最終章

以下未修正

左手と心臓、右手と頭脳

第十一章 六千年の決着

所変わり、騒ぎの中心。

「一体何が、どうなってやがる・・・・・・」

 誰かに答えを求めるでもなく、才人はひとり呟く。

虚無の担い手達が詠唱を始め、ピラミッドのような角錐から真下の海に光が伸びた。

 直後、異変は起こった。

いきなり海底から光が溢れ出し、一本の太い線となって空へ昇っていった。かと思うと空からは急速に光が消えていき、昼だというのに一気に夕暮れほどの暗さになった。

 このくらいだったらまだ良い。驚いたのはここからだ。

 小刻みに海が震え、ルイズたちのいる岩が光に飲み込まれて急上昇していった。動揺する暇もなく辺り一帯の海も盛り上がり、才人たちの乗る船も激しく揺れた。あわや転覆するという寸前、竜と化したシルフィードに乗って難を逃れたのだ。

 ・・・・・・そして、今に至る。

 才人たちがいるのは海からせり上がってきた大陸の上だった。大陸といっても数リーグほどの広さだ。足元は海のままで、綺麗な色とりどりの珊瑚礁が辺り一面に広がっている。 所々に出来た水溜まりには未だに魚が取り残されており、竜化したままのシルフィードが魚をくわえてきゅいきゅい喜んでいる。

更に言うと、この土地は「陸」というよりも「丘」か「山」に分類されるものだった。

 山頂からは未だに光の筋が伸びており、空から光を吸い取っている。山頂の標高は目測では百メイルほどで、自分たちのいる位置は恐らく麓あたりだろう。

 シルフィードに連れてってもらうことも考えたが、これだけの人数を乗せては飛ぶことはできない。何人かに「フライ」を唱えてもらえばいいとも考えたが、どうやらこの山一帯は何らかの理由で細かい魔力の制御ができないらしい。

 結果、才人たちは山を歩いて登るしか方法はなかった。

 ここから二人の主人の顔は見えない。状況が知りたかった。心配だった。一刻も早く、駆けつけたかった。

「早く行かねえと・・・・・・」

 才人はひたすら道を急ぐ。きっと頂上に、ルイズとティファニアはいるはずだ。

 ・・・・・・このとき才人がここまで焦燥に駆られた理由は、儀式が始まる直前に才人に笑いかけたルイズの表情が、どうしても頭から離れなかったからだった。

 あの微笑みは、どこかで見覚えがあった。しかし才人はそのとき、思い出すことができなかった。それを問いかけようとする前に儀式は始まり、機会を逸してしまった。

だが、いまなら思い出せる。

 あれはロマリアでデートしたとき、何度も浮かべていた笑顔。

 自分のためにルイズが自らを犠牲にして、それでも故郷に帰そうと必死になって作った笑みと同じものだった。

 気のせいかもしれなかったし、単なる自分の見間違いかもしれなかった。でもルイズがあの時と同じようにまたひとりで悩みを抱え込んで、辛くて苦しんでるのかもしれないと考えると、いてもたってもいられなかった。

 しばらく歩き、もうすぐ山頂だという所。と、そこで才人は歩みを止めた。岩場の影から人影が伸びているのに気付いたからだ。

「諸君、無事かい!?」

 出てきたのは、ジュリオだった。 

「・・・・・・まったく、事前に知ってたなら少しくらい説明してくれてもいいじゃねえかよ!」

 ジュリオは頭をかき、申し訳なさそうに目線を下げる。

「すまない、急ぎすぎて説明を忘れていたんだ」

「わかった。で、この方向にルイズたちはいるんだよな?」

「ああ、でも遙か上空にいるよ。儀式が終わるまでは岩の上から降りることはできないから、いま空が飛べない君たちには無理な話だぜ?」

「それだけ聞けば十分だ、行くぞみんな」

 促す才人を、ジュリオは引き留める。懐からビー玉くらいの水晶を取り出すと、ジュリオは空中に放った。ジュリオが指を弾くと水晶玉は砕け散り、空中に霧散した。

「まあ待てよ、状況くらい把握していったらどうだい?」

 砕けた水晶と空気が混ざり合い巨大なスクリーンとなり、空に映像を映し込む。

「余計なお世話かも知れないが、これが君たちを散々に振り回した僕にできる最大の手向けだよ。遠慮はいらない、受け取ってくれ」

 ガリアで見たときのように滲んだ色彩が次第に形を取っていき、四つの岩とその上に乗る担い手たちに変わっていく。ルイズとティファニアの姿も映り、学院のみんなは胸をなで下ろし、才人は長い一息をついた。どうやら無事だったようだ。 

「よかった、それじゃ俺たちも・・・・・・」

 言いながら才人は足を踏み出す。 ・・・・・・しかしジュリオはため息をつきながら、前に出ようとする才人を手で制した。

「どうした、まだなにかあるのか?」 

「・・・・・・悪いね、君たちを聖下の元へ行かせる訳にはいかないんだ」

「・・・・・・何だと?」

 才人が疑問を口に出すのと、画面に映るルイズが崩れ落ちたのは同時だった。

「ルイズ!!」

 才人は胸のルーンが光っていないことを確認する。だが、ガンダールヴの右目に主人の危機は映らない。

「なんだよこれ、どういうことだよ!」

それどころか、手の甲に刻まれたガンダールヴのルーンも同様に点滅して端から少しづつ消えていく。今までこんなことはなかった。

 霧散した水晶は次第に空気に溶けていき、スクリーンは消えて無くなる。

 混乱する才人の思考は、自ずと目の前の神官に定まる。

「おいジュリオ、お前・・・・・・」

「おいおい、何でも僕のせいにするのはよしてくれ。言っただろ、手向けだって。この映像に嘘はないし、少なくともきみの主人に何かあってもそれは僕らのせいじゃない」

「テメェ!!!!」

掴み掛かろうとする才人の手を払うと、ジュリオは手に持った風石を才人の胸に押し当て二言三言呟く。空気が爆発するように膨張し、才人の身体を吹き飛ばす。

 緩やかな斜面を転げ落ちる間にも、才人はリーヴスラシルを発動させる。

 身体の回転を止め、立ち上がって距離を詰めてくる才人に臆する様子もなく、ジュリオは独白を続ける。

「悪いね、細かいことは僕には言えないんだ。自分の目で確かめてくれと言いたいところだが、それもさせてあげることはできない。きみがそれを知ったら儀式の邪魔をするのは火を見るよりも明らかだからさ」

ジュリオが懐を再び探る様子を見て、デルフリンガーが鞘から出て叫ぶ。

「イヤな予感がする! 相棒、そいつにそれを出させるな!!」

 才人は一切の躊躇無しに、踏み込みざまに込日本刀の峰をジュリオの脇腹目掛けて振りかぶる。バキボキと骨を折る感触が刀を伝い、ジュリオは膝から崩れ落ちる。

 後味の悪さを感じながらも、才人はジュリオに背を向けて先に進むことにした。立ち止まる暇はない。こいつらの手のひらでまた、踊らされるわけにはいかない。

 自分たちに隠すことに一体何のメリットがあったのか。それどころか、ここまで来ると彼らが掲げる本当の目的すらも疑わざるを得なくなってしまった。

 何にせよ、いま自分たちが取るべき行動は山頂を目指してひたすら進むだけだ。

 しかし、背後から感じる気配はそれを許してくれそうもなかった。

 才人はゆっくりと振り返った。先程自分が地に沈めたはずのロマリアの神官は、何事もなかったかのように平然と立っていた。

 冷静に考えて、有り得なかった。命を奪うとまではいかなくとも、人ならばまず立ち上がることなどできないほどの負傷を才人はジュリオに負わせたはずだ。

 ・・・・・・そう、人ならば。

 才人は立ち尽くしているジュリオを注意深く見る。その瞳はどこか虚ろで、生気を感じさせることはない。才人は瞬時にスキルニルと見抜いた。

 「サイト、後ろだ!」

 ギーシュたちの言葉で背後の気配に気づき、振り向きざまに才人はポケットから取り出した自動拳銃を至近距離で放つ。手応えは十分にあり、銃を構えていた月目の少年は打たれた腹を押さえ、血を吐きながら倒れた。しかし銃弾が腹に埋まったままの状態でも、やはり再びテレビの逆再生のように不自然な動きで立ち上がってくる。

「残念、それもハズレだ」

「面白いだろう? スキルニルを改良して、自分の意思を伝えて行動に移すことができるようにしたのさ」

「しかも“水”の力も付加してみた」

「お陰でほら、骨をどれだけ折られようとも、腹に風穴を開けられてもすぐに治る」

「こんなことができるなんて、やっぱりミョズニトニルンの力は凄いな」

「きみもそう思わないかい?」

二人のジュリオが交互に話を始めた一瞬の隙を突き、才人はギーシュたちに山頂へ行くようにと視線で合図を送る。

 こんな奴にかまけている時間はない。スクリーンに映ったルイズの姿。ジュリオの言葉が嘘でも、既にガンダールヴの最初の1文字の半分は才人の手の甲から消滅していた。

ギーシュたちがタイミングを見計らい駆け出した足音と同時に、才人は二人のジュリオの手首、足首に的確に銃弾を撃ち込んだ。そしてそのまま、才人も走り出す。

 足の再生はすぐに始まるだろうが、恐らく彼らはすぐには動くことができない。ジュリオのスキルニルに付与された水の力は弱いらしく、才人が拳銃で撃ったジュリオは傷は治っても、銃弾が体外に排出される様子は無かった。

ならば、関節と関節の隙間に弾をぶち込めば、少しは動きを制限できるはずだ。

 そんな才人の予想は当たったようで、二人のジュリオは傷を塞いでも動き出すことは無い。片方のジュリオが構えていた銃からも、既に才人は射程からは逃れている。

「人の話は最後まで聞くもんだぜ?」

「せっかくきみのために作ったんだ、楽しんでってくれよ」

 後ろから声をかけるジュリオたちを無視し、才人が更に速度を上げようと足首に力を込めた瞬間、それは起きた。

「・・・・・・がッ!」

 血液が沸騰したかのように身体の芯から熱が沸きあがり、才人は膝から崩れ落ちる。心臓の鼓動がやけに大きく聞こえ、自らの身体の状態の危うさを伝えている。

くそっ、こんな時に! 

 動いてくれと願うが、身体からはどんどん力が抜けていく。才人が取るべき行動は最早一つしかなかった。

「・・・・・・おいみんな、ルイズとテファの所へ! 俺はいいから早く!」

 才人は力を振り絞り、自分を心配するギーシュたちに声を飛ばす。それが身体に触ったようで、もう指一本動かすことも叶わない。才人は地に沈んだ。

「サイト!」

「早く行くんだミスタ・グラモン! サイト君の言葉を裏切るつもりか!!」

 走り出す仲間たちを傍観する才人の前に、更にもう一人のジュリオが現れた。またスキルニルかと思ったが、瞳の色が明らかに違う。本物のジュリオだった。

 ジュリオは顔を手のひらで覆い、悲しげに首を振る。

「そいつも出来ない相談だ」

 ジュリオはそう言うと共に手を振り下ろす。直後、地面から体長10サントほどの魔法人形が無数に湧き出て、コルベールたちを囲んだ。彼らは応戦するが、小型の分数が多い上すばしっこく、火の玉も氷の槍も風の刃もかわされ、杖に魔力の刃を纏い切っても再生されるのでどんどん追いつめられていく。

「兄弟、失礼だが胸のリーヴスラシルを見せてもらう」

 ジュリオはうつぶせになった才人を二人のスキルニルに転がさせ仰向けにすると、血のりのこびりついた才人のパーカーをたくし上げ、光り輝くルーンを凝視する。

 才人は手を震わせながらも、それでも何とか拳銃をジュリオの懐に突きつけ、迷わず引き金を引いた。血だまりの中にジュリオは沈むが、またそれもいつの間にかスキルニルにすり変わっている。

「てめえ何しやがんだ! おいこの腐れ神官!!」

一人のジュリオが罵声を飛ばすデルフリンガーを才人の腰から自分の腰にすげ替え、もう一人のジュリオが拳銃を握り込む手を蹴り上げて弾き飛ばし、更にもう一人はもう武器を持っていないか才人のパーカーやズボンを確認し、本物のジュリオは才人から距離を取る。

「きみは僕には勝てないよ。だって、この世界の人間じゃないから」

「・・・・・・関係ないだろ」

「きっと、きみの世界には争い事が身近に無かったんだね。大切なものを守るためには時には人を殺めなければならない。それが家族でも、親友でも、恩師でも、他人でも、・・・・・・大切な人でも。きみはそんな経験をしたことがなかったんだ」

「・・・・・・あるわけないだろ。むしろそっちの方がおかしいんだよ」

「だから今だって胸や頭じゃなくて腹を狙った。殺すのなら一番そこが確実なのに」

「・・・・・・」

「敵どころか敵の姿をした人形にすら、無意識にその甘さを振りまいてしまう」

「・・・・・・何が言いたいんだ」

 口々に言葉を続ける4人のジュリオに問いかけて時間を稼ぎながらも、才人は自分の身体と仲間たちの状態を把握して反撃の糸口を見つけようと必死になっていた。息も絶え絶えと言う口調で話してはいるがもちろん演技で、リーブスラシルの再生で手も足ももう動くようになった。みんなにも目立った外傷を負った様子はない。

 しかし武器は押収され、仲間たちにも疲労の色が見える。あれだけ派手なドンパチを続けているなら、精神力はもうほぼ残ってないと見ていいだろう。

「時間稼ぎはもういいかい?」

「!」

 才人は言葉と共に跳ね起き、身体を捻ってリーヴスラシルで底上げした右拳をジュリオに繰り出す。常人ならば数十メイルは吹き飛ぶであろう一撃。避けられようはずもない。

 しかし、先程拳銃を蹴り飛ばしたスキルニルが素早く間に割り込み才人の拳を受けた。

 当然、拳は深く腹にめり込んだ。骨が軋みに耐えられず折れ、柔らかい何かが潰れていく様子が今度は直接才人の手に伝わる。

 「くっ!」

 血を吐いて倒れていくジュリオから腕を引き抜こうとする才人を、残った二人のジュリオが拘束する。その間にも倒れたスキルニルは復活して立ち上がる。

「無駄だよ。僕の改良したスキルニルにはその程度じゃ傷一つつかない」

「どうしても止めるなら・・・・・・」

 スキルニルがそこまで言うと、本物のジュリオが懐から両刃のナイフを取り出した。

そして、それをそのまま立ち上がったばかりの自らの姿をしたスキルニルの腹に刺した。

 ・・・・・・じわりと服が朱に染まり、スキルニルは倒れる。荒い呼吸で必死に再生を試みる自分の人形の身体を、ジュリオは躊躇うこともなくナイフで滅多刺しにした。

 辺りを血に染めながら、スキルニルは何度か痙攣を繰り返し・・・・・・動かなくなった。

「・・・・・・とまあ、このくらいはやらないと無理なんだ」

「それじゃあさっきの質問に答えよう」

 唖然としている才人をよそに、本物のジュリオは足元に転がる自らを見下しながら言う。

「・・・・・・大事なものを守るために人の道すら踏み外す覚悟がない甘い男が、仲間に刃を向けられるかな? きみはどう思う?」

 次の瞬間、仲間たちを取り囲み足止めしていた人形が一斉にジュリオたちの元へ戻った。

 おかしい。あれだけ優勢だったのに、なぜあの人形を呼び戻す必要があるのだろうか?

 時間稼ぎを見透して、なんでわざわざ自分の切り札を晒して説明してやがる? 

 きっと、俺にその覚悟がねえと思ってなめてるのだろう。 

 さっきはああ言ったが俺もそれなりの修羅場をくぐってきたし、誰よりも大事な恋人を守るために、敵になったお前の姿をした人形くらいは殺める覚悟くらいはある。 

 だが、切れ者のこいつらがそこまで考えていない筈はない。

 ならばなぜ、ここまで見て取れるほどに余裕を見せている?

 すぐにその違和感の答えを、才人は身をもって知ることとなった。

 ジュリオは帰って来た人形から何かを取ると次々と人形たちを消していき、自分の分身すらもデルフリンガーと拳銃を受け取ると消してしまう。

 代わりに、また懐から別の人形を取り出してなにやら呟く。

 人形が膨らみ始め、徐々に人の形を取っていく。 

「・・・・・・ウソだろ」

「そうでもないさ。どんなことだっていつでも起こり得る」 

 ジュリオは詠唱が終わった人形を次々と地面に放る。キュルケ、コルベール、タバサ、マリコルヌ、ギーシュ・・・・・・。人形たちは姿を変えていく。

「スキルニルと君たちの血を使って、君たちの分身を作らせてもらった。きっと、君たちのいい遊び相手になってくれる」

「そんな馬鹿な、我々は一度もきみに血液を提供してなど・・・・・・」

 そこまで言うと、コルベールは何かに気付いたのか自分の身体を確認し始める。

そこには予想通りに、小さな、本当に小さな傷が足首に付いていた。

「どうだい、切られたことすら気付かなかっただろう? 当然さ。ロマリアがその麻酔薬を調合するのに、どれだけの手間と時間をかけたか知ってるかい?」

「・・・・・・いったい」

「ん?」

「一体どれだけの人間を振り回して馬鹿にしたら気が済むんだテメエらは!!!」

 淡く光る胸のルーンが輝きを増していき、怒りのままに才人はジュリオに突っ込む。

才人に向けて矢のように魔法は飛んでくるが、どれも才人には当たらずに見当違いの方向へ飛んでいく。飽きるほど見てきた仲間たちの魔法。杖を振る動作や仕草で、どの魔法がどのタイミングで飛んでくるのかは分かりきっている。才人は余裕を持って避けることが出来た。

 追尾してくるキュルケの“火球”と真正面から放たれたタバサの“氷槍”を身を翻して衝突させる。威力が相殺された上、膨大な熱量と水分のため発生した水蒸気が辺りを包む。 その隙を突き、才人はスキルニルたちの杖を砕く。人形を無力化すると、才人は足を止めずにジュリオと距離を詰める。視界を封じたが、才人には手に取るように霧の中が分かる。あとわずか数十メイル。

 しかし、ジュリオはスキルニルたちを呼び戻して迎撃させる様子も、新しい道具を使う様子もない。またスキルニルの影武者かと思ったが、どうやらその様子もない。

 ありったけの力を込めて拳を握り、才人がジュリオに殴りかかろうとしたとき、胸のルーンが再び騒ぎ始めた。抗うことすら出来ず、固く握った才人の拳は空を切る。

 再び崩れゆく才人に、スキルニルたちが群がっていく。才人を助け出そうと仲間たちが放つ魔法を、それぞれのスキルニルがまったく同じ動作で、同じ魔法で迎え撃つ。そのお陰で誰一人、才人の元までたどり着くことはできなかった。

「最後に教えてあげるよ。きみの胸のルーンが痛み出すのは、きみが主人の負担を肩代わりしてる証拠さ。彼女の負担が酷い分だけ、その間隔も短いものになる」

 どうやら、目の前の神官は自分の身体に異変が再び起こるのを知っていたようだった。

「言い忘れていたけど、さっききみの胸のルーンを見てわかった。きみの主人は、ルイズは死ぬかもしれない。大変残念なことだがね」 

 そこでジュリオは一つ、ため息をついた。演技ではなく、苦悩に満ちた長い一息だった。

「・・・・・・悪いとは思ってる。本当さ。でもどれだけの犠牲を払うことになっても、僕たちは“生命”を成功させなきゃいけない。こうでもしなきゃハルケギニアに明日はないんだ」

そう言い残すとジュリオは広げた両手にそれぞれ風石を持ち、魔力を一気に解放した。 強烈な風が起こり才人を転倒させ、ジュリオは凄い勢いで滑るように無音で後退し才人から離れていく。リーヴスラシルが影響する時間まで知っているらしく、ジュリオが肉眼で見えるか見えないかと言うほどの距離を取ると同時に才人は動けるようになった。

「・・・・・・でも、きみは僕たちの事情なんて関係ないんだろうね。だからこれは餞別さ、左手が寂しいなら受け取ってくれ。 どうだい? ここからでも僕の声は聞こえるかい?」

ああ、はっきり聞こえてるよと思いながら、才人は突然目の前に現れた諸刃のナイフを掴む。スキルニルの赤黒い血のりが柄にも刃にもこびり付いていたが、そんなことはどうでもいい。ガンダールヴのルーンは、既に半分ほど左手の甲から消滅している。

時間はもうない。早くこいつを片づけて、“生命”の詠唱を止めさせなければならない。

「この場所には前々からちょいと細工を施してあってね、ここ一帯には魔力が充満してる」

 ガンダールヴに武器を送ったことを後悔させてやると、才人は二つのルーンを兼用して走り出す。リーヴスラシルもガンダールヴも出力は酷使のためにだいぶ落ちているが、それでもこの距離なら5秒あれば詰められる。 

 雄叫びを上げ突進してくる才人に怯むことなく、ジュリオは懐から人形を取り出す。

「・・・・・・だからほら、こんなことだってできる」

 更に仲間たちが出てきて、才人の前に立ち塞がった。先程の教訓か、スキルニルたちは広範囲にばらけて次々と強力な魔法を唱えてくる。杖を折って無力化することも今回は叶わなかった。一定距離以上才人が近付くと、スキルニルたちは自らの身体を使い杖を守るのだ。これではどうしようもない。

 キュルケの“火球”が、タバサの“氷嵐”が、マリコルヌの“風刃”が、ギーシュのワルキューレが才人を襲う。

 ・・・・・・杖や詠唱の癖で何の魔法が来るかはほぼ分かっていた。

 しかし、今の才人には飛んでくる魔法を避ける余力は無かった。人体の限界まで過剰に駆使した身体に悲鳴をあげさせながら、才人はギリギリの所で致命傷を避け進んでいく。

 才人から一番近いところにいたスキルニルは、ギーシュだった。飛んでくる魔法を避けようとする瞬間に土の手で足首を掴んでくるので、やりにくいことこの上なかった。

大丈夫、これはスキルニル。ギーシュじゃない。

 周囲に侍らせているワルキューレを切り裂きながら、才人はギーシュに接近していく。

一撃じゃだめだ。大量のダメージを与えなければスキルニルは止まらない。

 紅に染まった刃を、才人は親友の姿をした人形の心臓目掛けて振りかぶる。

  “サイト!”

 陽気なギーシュの表情と声が才人の頭を過ぎり、思わず手が止まる。しかしその隙を人形は逃さない。才人は背後からワルキューレの一太刀を浴びせられる。 

「ぐうっ!」

「サイト君、惑わされるな! 私たちは今ここにいる! きみが相手をしているのは只の人形だ、気に病むことはない! ミス・ヴァリエールのことを考えろ!!」

 精神力が底をつき、それでも懸命に才人を守ろうと感情を魔力に変えて仲間たちは自らの分身と戦ってくれている。ここで怖じ気づいたら、彼らに合わせる顔がない。

 「サイト、やるんだ! それは僕じゃない!!」

 友の言葉を聞き、才人は再度同じ姿をした人形に向き直り、その胸を横一文字にナイフで薙ぐ。大量の鮮血が辺りに撒き散らされ、才人の心を狂わせようとする。

 刃を向けるたび、仲間たちの笑顔と声が才人の脳裏にへばりつく。

 “サイトォ”興奮して今にも風魔法を唱えそうなマリコルヌの声が。

 “サイトー”キュルケの気の抜けた間延びする声が。

 “・・・・・・サイト”タバサの静かで、少し恥ずかしがるような声が。

 “サイトくん” コルベールの優しく、温かい声が。

 「ちくしょう・・・・・・ちくしょうちくしょうちくしょう!!!」

 次々とスキルニルを血だまりに沈めていきながら、才人は遠目に仲間たちの表情を伺う。 彼らは戦闘に集中しているように見えた。そして、そんな態度を取らせてしまうことが才人はどうしようもなく心苦しかった。

自分の姿をした人形が無惨に殺されるのを見て、断末魔の声を聞いて何も思わないわけがない。それでも才人に気を遣い、悟られまいと必死にごまかしているのだ。

「ジュリオォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!」

絶叫しながら群がるスキルニルを薙いでいく様子を見て、ジュリオも瞳や挙動に映す余裕を無くす。瞬時に大量のガーゴイルと魔法人形をを辺りに展開し、時間稼ぎの軍勢を作り出す。才人が人形を切り倒していく間に、ジュリオは指笛を吹く。空に映る小さな点がが徐々に大きくなっていき、才人にはそれがジュリオの風竜、アズーロだと分かった。

 まずい。いま空に逃げられたら一巻の終わりだ。

才人は焦る。軍勢を飛び越すと言う手もあるが、空中に逃げ場はないからその時点でただの的と化す。しかし才人がナイフを一閃して五人の魔法人形を倒そうとも、ジュリオが

すぐに人形を補充するのでなかなか前には進まない。

 風竜アズーロが、もう眼前に迫っている。あと数十メイルが近いようで遠い。

 間に合わない。後方で分身と戦うシルフィードに乗っても、飛ぶことが専門の風竜には追いつかない。

 ・・・・・・しかしアズーロに飛び乗る際、ジュリオの腰からデルフリンガーが滑り落ちた。

 ジュリオが慌てて掴んだが、なにやら様子がおかしい。ヴィンダールヴの右手は光り輝いているのに、ジュリオはアズーロを飛び立たせる様子を見せない。

「今だ相棒! 早くしろ!!」

「! アズーロ、早く飛べ!!」

「おっと、そうはいかねえ!」

 デルフリンガーはジュリオを操り、アズーロの背中に自身を深く突き立てさせる。苦痛に風竜が吼え、主人を振り落として飛び去っていく。

「アズーロ! ・・・・・・くっ、この剣の分際で!」

 デルフリンガーの支配が解けたのか、ジュリオは掴んでいた日本刀を放る。しかしもう遅い。才人とジュリオの間にあるのは、たった五体の人形だけ。

 才人がその五体を一瞬にして切り伏せるのと同時に、ジュリオがすぐさま次の人形を展開し、自らの盾にしようとする。しかし出せても2,3人の魔法人形。刃はすぐに届く。

ガンダールヴのルーンは、もう残り三文字しかない。

 才人は焦っていた。だから現れた一人の人形を、躊躇うことなく才人は斬りつけた。

 そう。それが最愛の恋人とも知らずに。

「サイト、どうして・・・・・・?」

 才人の一太刀を受けたルイズは、驚愕に目を見開いて崩れ落ちる。

 分かっている、これがスキルニルだってことくらい。

 それでも、才人は身体の震えを収めることが出来なかった。

 傷つけてしまった。誰よりも大切な人を。一番、守ってやらなきゃいけない人を。

 ・・・・・・才人が仲間の姿をしたスキルニルを殺せたのは、仲間たちの言葉があったことと、スキルニルが才人に明確な殺意を持つ“敵”であったからだった。だから才人は人形と割り切ることができ、辛うじて剣を振るうことが出来た。

 だからこのとき、才人の中では既に何かが音を立てて壊れてしまっていた。目に映る光景すべてが虚ろになっていく感覚。目の前のジュリオでさえ視界に入らない。

 動けよ! 頼む!! ・・・・・・動いてくれ!!!

 理屈では分かっている。身体も動かせる。だが心だけが横たわる只の人形の姿を、才人の取った行動を全否定する。

 ただ立ち尽くし虚ろにルイズのスキルニルを眺め続ける才人を、ジュリオは複数の魔法人形で拘束し始める。その様子を見た仲間たちが何事か叫ぶが、才人の耳には届かない。 仲間たちが余所見をした一瞬の油断を突き、スキルニルが攻撃を仕掛ける。自らの魔法を各々がまともに食らい、危うい均衡はあっという間に瓦解してしまった。

「どうだ? 愛する人を傷つけた気分は? 楽しいのか? 嬉しいのか? どうなんだ?」

 つかつかとジュリオは才人に近寄り、その胸ぐらを掴み上げる。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「何か言えよオイ!!」

 無言を貫く才人の顔面に、ジュリオの握り締めた拳が飛ぶ。

「自分たちだけが犠牲になってるなんて思ってるんだろ!? 俺たちが人を傷つけるのが好きで好きでたまらない人間だとでも思ってるんだろ!? 違う! この儀式で一番死ぬかもしれないのはジョゼットなんだよ!!」

 叫びながらも、ジュリオは殴ることを止めない。

「なんで俺たちがこんな運命を背負わなきゃならないんだ! 恋人と世界なんて選べるわけがないのに! ただひたすら俺は成功しろと祈ることしかできない!」

 いつの間にか口調は傲慢だった少年時代のものとなり、陽気な表情を貼り付けた仮面も剥がれている。拳に乗った悲しみが、才人にどうしようもない彼の心中を語る。

 そして、才人は為すがままされるがままにそれを受け止める。

悔しかった。憎かった。でも、誰を恨めばいいのか分からない。誰も悪くはない。

 ああ・・・・・・。

 自分の手にかかり崩れたルイズの姿が、脳裏に焼き付いて離れない。

 結局、俺は無力なんだ。

 自分のために道を切り開いてくれた仲間たちにも、一番助けを求めているハーフエルフの女の子にも、一番守らなきゃならない最愛の恋人にも・・・・・・何もしてやれなかった。

 誰も、誰一人、俺は守れやしねえんだ・・・・・・。

「・・・・・・最後に、教えてくれ・・・・・・」

 消え入るような掠れた声で囁く才人。その様子を見て、精神と肉体が限界に達したと悟ったジュリオは殴るのをピタリとやめた。

「・・・・・・何をだい」

「お前らは一体、何をするつもりなんだ・・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・それはね・・・・・・、」

 ・・・・・・ピシ・・・・・・ピシピシ・・・・・・

「・・・・・・?」

ジュリオは口を開いたが、突然発生した耳障りな音に気付き顔をしかめる。才人も音のした方向を見て息を呑む。固い岩盤には次々と割れ目が入り、亀裂は大きくなっていく。


 そして、“それ”は現れた。

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