪くて、このような魔物に身を落としたのか。


「おおー、いたいた。すっげえ。骨が燃えてらあ」


鈴を転がすような声音、それに似合わない乱暴な言葉遣い。炎骨鬼の伽藍堂の眼窩がその美貌の女戦士を見た。


『また冒険者か。今日は多いな』


面倒くさい。人というのは何故こうも勝ち目のない闘争に挑むのか。炎骨鬼は紫炎を放とうとし……取り止めた。どうも相手の様子がおかしい。


「ふぅー、やっとつきましたね」

「……蒐集家、さっさと降りろよ。結局背負わせやがって」

「いや、心地よい旅路でした。中々に趣味の良い香水をつけているのです……へぶぅ!?」


炎骨鬼に向かって、女戦士は背負っていた男を投げ飛ばした。思わず炎骨鬼は男を燃やさないように飛び退る。


顔面から地面に激突した男が、鼻血をダラダラと流しながら顔を上げた。それなりに整った学者のような顔立ちが台無しだ。


「あいたたた、酷いですねえ。……貴方もそう思いませんか?」

『……』


どうも男は自分に話しかけているらしい。魔物になって初めての事態に彼は少し困惑した。


『……』

「あのー、どうかいたしましたか?」

『貴様ら、何の目的だ? 俺を討伐に来たのではないのか』


純粋な疑問から、この地方における恐怖の象徴、炎骨鬼は舌のない口から声を発した。


「ああ、これは名乗りもせずに失礼を」


立ち上がり、仕立ての良い服について土を払ってから、男は満面の笑みになった。


「いやー初めまして、魔物蒐集家のバトスと申します。辺境屈指の傭兵、フェニキア殿」


かつて人であった頃の名を耳にして、炎骨鬼は絶句した。





ーーーーーーー





「魔物蒐集家といっても魔物自体というよりは、その産物を集めているのです。特に珍しくは無いでしょう」


確かに珍しくはない。魔物の産物には強大な魔力がある。特に冒険者は珍重している。どうもこの蒐集家は実用よりも鑑賞目的みたいだが。


「こいつ、趣味悪いだろ? まあ金払いだけはいいからアタシは雇われてんだけどさ。お、焼けてる焼けてる」


金払いがいいという言葉に納得する。ジズと呼ばれた女が纏っているのは、まるで貴族がつけるような煌びやかな飾り鎧だ。女戦士は蜥蜴の丸焼きを美味しそうに頬張った。暫く栗鼠のようにモゴモゴと口を動かしていたが、何やらハッとして勢いをつけて飲み込んだ。


「ンガッ……ふぅ。あー、すまねえな。あんたもう食えないんだっけか。アタシだけ食ってて気分悪くしちゃったか?」

『もう慣れた。それよりもバトスとやら。用件はなんだ。手短に言え』

「ああ、はい。とはいえ、そんなに大層な理由がある訳では無いのです。ただ……」



貴方の炎が欲しいのです、と蒐集家は言った。



『……また奇妙な物を欲しがるな。俺の骨でも武器に加工するのかと思ったが。火種が欲しいというなら鍛冶にでも使うのか? 確かに魔剣が鍛えられるかもしれんな』

「いえいえ、最近魔法のかかったランタンを手に入れましてね。一度火を灯したら、魔法が切れない限りは灯り続けるという中々の代物なのですが……」


ゴソゴソと鞄から取り出されたのは、花の彫刻が優美な純白のランタンだ。


『寝る前暗くしたい時に不便そうだな』


炎骨鬼は寝ることが出来ない体になった事を思い出して、少し落ち込んだ。


「あはは、その時は上から布でも被せればいいんですよ。で、ですね。どうせなら灯す火にも拘りたいと思いまして。貴方の呪われし紫炎の噂が丁度飛び込んできたので……いてもたっても居られずにこうしてやって来たわけです」


呆れる。どうやら、ただそれだけの為に火の魔物と化した彼に会いに来たらしい。


「な、アホだろ?」

『アホだな』


女戦士の言葉に同意する。


「え、そうですか?」


キョロキョロしてる男を見て、思わず溜息をつきたくなった。


『わざわざ自身が出向く必要は無いだろう。金があるなら一級の冒険者を雇って、俺を討伐すればいい。死骸から燻る火を回収すれば、それで済む話だろうに』


ふと炎骨鬼は思う。意外にも普通に会話が出来ている。魔物になってからは久々の感覚だ。過去の痛みと共に、ほんのりとした快楽。


「いえいえ、わざわざ来た甲斐はありましたよ。本当に……見事だ」


今も燃え続ける炎骨鬼を見て、蒐集家は目を煌めかせた。


「あーあー。目が逝っちまってやがる」


呆れたような女戦士の言葉通り、目の前で手を振っても蒐集家は反応しない。もう少し近づくだけで燃え死ぬのを分かっているのだろうか?


「てなわけで、どうよ? フェニキアさんよ。ちょっくら火、分けてくんねーか? こいつの財力ならあんたが欲しいもの大抵手に入るぜ」

『さて、魔物の身に必要なものか。……人に戻せというのは無理だろうな』

「あー、すいません。残念ながらそれは」

『良いさ。不可能な事を要求はしない』


あの火刑の時に人間フェニキアは死んだのだ。残ったのはただの化物だ。


「ええ、私に出来る事でしたら何とかしますので」

『酒……はもう呑めないな。飯もそうか。住居にしても俺が歩けば直ぐ黒焦げだ。衣服も装飾具も無理か。美女は……触れられんか。そもそも性欲が無い。ふむ……困ったな』

「あー、元気だせやフェニキアさん。なんか良いことあるって……多分、きっと……もしかしたら」

『魔物を気遣うか。主人と同じく変わり者だな』

「違いますー、主人じゃなくて雇い主ですー」


嫌に子供っぽい戦士だ。とはいえ……眼窩の中の炎を揺らめかせ観察する。まだ人間だった傭兵時代、それなりに強者とは出会った。その時の経験からいうと、間違いなくこの女戦士は強者だ。立ち姿で分かる。腰に差しているのは剣ではなく棍棒。明らかに呪物、高位の魔物の骨を削り出したものだろう。


「ジズ、雇い主なんですから、もっと私に敬意を払ってくれていいんですよ」

「あんたの金には敬意を払えるけど、人格にゃ無理だね。あ、でも宝石くれたらちょっと尊敬するかも。パルラの店にいいの入ってたんだよなー」

「んー、パルラは知り合いだから、少しは融通がつきますけど……あそこ宝石屋じゃなくて防具専門のはずですが」

「へへっ、今のも気に入ってるけど、もう一揃い鎧が欲しいんだよ。あそこの新作、宝石飾りだけじゃなくて浮き彫りも職人技でさ」

「仕方ないですねえ。今回だけですよ」


ごく自然に貢がしている姿を見て、思わず警戒が掻き消えた。むしろ警戒した自分が馬鹿に思えてきた。


「それでフェニキア殿。何かないですか? 流石に対価無しでいただくのは気が引けますので」

『まだ了承していないんだが……火を貰うこと自体は決定事項なんだな。まあ、別にいいが。そうだな、それなら……』


続く炎骨鬼の頼みを、少し驚いた様子で二人は聞いていた。




ーーーーーーー




かつて魔物は腕利きの傭兵だった。数多の魔物を葬り、周囲から尊敬を集めていた。成功者としての人生。貴族からも仕事が舞い込んできた。それが落とし穴だった。彼を破滅に追いやったのは一方的な恋だ。


依頼主の貴族、その妻が彼に惚れた。お忍びで彼の宿までやって来て、恋愛感情をぶちまけたのだ。無論、断った。貴族との密通はあまりにも危険だ。出来るだけ夫人の名誉を傷つけないよう言葉も選んだつもりだった。翌日、貴族の兵が押しかけて彼を捕まえていった。



ふと過去から現実に立ち戻る。あの奇妙な二人組はいない。炎骨鬼の出した交換条件を叶える為、一時的に街へ戻った。


最早炎骨鬼は寒さを感じない体だ。しかし自分の炎のせいで荒れ果てた土地を見ると、寒そうだと思う。ただ一体この地にあり続ける。人間時代なら心が寒くて泣いてたかもしれない。しかし涙腺すら炎骨鬼にはない。


ふと気がつく。


『ふん。あいつらが帰ってくる前に別の客か。人気者は辛いな』


荒れ果てた地平線の向こうに土埃。大軍だ。


『国が本腰を入れてきたか。さあて、逃げてもいいんだが……ここで終わるというのもありだったかもしれないな』


炎骨鬼はそこまで無理して存在し続ける気は無かった。彼を魔物と化した憤怒は、火刑の日、街ごと消し飛ばした時に終わっている。だがしかし。


『運が悪い連中だ。約束がある以上ここにいなきゃいかんのに』


自分が今から灰にする連中を憐れみながら、炎骨鬼はのそのそと動き始めた。






ーーーーーーーー






『早かったな。近くの街はあらかた燃え滓にしたはずだから、もっと時間がかかるかと思ったが』

「あっはっは。ジズは体力ありますからねえ」

「てめえ、蒐集家。結局途中から背負わせやがってクソ野郎め。……にしても大丈夫か、フェニキアさんよう。腹にぶっとい剣が突き刺さってんだが」


大地に自分を縫い止めている剣を炎骨鬼は見た。普通の剣なら直ぐに溶け消えるはずだが、珍しくも魔炎に対抗している。


「おや、妖精鉱の剣ですか。という事は聖騎士か英雄級の冒険者が来ていたようですね」

『他にも兵隊がたっぷりいたぞ。腕利き数人は取り逃した。まったく、人間時代に憧れていた連中と戦う羽目になるとはな』


剣を握りしめ、炎で呪う。白銀の剣は抜けながら黒く染まった。抜いた穴から血の代わりに炎が噴き出す。まったく、我ながら可笑しな体になったもんだ。


『いるか? 持ち主も取りに戻らんだろうし』


女戦士に剣を転がす。


「マジでっ!? いやったー、ありがとう」


ぴょんぴょんと飛び跳ねる戦士を蒐集家が物欲しそうな目で見ている。


「あのですね、ジズ」

「駄目」

「まだ私は何も……」

「駄目ったらダーメ」

「私は貴方の雇い主で……」

「そう、雇い主。主君じゃなくてあくまで商売上の関係。んで、雇ってる相手から無理やり私物取り上げるのか?」

「それでしたら買取という手も……」

「魔剣は箔がつくからな。並大抵の金額じゃまからねえぜ? ま、見たい時には見せてやるからそれで我慢しな」

「うぅ」


まるで好きな少女に意地悪する小さな男の子のような可笑しさを感じて、炎骨鬼は少し安らいだ。もっとも彼らは大人で性別は逆だが。ふと、昔にこういう情景を見た気がした。事実あっただろう。ありふれた情景だ。しかし、そのありふれた男女の光景は果てしなく遠いものだった。


『約束さえ守ってくれれば、お前にも火をくれてやるから我慢することだ』

「そうでした! それではさっそく……ジズ、お願いします」

「へえへえっと」


女戦士が腰に提げた鞄から取り出したのは、角を金属で補強した分厚い本だった。一冊ではない。かなり大量だ。


『それでは頼む』


頼んだ魔物にニッコリと笑いかけてから、女戦士は鈴のような声音で朗読を始めた。


甘い甘い恋の詩を女戦士が読み上げる。近頃の人気詩人のものらしい。確かに人気になるだけの事はあると、心の中で赤面しながら思う。それが終わると蒐集家が荘厳に英雄譚を言葉にする。蒐集家の声音は物語に相応しい重々しさだ。中々に聞き応えがある。代わる代わるに、二人は本を朗読した。炎骨鬼はうっとりとそれを聞く。久しぶりの快楽を味わう。


滑稽話に笑い、神話に聞き惚れ、絵本に郷愁を覚える。悪漢小説に唸り、旅物語に思いを馳せ、各地の民話に興味を惹かれた。少女の幼い恋に心動かされ、未来を見据える少年の話に魂が熱を持つ。


読み上げられる物語に自然を感じた。自分が燃やし尽くしてしまったもの。甘き春の花、芳しき夏の緑、黄金の秋の実り、白き冬の冷たさ。




炎骨鬼は幸せだった。三日三晩、物語の朗読は続いた。




最後の一冊を女戦士が口にする。いつしか彼女の声は、記憶の中の母と重なっていた。他の本は二人に任せたが、それだけは炎骨鬼が指定したものだ。


ありふれた童話。森に迷い込んだ少年。冒険の果ての家への帰還。父と母に何度も朗読をせがんだものだ。


『久々の読書だ。人の頃はそこまで好きでは無かったが、この肉体だと読む前に燃やしてしまうからな。堪能した』


簡潔な感想になったのは、あまりに多くの感情が中で巡っているからだ。その感情を炎骨鬼は意識した。いつもは憎しみの紫に染まっている炎が、今は虹のように様々な色をしている。


「すげっ」

「……!」


蒐集家は目を見開いて恍惚としてい

た。手を差し伸べる。


『約束のものだ。お前が欲した紫炎とは少し色合いは違うかもしれんがな。それでもよければ受け取るがいい』

「いいえ! いいえ! まさかこれ程の物が手に入るとは……」


うやうやしく差し出されたランタンに指先から火を入れる。虹の炎は無事にあるべき場所に収まった。炎の魔力を受け、純白だった装飾に色がつく。精巧であっても、あくまで無機物であった花の彫刻が艶やかに咲き誇る。一つの至宝がここに出現した。


『さあ、行くがいい。ここは人が居続けるには辛い場所だ』

「ありがとうございます……フェニキア殿はこれからいかに? 」

「多分、また軍隊派遣されるんじゃねえかな。今より規模が増すとあんたでも危険だぜ? こいつ、金だけはあるし軍にもちょっとだけ口出しできるけど」


気遣いは有難い。しかし、その事はどうでもいいことだ。


『自分の始末は自分でつけるさ。そうだな。たまにそのランプを見て思い出して欲しい。炎骨鬼という、かつて人だった魔物がいた事を』






ーーーーーーー







「ふんふんふーん♪」

「おや、珍しい。読書中ですか」

「あたしだって、たまにゃ読むさ」

「どれどれ……恋愛ものですか」

「……何か言いてえ事があるなら聞こうか?」

「……なんでもないですよ」


屋敷の一室で蝋燭のぼんやりとした火の下、女戦士は本を閉じた。


「フェニキアどうしてっかな」

「どうでしょうねえ。討伐されたという話は聞きませんが」


今もあの魔物は在り続けている。いつの日か彼も滅びる時が来るだろう。しかしそれは遠い未来の話だ。


「ジズ、どうせならもっと明るい場所で読みませんか?」


蒐集家は持っていた物を覆う布を除けた。


薄暗い一室が輝きに満ちる。


「……ほんと綺麗だよな。その炎」

「ええ、本当に」


虹の炎はこれからも燃え続けるだろう。そして証明し続ける。炎骨鬼というかつて人だった魔物がいた事を。

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