第八話 それぞれの事情

 それから三日後のことである。

 長野県松本市のJR『松本』駅東口から、あがたの森公園方面に延びる大通りを東に向かって直進すると、途中の深志二丁目の交差点があるので左折する。

 この道はそのまま進むと松本城に突き当たるが、もっと手前の松本郵便局を過ぎた一つ目の信号で今度は右折する。その先の通りは『高砂通り』という名称で、人形店が軒を連ねていた。

 細々とした一軒家の店舗が立ち並んだ先に、随分前に閉店した店舗があった。

 看板は既に外されており、外壁はすっかりすすけてみすぼらしくなっていたが、肉厚の鉄筋コンクリートでしっかりと固められた骨組みには全く危な気なところはない。

 そんな重厚な店の正面から見て右隣には、縦に並べて車二台分の停車スペースがあり、そこの奥側に昨夜から「わ」ナンバーのワンボックスが停車していた。

 付近の住人は、あまり見かけたことのない車両に首を傾げたが、以前からスバル・レガシィのツーリングワゴンが時折停車していることがあったので、それ以上の疑問を抱くことはなかった。

 現在、そのスバル・レガシィはお台場で監視されているため、ここにはない。

 そこに駐車してから十七日近くが経過していたので、かなり駐車料金が嵩んでいたのだが、店舗の中にいる持ち主はそれを気にしていなかった。

 さて、建物の右側の壁にある引き違い戸を開けて、駐車場から店内に入る。

 道路に面した側は店舗になっており、人形店だった頃のまま、掃除と整理整頓だけが丁寧に施されていた。ガラス戸を嵌めた木製の棚が暗闇の中で飴色に輝いている。

 右側には店番用の簡単な六畳間があり、そのさらに奥には二階に上がる階段が設えられていた。日常生活のための設備はすべて二階部分にあるのだ。

 靴を脱いで六畳部屋にあがる。一階部分のシャッターはすべて締め切られているため階段はさらに薄暗かったが、古色蒼然としながらも丁寧に拭き掃除がなされていることが分かった。

 ただ、昔の造作ぞうさく故、幅が狭く急角度になっている。その階段を足元に気をつけながら登ると、突然、スチール製の扉が現われる。

 建物全体の古風な佇まいとはミスマッチであったが、それがどことなく『隠れ家』という印象を強めていた。

 その扉を開ける。

 その先には八畳の居間と六畳二間の寝室、四畳半の台所と二畳半の廊下部分を、壁を撤去してすべて繋いだ二十七畳の空間があった。ただ、それがまったく『広々』としているように見えない。

 部屋の半分を作り付けの本棚が占めており、視界を塞いでいたからである。

 階段部分から本棚の隙間を抜けて、店舗の道に面した正面側に出ると、そこには十三畳ほどのほぼ正方形の空間があり、事務机と応接用のソファが置かれていた。

 ここまで整えておきながら、実はこの応接部分は三年前のリフォーム時に設置されてから、昨日までほとんど使われたことがなかった。

 現在、事務机にはここの主が座ってにこにこと笑っている。

 応接セットには既に成人男女が、合わせて四人座っていた。

 本棚の立ち並んだスペースには本を読んでいる子供がいる。


「――で、何これ?」

 応接セットに座っていた鞠子が、やっと驚きから回復して根源的な質問をした。

「私から説明します」

 と、四月朔日がそれに応じる。

「ここは、先生が執筆用の資料を保存するために借りている場所です。元々はもっと簡単な場所だったのですが、資料が嵩んでしまったためにここに移転しました。覆面作家として極力表に出たくないという先生の意向もあり、借主は『高段社』になっていますが、賃料や光熱水道料は先生の印税から控除されています」

「ということは、児玉水力はもちろん、笠井洋がここを利用することは一般には知られていないと」

「そうなります。覆面作家『児玉水力』の正体について、出版社内でも知っているのは担当編集者である私と編集長ぐらいですから」

「編集長は信用できる方ですか?」

「少なくとも、謎の団体の構成員が出来るような複雑な方ではありません」

 鞠子の刑事を髣髴させる追及に、四月朔日は上司の竹を割ったような性格を思い出し、苦笑しながら答えた。

「つまりは、我々のアジトとして最適ということね。パパ、まさか――」

 鞠子は洋のほうを横目で見る。

「このような状況に陥ることまで先読みして、先手を打っていたんじゃないでしょうね。覆面作家は私の仕事を慮ってという話だったけれど、本当のところはどうかしら。途中でばれても誤魔化せるように、インパクトのあるペンネームを設定しておいたとか」

「いやあ、さすがにそれはないよ」

 洋は両手を前に出して振りながら否定する。

 鞠子は内心どうだかと苦笑したが、洋のやることに間違いはないので、ここで矛先を収めた。

「それにしても凄いですね」

 山根は本棚のほうを見て感心した。

「本の並び方はざっと拝見したところ、日本十進分類法に則っておられるようですね。個人の蔵書でそこまでやっているのは、よほどのマニアでないと考えられません。蒸気と匂いが本に影響するのでキッチンはなし。さすがトイレとお風呂は残っていましたが、湿気がこちら側に流れ込まないようにユニットごと別区画として完全に分離してありますね」

「変なところで凝り性ですから」

 鞠子が左眉を上げる。

「どうしてパパの本は置いてないのー?」

 本棚が並んだ奥から瞳子の声がした。鞠子が答える。

「それは、誰かが忍び込んだ時に正体がばれないように、ということでしょうね」

「誰かって?」

「それは――特に定まっていないと思うけど」

 そこで鞠子はふと考えに詰まる。

 確かに洋は先読みをしている。そのために今回は大いに助かった。しかし、四月朔日の件まで先読みすることは、本当に可能なのだろうか?

 いくらなんでも、それは無理だろうと鞠子は思う。すると、どういうことになるのか。

 今回の件は対応可能な範囲内だが、想定外だ。

 つまり――仮想敵は別にいる。


「ここにこんなに具合の良い場所があるのに、どうして東京まで逃げたのさ。まあ、生活するのは難しそうだけど」

 鞠子が物思いに沈む隣で、隆が自分の部屋よりもはるかに居心地のよさそうな空間を眺めて、至極もっともな疑問を投げかけた。

「それは、調べ物をする必要があって、それには東京が一番効率的だったからだよ」

 洋が答える。

「図書館なら松本市にもあるじゃないか」

「前にも言った通り、古い新聞の閲覧、しかも全国各地となると国会図書館や日本新聞博物館レベルのほうが都合良いんだよ」

「それだけのこと?」

「そうだよ」

「松本市内じゃあ敵の眼につきやすいから、とか」

「それは勿論あるけれど、東京でもそれは同じだよ」

「なんで? 人が多いんだから東京のほうが捜すのは大変だろ」

「それが、今ではそうでもないんだよね。Nシステムや防犯カメラの画像を使った三次元顔画像識別システムが整備されている首都圏のほうが、個人を捜し出すのは容易なんだよ」


 Nシステムの『N』は、ナンバーの頭文字であり、正式名称を『自動車ナンバー自動読取装置』という。

 自動車のナンバープレートを自動的に読み取って、手配車両のナンバーと照合するシステムのことである。

 一九八〇年代の後半に科学警察研究所と日本電気が共同開発し、一九八七年に第一号が東京都江戸川区の国道十四号に設置された。

 以降、主要幹線道路や高速道路に設置が拡大しただけでなく、県境付近の一般道や石油精製施設、防衛関連施設、原発付近などにも設置が進んでいる。

 そして、本来の犯罪の被疑者を追跡する目的以外に、警察が特定の人物の動向を監視するために使用した『前科』があった。

 また、三次元顔画像識別システムは警察庁がその存在をあまり公にしていないシステムである。

 金融機関やコンビニに設置されている防犯カメラの撮影画像と被疑者の顔写真を照合して、同一人物であるかどうかを識別するシステムである。

 一般的に防犯カメラは頭上に設置されているので、画像は下を向いていることが多い。また、犯罪者は帽子やサングラス、マスクなどで顔を隠しているから、写真と単純比較するだけでは識別できない。

 そこで、被疑者の写真から三次元顔画像を作成して、防犯カメラなどの画像と同じ角度、同じ大きさに調整して、それを重ね合わせて識別することを可能とした。

 まだ一部の警察署で運用されているに過ぎなかったが、その運用が首都圏に集中しているのは明らかだろう。


「ふうん。だから首都圏が安全だとは言い切れないのか」

「本当に姿を隠したいのであれば、Nシステムの設置場所を掻い潜って、防犯カメラのない地方に行き、地域住民の目の届かない僻地で、金融機関のATMやコンビニを使わずに生活すべきなんだろうけど――まあ、現実問題、無理だよね」

「そりゃあ、無理だわ」

 洋と隆が長閑のどかな口調で問答しているが、よく考えてみると内容は穏やかではない。

「――相手はそれを私的に利用できるような巨大組織だ、ということなの?」

 物思いに沈んでいたとはいえ、さすがに鞠子がそれに気づいた。

「そうだね。四月朔日さんのお子さんの件での大規模な組織行動から考えると、利用可能と考えたほうがいいね」

 と、そこで全員が四月朔日を見る。

 そう。発端をよく考えてみると、四月朔日の娘の拉致事件である。

「皆さん、嫌ですよ。私は大丈夫ですから」

 顔を赤らめながら四月朔日は右手を振った。

 本人はそうやって気丈に振る舞っていたものの、一緒にいた誰もが二週間で全身が少し縮んでしまったような印象を受けるほど、無理をしている。

 鞠子は気を引き締め直した。

 いろいろ諸般の事情が交錯しているようだが、まずは四月朔日の娘を取り戻すことが最優先だ。

 

 そこで、室内にチャイムの音が鳴り響いた。


 それまで手元の本に目を落としていた瞳子は、急いで立ち上がると階下に駈け出そうとした。

「待った! 駄目だよ、瞳子」

 洋が制止する。

「気持ちは分かるけど、駄目だよ」

「……ごめんなさい」

 瞳子は足を止め、口ではそう言っていたが、視線は階下に向かって伸びていた。

 大人たちはそれを、目を細めて眺めていた。

 瞳子が何を待っているのか、全員が痛いほどよく分かっていたが、まだ危険は去ったわけではない。

 来客が『組織の一員』であることを想定しておく必要がある。

 隆は苦笑すると、

「じゃあ、俺が行くわ」

 と言って、階段を駆け下りて行った。

 瞳子は洋から事前に言われた通り、来客時の対策として一番奥にあるトイレと浴室が詰め込まれた一角に隠れると、そこの扉から目を覗かせていた。

 階下から声が聞こえてくる。

 聞き耳を立てるが内容は分からない。

 来客者も事情を聴いているので、あまり大きな声は出さないように注意していた。

 と、そこで何だか慌てたような声がして、誰かが階段を駆け上がってくる音がした。

 鞠子と四月朔日は身構えた。

 しかし、洋と山根は穏やかに笑ったままだった。

 息を切らしてスチールドアから飛び込んできた人物は、小声だが叫ぶように言った。

「トコちゃん、どこ!?」

 聡子だった。

 その声を聞いた瞳子が飛び出してくる。こちらも小声だが叫ぶように言った。

「サトちゃん!」

 二人は扉の前で抱き合ったまま、何も言えずに涙を流していた。


 *


「……で、何だこれは?」

「変装に決まってるだろ」

「――お前の変装についての概念を言語化して説明せよ」

「変装というのはだな、こう、本来の姿を衣装でがーっと覆い隠してだな、相手に本質を見誤らせてだな、その裏をかいてこそーっと行動することだな、うん」

「で、こいつは何だ」

「何だ、って――」

 野沢はそれを手に取ると、胸の前で身体に当てながら言った。

「革ジャンじゃん」

「まさかとは思うが、いまのは冗談のつもりか」

 沢渡が目を細めて凄む。

「何で? これなんか沢渡が着たら全然お前だなんて気づかれないと思って――」

「だからその前提が既におかしいだろ!? 何で俺がこんなパンクロックな格好をしなければいけないんだよ。俺の本質が光り輝くほど凄すぎて、ここまでやらんと隠れないと、そういうことか?」

「あ」

「あ、じゃないよ。サングラスとマスクぐらいで止められなかったのかよ」

「あ」

「だから、あ、じゃないって」

「でも、これなんか可愛いよ。沢渡君なら、似合うんじゃないかな」

 浅月が服を手に取った。赤地のTシャツの胸元に、黒の毛筆体ででかでかと『六根清浄ろっこんしょうじょう』と書かれている。

「何が、どこが?」

「だって、もともと登山の掛け声に使われていた言葉だよ。名前と相性抜群じゃない。沢渡登と六根清浄」

「だから、そこの相性に何か大きな謎を解く鍵でも潜んでいるのかと問いたい!」

「ないわよ、そんなの」

「三好、趣旨をもう一回ちゃんと説明しろよ」

「あ、ああ、分かった」

 部室内の喧騒から一人身を引いて考え事をしていた三好は、名前を呼ばれて我に返った。

「ええと、今回の件はアマゾネス斎藤さんからのメールでの依頼によるものだ。本日午後十五時頃、指定する場所に四人で行ってほしい。変装等によって素性が分からないようにすること。大きな声で話をしないこと。徒歩で移動し、行きと帰りは全員ばらばらになってなるべく小さい道を駆け抜けること。尾行者がいないことを確認すること。尾行者がいたら本指令を白紙撤回し、松本城等に行ってから自宅へ戻ること。目立つ行動はくれぐれも避けること。以上だ」

「ということだ。なあ、野沢」

「なあ、とはなんだ、沢渡」

「目立つ行動は避けろと言われているが、野沢」

「目立つ服装とは言われていないがな、沢渡」

「……」

「……」

「俺がパンクロッカー風の服装で松本市内を歩いた場合、それが目立つ行動ではない確率はどれぐらいあるのかな? 計算して求め給え、野沢君」

「大変申し訳ございません。私が間違っておりました。沢渡様」

 沢渡と野沢の掛け合いに、それを聞いて笑う浅月。

 いつもの格闘技同好会の風景のように見えるが、決してそうではない。

 三好には分かっていた。恐らく沢渡と野沢も分かっていたに違いない。だから、いつもにも増して話が大げさになっている。

 浅月は今回の斎藤からの招集に乗り気ではない。むしろ何かを恐れているような気配があった。

 それは、最初に三好から話を聞いた時の表情の曇り方であったり、話をする時の何ともいえない切れの悪さであったりするのだが、本人は意識していないのかもしれない。しかし、我々三人には隠せない。

 我々三人は、それぐらいよく浅月のことを見ている。


 *

 

 信濃大学格闘技同好会の二年生四名が、斎藤の指示に従って一人ずつ部室を出て行こうとしていた頃。

 松本駅に到着したスーパーあずさから、一人の老人が降りた。老人は、ホームから北アルプスの山並みを『年老いた象のような眼』で眺めると、ぼそりと呟く。

「この件でここに来るのは、久し振りだなあ」

 当初、彼はもっと早い時刻に松本に来るつもりだったが、東京で何人か旧知の人物を訪問して挨拶したために、到着が少々遅れてしまった。

 指定された集合時間は迫っていたが、彼はそれを気にする様子もなく、飄々とした足取りで階段を登り始めた。

 そして、その老人の前をやはり飄々とした足取りで登って行く背の高い男性がいた。

 老人はその男性の動きを、目を細めて見つめる。そして、

「あのー、高砂通りというのはどこにあるんですかな」

 と、後ろからいきなり声をかけた。

 先に階段の上まで到達していた男性はゆっくりと後ろを振り向くと、くしゃくしゃになった癖毛の下にある眠そうな眼を細めて、穏やかな笑みを浮かべながら答えた。

「いやあ、実は私も松本に来るのは久し振りなので、口頭で説明できる自信がありません。高砂通りでしたら、私とちょうど行先が同じなので、目的地までご一緒しましょうか?」

「そうですか、それはご丁寧に有り難う。誠にすみませんなあ」

 老人と男性は肩を並べて歩き始めた。

「ところで、行先は高砂通りのどの辺りですか?」

「ああ、息子から地図が届いておりましてね」

 老人は、古ぼけて見えるが仕立ては最高級のハリスツイード・ジャケットをめくり、中ポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出し、男性に手渡した。

 男性がそれを広げてみると、そこには松本駅から高砂通りまでの道筋が、フリーハンドながら丁寧に書き込まれており、ファックス送信のためか線が微かにぼやけていた。

 それを見た男性は、

「おやまあ」

 と呟く。それから老人の顔をまじまじと見つめた。

 老人のほうは相変わらず象の目で男を見つめている。男性は、

「どうやら自己紹介が必要ですね――」

 と言うと、頭を下げた。老人も同時に頭を下げる。そして頭を上げた二人は、ほぼ同時ににっこりと笑うと、松本駅の東口階段を並んで降り始めた。


 *


 再び、場面は元人形店に戻る。

 しばし抱き合って涙にくれていた瞳子と聡子は、本棚の奥のほうで積もる話を始めていた。応接セットの集団には、山田夫妻が加わる。

「笠井さんの姿が見えなくなってから、周辺の状況をそれとなく調べていました」

 聡子の父、幸一が言った。

「警察のほうは馬垣君が班長となり、榊君と志賀君という新人とでチームを組んでいます」

「志賀――ですか?」

 鞠子はその名前に思い当たるところがないので、眉を潜める。

「県警本部のほうから配属されたようですが、詳しいことは分かりません。私のほうのツテでは限界がありまして」

「いえ、それ以上は望むべくもありません。十分です。有り難うございます」

「それから、精巧社のほうは急遽、総務課長が経理課長を兼任することでしのいでいるようです」

「そんなことだろうとは思っていました。飯島さんは特に何も言っておりませんでしたが」

 洋はそう言いながら苦笑した。

「おや、既に連絡を取られたのですか?」

「公衆電話から会社の直通番号に連絡を入れました。ちょっと飯島さんにお願い事がありましてね、準備に時間がかかるので前倒しする必要がありまして」

「もしかして、三日前に澄江が何やらこそこそとやっていたのもそれでしょうか?」

「その通りです」

「いやあ、本人は隠密行動のつもりでしょうが、性格上隠し事が似合わないので聡子にもばれてました」

 幸一は澄江を見る。澄江は両の拳をぶんぶんと上下に振り、憤慨した様子で言った。

「もう、今日も家を出て百メートルも進まないうちに近所の奥さんに会っちゃいましてね。おや、澄江さんお出かけですか、と声をかけられちゃいました。どうしてでしょうね、こんなに念入りに変装したのに。私って隠し事には全然向いていないのかしら」

 澄江は素性を隠すために、エルメスのスカーフを頭に撒き、大きなサングラスをかけて、夏なのに薄手のトレンチコートを着ていた。

 フランスの昔の映画に出てきそうな服装だったが、小柄で『ぽっちり』としている澄江では、逆に目立って仕方がない。

「澄江さんは個性的ですからねえ。それを隠すには鎧兜クラスじゃないと」

 洋が済ました顔で言うと、澄江は我が意を得たりとばかりにまくし立てる。

「そうでしょう? だからね、自宅にあった西洋の甲冑の模造品を取り出そうとしたんですが、夫に止められました。確かに隠れるが、逆効果だ。澄江だと分からないかもしれないが、甲冑が目立つ、と。まあ、その通りなんですけどね。そこまでインパクトがないと変装にならない私って一体。そんな感じで若干落胆しつつですが、依頼事項はちゃんと完遂しておきました。秘密兵器は本日到着予定です」

「「「「秘密兵器!?」」」」

 鞠子と四月朔日と山根と幸一は、同時に驚いた。

「有り難うございます。彼は何か言っていましたか?」

 洋が澄江に尋ねた。

 澄江は小首を傾げ、右手の人差し指を右の頬にあてると、

「そういえば『どうして一度も会ったことがないのに気がついたのかな』と不思議がっていました。私はその言葉のほうが不思議です。何のことですかと聞いてみましたが、笑って誤魔化されました。はて、何でしょうね、これは。笠井さんに聞いても無駄だとは思いつつ、まあ何時かちゃんと教えて頂けますかしら」

「はい、もちろんです」

「じゃあ、楽しみに待ちましょう。彼にはちゃんと場所と日時を伝えておきましたので」

 そう言い切ると、澄江は持参したポットから紅茶をカップに注いだ。

 彼女はピクニック用とはいえ、かなりの重量があるティーセット一式とポットを持ち込んでいた。

 季節は夏真っ盛りだったが、午後の強い日差しはブラインドで和らげられ、エアコンからは冷気が盛んに流れ出している。その中で飲む温かい紅茶は、意外と心地よかった。

 洋と澄江の問答を聞いていた他の四人は、なんだかすっきりしない気分ながら、注がれた香り高い紅茶を飲む。

「ところで、パパ――今日はいったい何人、ここに集まるのかしら?」

 洋の動きの全体像が把握できていない鞠子は、せめてもの情報収集のつもりで尋ねる。

「そうだなあ。今いるのが私たち三人に四月朔日さん、山根先生、山田さん一家、そして隆の九名だよね」

「まあ、子供まで参加人数に含めるのであれば、そうなるわね」

「この後やってくることになっているのは、信濃大学の四人組と秘密兵器が二名だから、合計で十五名かな」

「ふうん。巨大組織相手に喧嘩する割には少ないね」

「まあ、あまり人数が多すぎるのも情報漏洩が心配だからね。それに危険だし」

「まあ、そうね。危険、と言いながらこの緊張感のなさはどうかと思うけど」

 全員がおのおの紅茶を啜る――が、鞠子が急に叫んだ。

「パパ、何、今の!?」

「何って?」

「だから、今の説明におかしなところがありませんでしたか? 一体何ですか、秘密兵器が二人って?」

「だから、そのものずばりですよ」

「そのものずばり、じゃありませんよ。どこまで謀略好きなんですか!?」

「まあまあ」

 頭から湯気を上げている鞠子を苦笑しながら宥める洋。

 それをにこやかに眺めている関係者一同。

 そして、それを本棚の向こうから眺めて唇を噛む聡子に、それを宥める瞳子。

 いつもの日常が戻ってきた瞬間だった。


 玄関のチャイムが再び鳴らされる。


 瞳子と聡子は急いで奥の浴室スペースに入ると、扉を細く開いた。階下からは玄関のドアを開ける音とともに、応対しているらしき隆の声が途切れ途切れに聞こえてくる。

 その後も断続的にチャイムが三回鳴って、その都度玄関の扉が開けられる気配があった。

 続いて階段を登ってくる複数の足音。

「あのー、すいません。斎藤さんに言われてやってきたのですがー」

 という三好の声と共に、二階のスチールドアが開いて信濃大学格闘技同好会の四人が顔を出した。


 さすがに十三人も揃うと、部屋の中が手狭に感じられる。

 洋は相変わらず事務机の前に座っており、応接セットには鞠子、四月朔日、山根、山田澄江、浅月が座っていた。

 折り畳みのパイプ椅子が出されて、そこには幸一、三好、沢渡、野沢が座った。

 瞳子と聡子は本棚の間に座っている。

 隆はまだ階下で、念のため客を待っていたが、そろそろ時間になるので、上がってくるだろう。

 全員に紅茶が配られ、一口飲んだ頃合いを見計らって、洋が事務机の向こう側から立ち上がった。

「さて、後の二人がまだ到着しておりませんが、そちらはいつになるのか見当がつかないので、話を始めたいと思います」

 全員の背筋が伸びる。

 ほぼすべての事情を知る者。

 ほとんど事情を知らない者。

 さまざまな色合いの目を集めながら、洋は話を始めた。

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