一年前~日本某所 『ムネナシ』と呼ばれる少女②

「はぁ、今日もまた、つまんない奴らを倒しちゃったなぁ……」


 千沙菜は、ようやく目的地に着いて溜息一つ。


 『井伊野いいの流実戦護身術道場』と看板の出た門扉を構える立派な日本家屋。それは、かつて千沙菜が学び、免許皆伝で卒業した道場でもあった。


 インターフォンを押すとパタパタと足音が聞こえ、ほどなく門が開く。


 大きく胸を弾ませながら現れたのは、千沙菜より少し背が高い程度の小柄な少女だった。但し、その胸部だけは千沙菜とは比べるべくもないサイズであるが。


「いらっしゃい。どうぞ」


 ふんわりした肩までの髪に若干垂れ気味の目の道場の娘。千沙菜の親友にしてFの乳房を持つ中学生、井伊野いいの合歓子ねむこだ。


「しっかし、なんで学校帰りにねむちゃんに向かうほんの十分ほどの道程で、三回も不良共に出くわすかねぇ……」


 合歓子の部屋に通されて、千沙菜は早々に愚痴っていた。


「相変わらずちぃちゃんは不良さん達にモテモテねぇ。なんか妬けちゃうなぁ」

「人を不愉快な仇名で呼びやがるあんな連中にモテても、ぜんっぜん嬉しくない!」

「え~、『ムネナシ』って、なんかジブリのキャラみたいで可愛いよぉ?」

「そういう問題じゃない! それに、最近じゃ余りにもその名が広がり過ぎて、もう誰も彼もその名で呼ぶんよ? 学校の友達は勿論、下手すりゃ教師までその名で呼ぶんよ? さっきなんかカツアゲから助けた見知らぬ学生やら、公園で遊んでた子供達にまで呼ばれる始末! もう、堪ったもんじゃないっ!」


 そう、千沙菜にとって『ムネナシ』という呼び名は、その肉付きのない胸の軽さに反比例するかのような重い十字架となっていたのだ。


「でも、胸があっても大変だよぉ? 男の子からいやらしい目で見られるし、重いし、肩凝るし、何より邪魔になって動きにくいし」

「うわ、巨乳定番の台詞! こぉの乳セレブがっ!」


 千沙菜は言うや合歓子の両乳を正面から鷲掴みにし、Fだけにファンタスティックな感触を確かめる。


「あ、あひゃぁ……あ、あぁん♪」

「くぅぅぅぅ、この一割でもあれば、あんな不名誉な呼び名払拭できるのに……」


 存分に揉みしだいた掌に残る感触に、千沙菜は切なくなる。


「ハァ……もう、そんなに嫌なら、わざわざ名が売れるようなことしなきゃいいのに……」


 千沙菜から解放された合歓子が、呆れたように口にする。


「そんな訳にはいかないんよ! 免許皆伝で卒業して力を手にしたからには、その力でみんなを護らんと!」

「ちぃちゃんの言いたいことは解らないでもないけど、でも、そもそもうちの道場は『井伊野流実戦護身術』で、『実戦』とはいえ『護身術』だよぉ?」

「だから、困ってる人の身を護ってんじゃない! あたしは『護身術』っていうのは最終的には『みんなを護るための力』だって思ってるんよ!」


 呆れたような合歓子のツッコミの言葉に、千沙菜は独自の解釈を自信満々に返す。


「当の道場の娘が聞いても斬新な解釈だけど……まぁ、確かにそれなら『護身術』といえなくもないわねぇ。ちぃちゃん、アニメとか特撮のヒーローとか好きだしねぇ。そういうのに憧れてるんなら、それを貫いたらいいとは思うよぉ」


 応える合歓子の言葉には若干の諦めが滲んでいた。


「うん、みんなを護るヒーローみたいな存在になってこそ、免許皆伝した甲斐もあるってものよっ!」


 千沙菜は、そんな合歓子の様子には頓着せずに、熱い想いを迸らせる。


「って、そんな話をしに来たんじゃなかった!」


 そこで、ようやく千沙菜は本題を思い出す。すっかり話が脱線していたが、そもそも今日は合歓子から相談があるということで、学校帰りに家を訪ねたのだった。


「ああ、やっと本題に入れるね。相談っていうのは……」


 言いながら、合歓子は一冊のパンフレットを取り出す。


「この春で、とうとうお互い受験生になっちゃった訳だけど、高校は一緒にここを受けるってどうかなぁ、と思って」


 千沙菜が受け取って開いてみると、それは開設から三年目というまだまだ新興の高校のパンフレットだった。ここから特急電車で三時間程度の距離を隔てた港町。海を臨む山の上にある学園とのことだ。


「な、なんかすごいとこね」

「うん。麓の街からもバスで一時間っていうから、かなり辺鄙なところだろうねぇ。でも、学園長が資産家で、お金にものをいわせて結構な設備を整えてるみたいだよぉ」

「確かに、設備は整ってそうだけど……こんな山の中ってのはどうなんだろ?」


 パンフレットの写真を見ながら、千沙菜は煮え切らない返事。


「さっきも言ってたじゃない、不愉快な仇名で呼ばれたくないって。それなら、いっそこれぐらい思い切った立地の学校って選択もありじゃないかなぁ? 流石に、こんなところまで呼び名は広がってないでしょぉ?」

「そりゃ、こんな遠方までは流石に広まってないだろうけど……」

「わたしは、高校こそはちぃちゃんとおんなじところにって思ってるんだよぉ。まだ卒業生が出ていないような新しい学校って面白そうだと思うし、ちぃちゃんはこの街でのしがらみから解放される。この学校はお互いにとって悪くない選択だと思うんだよぉ?」

「まぁ、ねむちゃんと同じ学校に通いたいとはずっと思ってたかんね……」


 千沙菜は、幼い頃に『井伊野流実戦護身術道場』に入門した。


 合歓子は小学校高学年になる頃に辞めてしまったが、それまでは共に稽古に励んだ仲間だった。道場に同年代の女子は他にいなかったので、二人は自然と仲良くなり、親友同士となったのだ。


 しかし、お互い近所ながら家と家の間に学区境を挟んでいたために、小学校も中学校もずっと別々だった。だから、同じ学校に通いたいという想いは、千沙菜も同じ。


 だが、それでも、引っかかるものがあった。


「でも、あたしがいなくなったら、あの不良共が野放しになるってことだし……」

「こっちの高校に進学したとしても、いつまでもちぃちゃんが護ってあげられる訳じゃないよねぇ? 今だって、全部が全部、護れてる訳じゃないでしょぉ?」

「そりゃ、確かにそうだけど。でも、裏返せば護れる範囲では護ってはいる訳で、護れるのに護らないのは、気持ち悪いというか……」

「何も、ちぃちゃんがそこまで背負う必要はないと思うよぉ? 困ってる誰かのためばっかりじゃなくて、ちょっとは自分のためを考えようよぉ。新しい場所で大人しくしてれば、悪目立ちして嫌な仇名で呼ばれることもなくなるでしょぉ?」

「そ、それは……」


 合歓子に見つめられ、言葉を失う。


 誰かの身を護る力が招く戦いの日々自体は、誇らしいものだ。


 だが、それが切っかけで広められた不愉快な仇名が、我慢ならない。

 誰が呼んだか名付けたか、不良共が千沙菜に与えた『ムネナシ』という二つ名。

 名字の『音無』と某ジブリキャラを悪魔合体させたかのような、人の身体的特徴を論う不埒な呼び名だ。千沙菜が活躍すればするほど、武勇伝と共にその名は広まった。


 結果、誰もがその名で呼ぶことが当たり前となってしまうほどに。

 今や、千沙菜がムキになってツッコんでも、それはもう『お約束』の域。

 誰も呼ぶことを止めようとはしない。


――でも、この街を離れれば、もしかして?


「……そうね、こういう選択も、悪くないかも」


 悩んだ末に、千沙菜は合歓子の提案を受け入れようとした。


 が、パンフレットの一点を見て驚愕する。

「って、偏差値高っ!」

「うん。そりゃ、新設だと実績が欲しいからできる人を集めたいっていうのは自然だよぉ」


 千沙菜は、三つ編み眼鏡と見かけだけは優等生っぽい。


 だが、眼鏡はコンタクトが嫌いだから。

 髪型も『余りにも胸がないために髪を伸ばさないと男の子と間違われる』という哀しい理由で伸ばした長い髪を、邪魔にならないよう三つ編みにしてまとめているに過ぎない。


 そんな訳で、外見と中身に因果関係は全くなく、その成績は中の下。

 記された偏差値は、今の千沙菜の成績ではかなり厳しい値だった。


 対して、合歓子は成績優秀なので余裕がある。


「あ、あたしの成績で入れるかな?」

「心配ないよぉ。わたしが手取り足取り教えてア・ゲ・ル、からぁ。だから、ね、一緒に頑張ろぉ!」

「う、な、なんか不穏な空気を感じないでもないけど……そ、そうよね、相応の対価を支払わなきゃ何も掴めないのがこの世の常…………」


 そこで言葉を切り、両手でパシンと頬を叩いて気合いを入れ、自らを鼓舞するかのように宣言する。


「よっしゃぁ! やったろうじゃないの! やると決めたからには頑張るかんね! ねむちゃん、勉強宜しくねっ!」

「うん、わたしもちぃちゃんと同じ学校に通えるのを楽しみにしてるんだよぉ」


 こうして、貧乳の少女は、巨乳の親友と共に新天地を求めて動き始めた。



 そして、一年の時が流れる……

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