第十話 「話が違うじゃない」

 翌日の朝八時、仙台駅から学校まで向かう道を、私は重い足取りで歩いていた。

 

 今日の練習に行くのが嫌、という訳ではない。むしろ今日は何があっても行きたかった。

 昨日、先生から出された『宿題』は、よく考えても全く意味が分からなかった。言葉の通りにそのまま解釈すると「日本の弓は、的に矢が中るようには出来ていない」ということになる。

 でも、そんなぁ……

 それでは、一所懸命練習する意味が分からない。というより、根本から「弓」の存在意義が否定されているようにすら聞こえる。

 誰にも相談しないで一人で考えるようにと言われたため、みんなとLINEで情報交換することはできなかった。ネットで情報収集するのも違うのだろうなと解釈して、夜遅くまで一人でうんうん唸ってしまった。寝不足気味なので、既に絶好調な真夏の太陽が目に痛い。

 とぼとぼと歩いている途中で、前方百メートルほど先を、やはり頭をひねりながら加奈ちゃんが歩いていることに気づいた。私の気配に気が付いたらしく、加奈ちゃんも途中で後ろを振り向く。と同時に、加奈ちゃんは前で両方のてのひらを合わせて、私に向かって頭を下げた。

 私にも加奈ちゃんの気持ちはよく分かったので、同じように掌を合わせて、

(今日はごめんね。一人で行くね)

 と、心の中で謝罪する。

 加奈ちゃんに声をかけて、横に並んで一緒に歩き出してしまうと、どうしても話題はこの『宿題』のことになるからだ。

 間隔をあけながら、二人は頭を捻りつつ歩いた。

 そして、途中でいつもの朝と同じように自転車に乗った理穂ちゃんが、

「――ったく意味がぁぁ――」

 と、ドップラー効果を伴った独り言をつぶやきながら、横を自転車で駆け抜けていった。

 全くもって悩み方も質実剛健な娘だが、今日は事故らないことを祈るばかりだ。


 *


「おやおや、皆さんをすっかり悩ませてしまったようですね」

 練習開始の前、道場に一歩足を踏み入れた三笠先生は、私たちの顔を見るなり苦笑した。

「先生、この宿題は重いですよぉ」

 加奈ちゃんが盛大に弱音を吐く。

「中らないのが普通な弓――って、矛盾じゃないですかぁ」

「あら、やはりそう考えちゃったか」

 三笠先生は申し訳なさそうな顔をすると、

「このままだと今日は練習になりませんね。じゃあ、先に講義をしましょうか」

 と言って、競射の結果を記入するために置いてある黒板の前に、正座をした。

 部員もそれぞれ、黒板が見える位置に正座する。

「それでは、一人ずつ宿題についてどんな風に考えたのか教えてもらえますか? それでは、西條さんからお願いしますね」

「はい」

 西條先輩は、私たちと同じように頭を悩ませたはずなのに、さほどダメージの見えないすっきりとした表情で答え始める。

「私は最初に、おそらくみんなそうだと思いますが、先生がおっしゃった言葉の意味を正確に理解しようと努めました」


 西條先輩の話は以下の通りである。

 三笠先生が出した命題『和弓は、そのままでは中りません』は、素直に考えると私や加奈ちゃんのように「日本の弓は、的に矢が中るようには出来ていない」と理解される。

 となると、仮にも鉄砲伝来以前は数々の戦場で使われていた『主力兵器』であるから、「最初から中らないように出来ている兵器で戦っていた」ということになる。それでは、どう考えても自己矛盾だ。

 加奈ちゃんと私とかおりちゃんは、ここで考え方が循環して先に進めなかった。

 そこで、西條先輩はもう一度三笠先生の命題をよく読み、「そのままでは」という条件があることに気が付いた。ここに着目した場合の解釈は、こうなる。

「そのままでは中らないが、何かをすれば中るようにできている」

 その『何か』の部分が問題なのだ。

 西條先輩と理穂ちゃんと早苗ちゃんは、ここから先のことを考えたが、

「なぜ、そのままだと中らないのか」

 という点で引っかかってしまい、先に進めなかったと言う。


「それはいいところまで進みましたね。それでは、まずは『そのままでは中らない』理由から考えていきましょう」

 三笠先生は、全員の顔を見渡す。

「まず、日本の弓そのものが兵器として完成されていると仮定してみます。その場合、例えば弓を完全に固定して、矢を番えて弦を離せば、確実に狙った通りに矢は飛んで、的に中ることになります。ここまではよいでしょうか?」

 全員がうなづく。

「しかし、日本の弓の構造上、それはありえないのです」

 と言いながら、三笠先生は黒板に簡単な図を描き始めた。


( 作者註 )

*「小説家になろう」版ではここに挿絵が入ります。

*「カクヨム」にはその機能がないため、説明が分かり難くてすみません。


「この図の意味が分かる方はいますか?」

 という三笠先生の言葉に、西條先輩が手を挙げて答える。

「長方形の部分が弓で、そこから垂直に伸びているのが弦の軌道ではないかと思いますが――」

 途中から、西條先輩の声が小さく萎んでゆき、

「――なるほど、そのままでは中らないという言葉の意味が分かりました」

 最後に、先輩はそう言った。

「すいません、私にはまだ分かりません」

 と、そこに早苗ちゃんが口を挟む。

 しかし、彼女は多分、西條先輩と同じタイミングで真相に気がついている。これは他の一年生部員のことをおもんぱかってのことだろう。

 三笠先生は、早苗ちゃんに向かって軽く頭を下げると、

「そうですね。それでは細かく説明しましょう」

 と言って、まずは長方形の部分を指さした。

「西條さんの言う通り、この長方形の部分は弓の断面を現わしています。このように弓には幅が必ずあり、その右端に矢を置いて弦に番えるようになっています。弦は、それを引いていない通常状態であれば、弓の真ん中付近を通っています。ここまではよいでしょうか?」

 先生は一旦ここで話を切り、全員の顔を見回すと、先を続けた。

「さて、弦を後方に引くことで『矢が弓と接している右端の点、矢のはずが弦に接している点、弓の幅の中心点』で構成される三角形の、弦と矢が接している部分の角度がかなり小さくなっていることが分かると思います。では、弦を離した後、この角度は一体どうなるでしょうか?」

 全員の目が、黒板の図に釘付けとなる。

「ご覧の通り、弦と矢が接している部分の角度は次第に大きくなります。なぜなら、矢は弦が真ん中に向かって戻ろうとする動きにより、弓の幅の分だけ右前方に押し出されることになるからです。そして、押し出された先で矢が弦から外れると、矢は最初狙っていた位置よりも右方向にれて飛んでいくことになります」

 確かにその通りである。

 話に特に難解なところはないので、全員がそこまでの話を踏まえて理解した。


 このままでは、矢は決して狙った通りの方向には飛ばない。


「本当だー、これじゃあ、的を狙っても意味がないねー」

 かおりちゃんがのんびりとした声で言った。

「そうなりますね。狙った通りに飛ばないのですから、武器として完成しているとは言えません。しかし、実際はちゃんと狙った通りに矢を飛ばして、的に中てている人がいます」

 三笠先生はそこで少しだけ間を空けた。

 部員たちは、おのおの先日の相模さんと北条さんの姿を思い出していた。

「彼らは中てるために、こんなことをしているのです」

 三笠先生はさきほどの図の隣に、似ているようでちょっと違う図を書き込む。


( 作者註 )

*「小説家になろう」版ではここに挿絵が入ります。

*「カクヨム」にはその機能がないため、説明が分かり難くてすみません。


「あ――」

 早苗ちゃんが思わず声をあげた。

「弓返りですか」

 三笠先生はひときわにっこりと微笑むと、言った。

「その通りです。和弓はこの問題を、離れの瞬間に弓を傾けて幅を解消することで解決したのです」

「あの――」

 当惑した声がした。加奈ちゃんがなんだか控え目に手をあげている。

「そんなことをするよりも、弦が弓の幅よりも右側を通るように調整するか、あるいは弓のほうを左側に湾曲させて、やはり右側を真っ直ぐ進んでも問題がないように調整すべきではないでしょうか」

 後で加奈ちゃんに聞いたら「あまりにも安易な解決策すぎて、先生に怒られるかもしれない」と心配していたらしい。

 しかし、三笠先生は全然怒らなかった。むしろ感心した樣子で、

「そうですね。確かにそういう解決方法もあります。実際、西洋のアーチェリーは、弓自体を作り変えることでこの問題を解決しました。ですから、アーチェリーはそれ自体が完成された武器であり、何もしなければ中たるようにできている、とも言えます」

「では、どうして和弓はそうしなかったのですか?」

「さて、それは私にも分かりませんが――」

 先生は少しだけ真面目な顔になって、言った。

「日本人は、道具のほうを改善して完璧なものにすることよりも、使う側の人間が自身の身体能力でそれを補う方向に改善するほうが好きなのだ、といえるかもしれません。『たくみの技』というやつですね。また、単に真っ直ぐ引いて真っ直ぐ離すだけの引き方よりも、最後に一捻りする引き方のほうが矢の飛び方や貫く威力が高まるとも言われています。それに論理的ではありませんが――」

 と、一旦話を区切ってから、三笠先生は溜息を付くように付け加えた。

「――弓返りしたほうが美しいと思います」

 部員全員が、弓返りをした場合としなかった場合とを頭の中で比較する。既に弓道を体験してしまったせいだろうか、確かに手元に弦が留まっている姿は――


 妙に落ち着かない。美しくない。


 全員がなんとなく納得したところで、先生はさらに話を続ける。

「さて、美しさという点から、他にも弓道に必要な技術があります」

 三笠先生は、また黒板に図を描いた。


( 作者註 )

*「小説家になろう」版ではここに挿絵が入ります。

*「カクヨム」にはその機能がないため、説明が分かり難くてすみません。


 左側に、一般的に「弓」といった時に思い浮かべられる上下同じ長さの弧。

 右側に、日本の弓の曲線の多い姿。

 どちらも矢を番えた状態で横から見たところだった。

「これを見て分かることはなんでしょうか。理穂さんはどうですか」

「うーん。和弓のほうが複数の曲線の複雑な組み合わせになっていることと、全体的に握りが下に寄っているということでしょうか」

「その通りです。お見事でした」

「へへへ」

 珍しいことに、いつも控えめな理穂ちゃんが自慢気な顔をしている。

「では、まず握りが下に寄っている理由ですが、誰か分かりますか?」

 全員が顔を見合わせる。しばらく間が空いて、今度はかおりちゃんが手を挙げた。

「自信はないのですがー、それはー、馬と関係があるのではないでしょうかー。そのー、馬に乗りながら弓を引くとなるとー、下が短いほうが邪魔になりませんしー。大崎八幡で流鏑馬を見たことがあるのでー、ちょっとその時の樣子を考えてみたのですがー」

 ゆったりとかおりちゃんが優雅に話をしている間に、私はその情景を思い浮かべていた。

 流鏑馬は見たことがないので、自転車に乗りながら弓を引いたらどうなるかを考えてみる。

 確かに、下が短いほうが座っている状態で左右に体を振って弓を引くとなると都合がよい。

 しかし――

「でも、それならば弓全体を短くすればよいのでは?」

 早苗ちゃんが私と同じ疑問を抱いていた。

「そうだよねー、私もそのほうが合理的だと思うんだよねー」

 かおりちゃんもそれは織り込み済みらしく、途中で口を挟まれても気にしなかった。

「でもー、この日本の弓の曲線をー、全体を小さくすることで駄目にするのはー、ちょっと勿体無いかなー、って」

 再び全員が黒板を凝視する。

 確かに、左側の単純な弓の姿に対して、右側の曲線の繋がりのほうが優美だと思う。見慣れているせいかもしれないけれど。

「そうですね。弓の曲線があったから短くしなかったのか、それとも場上で長い弓を使うために曲線を付けたのか、私にもいずれが真実かは分かりませんが――」

 そういうと三笠先生は立ち上がって、弓立てに置かれていた私の竹弓を手に取る。

「このように日本の弓は世界的に見ても長く、馬に乗った状態で使用するために下の部分が短くなるように握りが下にあり、ちょうどその握りの部分で矢を放った時の振動が吸収されるように曲線がつけられています。ただ、下が短いことには問題が一つあります」

 先生はここでまた間を置いた。

 全員が竹弓の姿を見つめる。先生が続けた。

「それは、長いものよりも短いもののほうが、回転する速度が早いということです」

 先生は少しだけ弦を引いて、それを離す。竹弓は先生の手の中でくるりと回る。

 一見無造作に見えるが、ここまで話を聞いてきた私たちには分かった。

 その回転は鋭く滑らかだった。

「弓返りをする時、どうしても短い下のほうが先に回ろうとします。そうなるとどうなりますか、西条さん?」

「えーっと……申し訳ないのですが、頭で考えようとするとよく分かりません」

「そうかもしれませんね。では、ちょっと現物で考えてみましょう。弓を引いた状態を想定してみます」

 三笠先生は竹弓の下の端を左膝の上に載せて、左の手を整えると、弦を少しだけ引いて斜めに持ち上げた。

「この状態で弦が離れたと想定してみます。下のほうが早く回って、上のほうが送れますから――」

 先生はゆっくりと弓を回し始める。短い下の方は小さな円運動をし、長い上の方はそれにつられるかのように遅れた大きな円運動をする。そして、弓の回転する軸は左右に大きく触れることになった。

 独楽が最後の最後に、力を失って倒れそうになる寸前の回転運動を想像してほしい。あの振れ幅の大きな、力の乱れたまわり方に、弓の回転は似ていた。

「弓の上下の長さが異なると、このように乱れた回転になってしまうのです」

 私たちは今見たことを頭の中で再現してみる。物理的にどうかはさっぱり分からないが、そのような動きになることは感覚的に理解できた。

「先生。それじゃあ、やっぱり狙ったところに当たらないのでは」

 右手を挙げながら加奈ちゃんがそう言った。

「その通りです。こんな風に弓の回転軸が乱れてしまっては、やはり矢を一定の方向に飛ばすことはできませんね。西洋のアーチェリーでは、この問題を上下におもりを付けてバランスをとることで解消しました。アーチェリーは元々回転しませんが、さらに上下のバランスの乱れによる誤差まで、弓の構造で解消したわけです。それに比べて弓道の場合は、やはり人間の技でなんとかすることを考えました」

 先生は、また竹弓の下の端を左膝の上に載せて、左の手を整える。そして、少しだけ弦を引く。

「弓道では、離れる瞬間に左手親指の付け根で弓を押し、左手小指で弓を引きます」

 そして弦を離した。弓は鋭く滑らかに回転する。その回転軸に乱れはない。

「こうすることで、上と下の回転速度の違いを掌の中の動きだけで収めてしまうのです」


 *


「さて、これで和弓の特徴と左手の役割に関する説明が終わりました。ここまでで何か質問はありますか?」

 そう言って、三笠先生は全員の顔を眺めた。

 私たちは、なんとなくお互いに顔を見合わせる。

 みんな「質問どころか、話を理解することで一杯いっぱいだよ」という顔をしていた。

 私たちが再び前を向くのを待って、三笠先生は話を続けた。

「ないようですね。それでは、今度は右手の話をしましょう。弓道で左手のことを弓手ゆんで押手おしでと呼びます。こちらは見た目そのままですね。しかし、右手のことは馬手めてあるいは妻手つまでと呼びます。これはどうしてでしょうか――阿部さん、分かりますか?」

 急に振られて驚く私。

「えっ、えっ、その『馬』とか『奥さん』とかですから。何かに引っ張られているような感じでしょうか。あ、最近の奥さんはどうか分かりませんけど――って、あれ?」


 なんだかおかしいぞ。


「――いやいや、そういう話じゃなくて。右手は引くんでしたね? じゃあ、暴れ馬? 最近の奥さん?」

 訳が分からなくなって、自分で自分につっこんでみる。

 三笠先生は苦笑していた。

「阿部さんをすっかり混乱させてしまいましたね。結論から先に言いましょうか。右手は引くものではなく、引かれる感じがするものです」


 引かれる感じがするもの――???


 部員全員がまた『戸惑いの小道』に彷徨い込む。

 言葉の意味は分かるけれども、何がしたいのか見当もつかない。

 大三の位置から右手を後ろに引かなければ、会に入った時には右手は顔のすぐ横か、さらに前のところに位置してしまうのではないか?

 これまで「少なくとも右肩よりも後ろに引くように」と言われてきたし、大会でもみんなそこまで引いているのに……


 *


 さて、ここからの先生の話をまとめるとこうなる。


 右手は、外見上は間違いなく「引くもの」であって、大三から会に至るまで常に後方に向かって引き込んでいくのが正しい。

 しかし、引いている本人の『感覚』では異なる。

 常に押しているほうの力が大きく、引いているほうの力は相対的に小さくなくてはいけない。それを「引かれる感じがする」と、先生は表現したのだ。

 では、なぜ「常に押すほうの力が大きくなければいけない」のか。


 和弓を引く時、右手には鹿の皮で出来た手袋――「ゆがけ」をつけている。

 「ゆがけ」には、親指の部分に木の型が嵌められており、その親指の根元、腹側には弦を引っ掛けるための溝がついていた。

 この溝は、戦場で何本も矢を放つ際に親指を痛めないようにするためのものであり、木の型が嵌められるようになったのは「強い弓」を使うようになってからだ。

 弓構えで、この溝の部分に弦をかける。そして、親指の木枠を人差指と中指で抑える。残った薬指と小指をてのひらの中で丸め込む。


 これが弓を引く際の右手の基本形だ。 


 さて、この右手で大三から弓の弦を引く時、初心者はどうしても単純に「右手親指を右手の人差指と中指で抑えるように」引っ張ってしまう。

 なぜなら、途中で親指根元に引っ掛けただけの弦が、勝手に外れないか心配で仕方がないからだ。

 ところが、抑え込むように右手の人差指と中指に力を加えて弦を引っ張ってくると、その後、とても困ったことになる。

 親指の弦が外れないように人差指と中指に力を加えて引いた以上、弦を離すためには人差指と中指の力を抜いて親指を解放しなければならないからだ。


 それを「生理学的な表現」で言い直す。


 右手の指の筋肉が弦を引く運動をやめて、弦を離す運動に切り替わるためには、一旦「引くために筋肉を収縮させている筋電位」をゼロにしなければならない。

 筋電位がゼロになる訳だから、当然、引かれる力を失った弦は前に戻ろうとする。右手はその弦に引かれて前に戻る。

 この瞬間的な筋電位のゼロ状態がどの程度続くのかは、射手の習熟度によるが、初心者はせっかく右肩の先まで引いた右腕が、顔の隣まで戻ってしまうことすらある。

 これを弓道用語では「ゆるむ」と表現していた。ともかく、これでは的に中らない。


 それでは「ゆるまない」ためにはどうしたらよいのか。

 

 対応策の一つは「繰り返し何度も練習する」ことだ。

 陸上競技の選手はスタートの瞬間を何度も練習するが、あれは「筋電位ゼロの身体を、耳から入った音を合図に筋電位最大まで持っていくため」の練習である。

 弓道も同様で、なんども練習すれば「弦を引く運動」から「弦を離す」運動に切り替わる瞬間のゼロ時間を限りなく短縮できるようになる。

 ただ、この対応策には問題点が一つある。

 どうしても、運動の切り替えが無条件反射にならざるをえないのだ。

 何かの合図を元にして、それがあったら条件反射に従って離れる。これが確かに最も筋電位のロスが少ない方法である。陸上競技のトップアスリートであればそうするだろう。

 しかし、狙いという別要素が絡む弓道の場合、合図とともに条件反射で離れる訳にはいかない。

 和弓の「狙い」は、極めて繊細な行為である。

 和弓にはアーチェリーと違って、照準器スコープがついていない。

 また、顔を左に向けた状態で右拳を右肩の根元まで引き込むために、その位置を目視できない。

 従って、常に「的の中心」を狙うために、確認すべき事項が多数ある。

 会の時に、最低でも「右眼をとおして見える的の位置、右拳と左拳の収まった位置、矢が頬につく高さ」が、常に同じでなければならない。

 そうしないと「同じところを狙っている」ことが射手にも確認できないのだ。

 ところが、筋電位のロスを避けるために「狙い」が的についたら離れるように訓練していると、どうしても「右眼をとおして見える的の位置がいつもと同じであれば離れる」ようになる。

 視覚は極めて強い刺激であり、一度それが身に着いてしまうとなかなか修正することが出来なくなる。

「いつもの狙いに的が来たので離れる」ようになると、確認作業が疎かになり、その結果として「狙い」が定まらないままに離れてしまうことになる。

 これを弓道の用語で「早気はやけ」という。

 これは古来から弓道家を悩ませてきた癖の一つで、次のような有名な話がある。

 

 阿部家に仕える稽古熱心な武士が早気になり、的を狙って引くと右肩まで右拳を引き込まないうちに離れてしまうようになった。

 弓の師匠から「しばらく稽古を休んではどうか」とまで言われるようになったが、どうしても治したくて朝晩いろいろと試す。

 ある日、家に伝わる「あるじより賜った屏風」に「あるじから賜った紋付」をかけて、的前に置いて弓を引いたところ、やはり離してしまった。

 それならばと一大決心をして、自分の子供を的前に置く。これで離したら子も自分も死ぬと思い定めたところで、やっと早気が失せた。


 江戸時代に勘定奉行まで務めた根岸鎮衛ねぎししずもりが著した『耳嚢』に出てくる話である。

 しかし、これを読んだ弓道経験者は、たいていこう考えるはずだ。

(そんなことで治る訳がない。子供に向かって離すことになるだろう)

 それだけ面倒な癖なのだ。

 意図的に離そうとすると緩む。

 合図と共に離すと早気になる。

 さて、それではどうするか。

 残るは「離れを待つ」方法である。以下、右手の動きを示す。

 まず、親指の付け根から弦が外れない限り、矢が離れることはない。これは間違いない。

 親指の付け根から弦が外れるためには、人差指と中指から親指が外れる必要がある。これも間違いない。

 従って、人差指と中指から親指が離れるタイミングを、人為的に作り出すのではなく、自然にそうなるようにすればよいことになる。

 具体的には、人差指および中指と、親指との接点にかかる力を「鹿皮の摩擦によるもの」のみとすることで、これが可能となる。

 右の拳には決して力を入れず、人差指と中指で親指を抑え込まずに、むしろ鹿革と鹿革の摩擦以外の力を使わないようにして、徐々に弦を引いてゆく。

 弦は引けば引くほどに元に戻ろうとする力は強くなるから、必ずどこかで「革と革の摩擦による力」よりも「弦の戻ろうとする力」が勝る時がくる。それを待って引き続ければよい。

 そうすれば自然に、意図しなくとも弦は外れる。

 右の拳に力を入れて弦を引いてしまうと、この「摩擦によって自然に離れる」方法が取れなくなるので、弦は引いてはいけない。

 左手で弓を押す力に引かれるように、右拳には力を入れずに右の肘から先の力で弦を引くようにしなければならない。


 *


「先生、理論的にはなんとなく分かりますが、どうすればよいのか全然わかりません」

 加奈ちゃんが恐る恐る手を挙げて、正直に言った。

 他の部員もだいたい同じような気分である。

 そうかもしれないが――でも、具体的にどうしろと?

 三笠先生は苦笑する。そして、

「ここから先は、誰かに教わってできるものではありません。理屈が分かったら、どうしたらできるようになるかは自分で試行錯誤するしかありません。聞いただけで出来たら、誰でも的に中るようになりますが、現実はそんなに甘くはありませんから、各自で日々修練を続けて頂くしかないのです。もちろん、私が手助けできるとことはしますが」

 と言い切った。


 その後、練習が始まった。私たちは教わったばかりのことを意識しながら、弓を引いてみた。

 しかし、最初のうちはなんだかぎこちなかった。

 右拳には無駄な力を入れない。じっくりと弦を引き込んで、その力の高まりを使って離れる。

 離れる瞬間に左手で弓を回転させる。具体的には左手親指のつけねで弓を押して、左手小指で引く。

 それだけのことなのだが、これを同時にやろうとすると極めて難しい。右手にはやはり力が入ってしまう。

 左手小指で強く引きすぎると、握る力が強くなって弓は回転しなくなるし、かといって小指が緩むと弓の回転が安定しない。

 巻藁で試行錯誤してみるが、なかなか上手くできない。的前に至っては狙ったとおりに矢が飛ばない。

 その日の成績は散々なものだったが、私たちはそのことを気にしなかった。

(これができない限り、正確な的中は望めない)

 そのことを全員が理解していたからだ。

 私たちは黙々と練習を続けた。


 *


 なお、加奈ちゃんは自宅に帰って、弓道をやっていたというお兄さんにこう言った。

「全然、話が違うじゃない。兄貴、本当に弓道やっていたの?」

 帰ってきたのは盛大な苦笑いだったという。

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