四、悪魔は語るに落ちる

 落ち着いた光量は、心安まる程度の薄暗さを広げている。酒を並べた棚と、八席ばかりのカウンター。そのこぢんまりとした風情は、友人と心静かに酒を飲むに最適の憩いの場――

 だった、はずなのだが。





「そもそもデミウルゴスばっかりずるいでありんす! アインズ様からあんなにたくさんお仕事をいただいて……! 忠義を尽くす機会をかっさらわれている気分だわぇ!」

「ウウム……デミウルゴスガソレダケ優レテイルトイウコトナノダロウナ。御方ノ覚エモソレハメデタク……ウウ……コノママデハ爺ノ立場マデ奪ワレテシマウ……!」

「あああああああこれは陰謀よ! 陰謀だわ! なんで最初に敵からワールドアイテムを使われるのが私なの!? デミウルゴスを狙いなさいよ! それで支配されちゃったらみんなで袋だたきなんだから! 戦闘力最強の名は伊達じゃないってところを見せてやるんだからあああぁぁぁぁっ!」

「待テ、早マルナ! モシソウデアッタ場合……ッ、デミウルゴスノコトダ、支配ナドサレズ敵ヲ生ケ捕リニシ、ナオカツワールドアイテムモ回収シテイタカモシレヌ……! デアレバ、マスマス御方ノゴ信任モ厚ク……ッ」

「ど、どこまでも……どこまでもおおぉぉっ! チートにも程があるだろおがあああっ!」


 ……店内はくだを巻く酔っ払いどもの巣窟となっていた。


 ピッキーは超人的な忍耐力を発揮し、黙々と酒を出し、空になったグラスを回収している。即座に次のカクテルの準備に入っているところからも、彼らがどんなペースで飲んでいるのかよく分かる。


 デミウルゴスは頭痛を堪えて額を押さえる。

 シャルティアはともかく、なぜコキュートスまで……。

 まあ、付き合いが良すぎるのも彼の悪いところだ。根が真面目な反動か、思い込むと暴走しがちなところもある。爺がどうの、という妄想は自分が植え付けてしまったきらいもあるし、とデミウルゴスは脳内フォローを展開する。ちなみに吸血鬼にフォローはない。


 気を取り直して、さてどうしたものかと考え込む。

 こんな吊るし上げ大会に踏み込んでいかねばならない義務はない。デミウルゴスは虐げるのは好きだが、逆の立場はご免こうむる根っからのサディストだ。むろん至高の御方のご所望とあらばよろこんでマゾヒストの役も受け持つが。


 さっさときびすを返して、より有意義な時間を過ごすのが賢い選択というものだ。


 ……しかし。


「もう一杯ぃ!」

「すぐにご用意しますから、少しばかり待ってください」

「じゃんっじゃん出すのよ、じゃんじゃん! まだまだ飲むんだからぁっ!」


 副料理長のきのこ的横顔に、哀愁めいたものが漂っている。


(放っておくのもかわいそうですし、ね)


 仕方ない、と悪魔は店内に入っていく。先ほどまでのうんざり顔は影も形もなく、何も知らぬていの笑顔で、


「待たせてすまないね、コキュートス」


 しん、と店内が静まり返る。

 グラスを持ち上げかけた姿勢で固まるコキュートス、ぽかんと口を半開きにしたシャルティア、その向こうの席にはどういうわけかセバスがちびちびと飲んでいる。


「やあ、シャルティア。……それにセバスも」


 デミウルゴスはコキュートスの隣に座り、笑顔でカクテルを注文する。


「ア、アア……ソウダッタ。待チ合ワセヲシテイタンダッタナ」

「おや、忘れてしまうほど待ちぼうけさせてしまったということかな? これはすまない」

「イヤ……謝ラナイデクレ。頼ムカラ」


 悄然とする蟲王に、デミウルゴスは何気ない調子で、


「そう言えば君のリザードマン統治は随分うまくいっているようだね。そろそろ統治についてのデータや見解をまとめた報告書の作成に入ってもいいかもしれない」

「モ、モウソンナ時期カ?」

「君が想定以上の成果を収めているということだよ。アインズ様もきっとお喜びになるだろう。今後は本格的にナザリックが表舞台に出ていくことになるだろうし、君の経験は非常に役立つはずだよ」

「ソウカ……ソウダッタカ!」


 にわかに活気づくコキュートスを、シャルティアはじと目でにらむ。

 カクテルが出される。シャルティアのお替わりと、デミウルゴスの分だ。


「こんなに混み合っているのは珍しい。君も大変だね、ピッキー」


 グラスをくゆらせて、悪魔は言う。色を楽しみ、香りを味わい、深く頷いてみせる。それは一見カクテルを賛嘆しているようであり、また『すべて分かっているよ』と伝えているようでもある。


 きのこ頭がぶるりと震えたのが、彼の感動を物語っている。見とがめたシャルティアが、「どうしたの、胞子でも飛ばすの?」などと真剣に問いかけたが、誰も取り合わなかった。シャルティアは憮然とした顔で、こくりと一口目を飲み、それからデミウルゴスをちらっと流し目で見やると、


「わたしのことも、褒めてくれていいのよ?」

「寛大なお言葉だね。だが私も分を弁えているから、君のお許しに甘えることなく慎み深い沈黙を守ろうじゃないか」

「ち、沈黙してないじゃない、しゃべってるじゃない! ついでにちょっぴり、いえちょっぴりと言わず目いっぱい、褒めてくれたっていいんだから!」

「これは失敬。だが黙り込んで酒を飲むというのも、友人といるのに寂しいものだからね。ここはひとつ、シャルティアだけを一から十まで無視することで手を打とうじゃないか」

「うう……。なによ、なんなのよ……わたしを虐げてそんなに楽しいの? ねえ?」


 グラスを一気に空け、シャルティアはカウンターに突っ伏した。セバスが眉をひそめ、デミウルゴスをにらむ。悪魔はやれやれというように肩をすくめ、


「冗談だよ、シャルティア。君はよく頑張っているとも」

「ほ、ほんと? ほんとに?」


 がばっと身を起こし、にじり寄ってくる。間に挟まれたコキュートスが慌てて身を引くも、その腰の上を堂々と這ってやって来た。これには悪魔も執事も呆れ、なぜか膝上に四つん這いのシャルティアを乗せてしまった哀れなコキュートスはあたふたとして、ピッキーは知らぬふりを通す。


「具体的には? ねえねえ、具体的には?」

「……とりあえず、席に戻りたまえ」

「席ならここに! ここにあるじゃない!」


 きらきら目を輝かせた吸血鬼は、ばんばんとコキュートスの脚を叩く。微妙にダメージを受けているっぽい蟲王だが、あえてぐっと堪える漢気には執事も感心しきりの様子である。悪魔の笑みは引きつっているが。


「……シャルティア」

「はいでありんす!」

「さすがに怒るよ?」


 きょとんとした顔の吸血鬼は、まったく分かっていない。コキュートスが困惑をにじませた声で、


「ソウ言ッテヤルナ、デミウルゴス。シャルティアダッテ褒メテホシイトキハアル。私ニモソノ気持チハヨク分カルノダ。イツニナッタラ活躍ノ場ガ与エラレルカト、ジリジリシナガラ待ツ日々……少シデモイイ、自分ノ価値ガ形トシテ示サレレバ、ト……ソンナトキニハ、ササヤカナ賞賛デモ嬉シイモノダ」

「いつも思うが、君のカルマ値は本当に『中立』なのかね? 『極善』に切り替わっているんじゃないかとときどき首を傾げる」

「ナッ……! ソレハ困ル! 武人武御雷様ニカク在レト造ラレタ形ニ反シテイルナド……!」

「ああ、いや。いまのは言葉のあやだ。すまない、訂正するよ。君はとてもよい友人だ。私も仕事の疲れが癒される気がする。……などと素直に言うのは気恥ずかしかったものだから、ついあんな言い方をしてしまった」


 悪魔は柔らかい笑顔を浮かべていて、それを離れて眺める執事の顔には戸惑いが浮かぶ。主の前以外でもこんな顔をするのか、と。


 この男がいつも皮肉げだったり残忍だったりするような顔しかしていない気がするのは――自分が彼を毛嫌いしているせいなのか、彼が自分を毛嫌いしているせいなのか、はたまたその両方か。


「ねえねえわたしの褒めまくりタイムは?」

「……ええそうですねシャルティアは実に強く美しく愛らしくこのナザリックの華と呼ぶにふさわしく努力家で真面目で自信に満ち頭脳明晰博識多彩質実剛健外柔内剛謹厳実直才色兼備面向不背明朗闊達雲心月性寛仁大度光風霽月闊達自在」


 見事な棒読みである。

 しかし当のシャルティアは頬を染めてうっとりしている。たぶん半分も言われている意味は分かっていないが。


 よほど卑屈になっていたらしい。もう誰でもいいから褒めてくれるならついていっちゃうレベルである。知らない人についていってはいけません、あと悪魔にも。


「うふふ……デミウルゴスもかわいいところがあるじゃありんせんか」


 うんざり顔の悪魔が「それはどうも」と言うのに、「礼はいりんせんよ」とひらひら手を振りつつ、お尻も振りつつ後ろ向きに這い戻り、椅子に座す。偽乳を持ち上げるいつもの姿勢で腕組みし、胸をそらせて、


「それくらいの可愛げをもって、セバスとも仲良くすればよいのでありんす」

「……なぜそこでセバスが出てくるんだね?」

「だって仲悪いじゃありんせんか。ナザリックでも随一の険悪コンビでありんす。もうちょっとどうにかなりんせんの?」

「ああうん、君にしては実に的を射た意見だ」


 しかし君に言われると妙に腹が立つ、という部分はカクテルとともに飲み下す。


 シャルティアは止まらない。得々として偉そうに、延々と悪魔と執事のことをあげつらい、散々にこき下ろす。はじめのうちは相手をしていたデミウルゴスだが、さすがに生返事ばかりになってきた。セバスにいたっては完全に返事をしないが、実は彼は悪魔の登場以来ずっと押し黙っているので、吸血鬼の鼻持ちならない説教のせいかどうかは不明である。


 ついにはシャルティアの訓戒が、「このままではアインズ様をご不快にするばかりだ」といった内容に踏み込むにいたり、コキュートスが彼にしては珍しく声を荒げて「暴言ハ許サンゾ!」と叫んだ。シャルティアははっとしたように言葉を切って口ごもり、ちらりとデミウルゴスをうかがう。悪魔は無言のまま、けれども怒りを確かに大気へとまき散らしていた。


 シャルティアはごくりと唾を飲む。恐れたのではない――守護者では最強を誇る彼女が、戦闘力でブービーを争う彼を恐れるはずもない。彼女はただ、同僚を不用意に傷つけたことにショックを受けたのだ。損得ではなく利害ではなく、大切な仲間にひどいことをしてしまった、という罪悪感が彼女を打ちのめした。


 しかし、である。


 打ちのめされて殊勝に謝る、というのは、それがアインズに対することでない限りはあまりない。滅多にない。壊滅的にない。


 素直になれない、というのも、あるいはペロロンチーノの嗜好が反映されているのかもしれない。


 なんにせよ、彼女は喉元まで込み上げた謝罪をぐっと押し殺してしまった。喉の奥で潰れた言葉の代わりに、


「なによ、本当のことじゃない!」


 強がった当人の方がひどく青ざめた顔をしていた。ぐっとグラスを呷ってから、それが空だと気付き、ばつが悪そうにカウンターに戻す。


 あと五秒、いや三秒でもあれば、シャルティアは堪えられなくなって謝罪していただろう。

 しかしその前に、デミウルゴスの忍耐が限界だった。


 いくら感情を抑えることに長けているといっても――至高の御方のことである。冷静でいられるはずもない。


 だから彼がカウンターをがんと拳で叩いたときにも、「思い違いも甚だしい!」と叫んだときにも、ピッキーは同意の頷きこそすれ、不快を覚えることはなかった。この場所を己の聖域のようにさえ思っている彼をしてそうなのだから、周囲の空気がどうだったかは言うまでもない。


 だからこそ、シャルティアは退くに退けなくなってしまった。責め立てる空気のなかで、素直に頭を垂れられる性格ではない。


「な、なにが思い違いだっていうのよ!」


 デミウルゴスは気を落ち着けようとするように、片手で額を押さえしばらく黙っていた。やがて深く息を吐き出すと、若干苛立ちが残ってはいるものの落ち着いた声で、


「アインズ様が私とセバスの不仲をご不快に思われる、という点だよ。そんなはずはない。ああ、そんなはずはないとも。むしろ喜ばれるくらいなのだから」

「え?」

「王都でセバスの裏切りがないかを確かめたとき、私とセバスは御身の前で醜い言い争いをしてしまった。しかしアインズ様はそれをことのほか楽しんで下さっていたよ。あれほど上機嫌に笑われるのを、私は初めて見たくらいだ」

「じ、じゃあ、アインズ様は私たちの仲間割れを見たがっておられんすの?」

「そうとは言えないね、シャルティア。君とアルベドが争うときには、喜んでおられるようには見えない。君とアウラの争いは微笑ましく眺めておられるようだが、あれは至高の御方がかく在れと望まれたから争っているだけなんだろう? 本来はじゃれ合いみたいなものだし、アインズ様もそれはご承知だろう」

「デハ、デミウルゴストセバスノ場合ニオイテノミ、争イヲ望マレテイルト」

「まあ、他の組み合わせもあるのかもしれない。現時点で判明しているのが私とセバスであるというだけで」


 ゆらりと、セバスが立ち上がった。

 おや先に帰るのかいお疲れさま、とぞんざいに言おうとした悪魔の機先を制して、執事は恭しく一礼する。


「教えてくださりありがとうございます、デミウルゴス。私はたいへんな思い違いをしていたようです」

「いや、礼には及ばない。今後とも職務に支障のない範囲で対立を――」

「それではあまりに生温いのではないでしょうか」

「……セバス?」

「至高の御方がお望みとあらば、全身全霊をもって叶えるのが忠義。ならばこの場で決闘を申し込みます」

「いや、だが我々の」


 最優先事項はアインズ様にこの世界をお渡しすることであり、そのためには対立をある程度以上に深めるべきではないし、むしろ現状でもやややりすぎの感はあるのだから、お互い適度な距離感を保って嫌い合おう――


 などと言っている暇もなく。



 争いの火蓋は切られた。

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