二、シャルティアにはいい考えがある

 シャルティア・ブラッドフォールンはいまだに根に持っている。


 王都における一大プロジェクト、ゲヘナ――デミウルゴスがアインズから第一功を認められることとなった作戦に、蚊帳の外に置かれたことを。


 もっとも『転移門ゲート』を使用して手伝わせてもらえたところはあるのだが。それがデミウルゴスなりの温情だったのかもしれない、とちらりと頭の片隅で考えないでもない彼女だが、しかしながらやっぱり腹に据えかねる。


 たしかに、以前大きな失敗をした。しかしだからこそ、今度こそは油断なく、遺漏なく、完璧な功績を示して汚名を返上したかったのに。




 むしゃくしゃしたときは、バーに行くに限る。

 きのこのマスターを思い浮かべ、彼にどんなドリンクを頼もうかとあれこれ悩んでいると、通路の先から怒鳴り声が聞こえた。


 シャルティアはその柳眉をひそめる。どうにも珍しいことが起きているようだ――あのセバスが声を荒げている。


 相手はここからは見えないが、見当はつく。

 いそいそと近付いていけば、やはりデミウルゴスだ。


「ミンチがどうしたでありんすの?」

「ああ、シャルティアか。いいところに来た」


 デミウルゴスが笑顔で言う。しかしその笑顔が部下を処刑する直前のような笑顔に見えるのは気のせいだろうか。セバスはちらりとシャルティアを睨む。こちらはあからさまに殺気立っている。


「おやまあ、わらわまで殺したいのでありんすかぇ? セバスに出来るんなら、やってみるといいでありんしょうが」

「……失礼しました、シャルティア。あなたには何の恨みもありません」

「私にはあるというのかね?」


 いかにも心外だと言わんばかりの口調には、たっぷりの揶揄と悪意が込められている。どう考えても過剰なほどに。


 セバスがきっと悪魔を睨み据える。悪魔はむっとしたように腕を組む。

 シャルティアは呆れて、


「毎度毎度、よくもまあ飽きんせんこと。もうちょっと仲良く出来ないのでありんすか?」

「私は実に友好的に振る舞っているつもりだよ?」

「どこがでありんすか……」


 自分で挑発しておいて自分で苛立っている。なんという悪循環。デミウルゴスらしくもない。シャルティアにさえそう思わせるのだから相当のものである。

 無表情に怒気を放つ執事に対し、悪魔はいかにも親しげに、優しくさえある口調で、


「だいたいね、セバス。君は私の牧場をひどく嫌っているようだけど、あれはアインズ様からも有用性を認められた施設なんだよ? 羊皮紙の安定的な供給は重要な案件だ。それなのに君ときたら――ああ、でも仕方がないか。アインズ様から賜った貴重な資金も羊皮紙も、惜しげもなく使ってしまうくらいだからね。牧場の価値が理解出来ないのも当然だ」


 悪魔は軽やかな笑い声を上げる。少々軽やかにすぎる笑い声を。軽薄ともとれるほどの。

 デミウルゴスのいつもの洗練された物腰からすれば、どうにも幼稚で見え透いた悪意である。しかしその分だけストレートで強烈だ。シャルティアの顔も引きつる。


 デミウルゴスは、至高の御方々によって造られた者たちには非常に優しい。どれだけ忙しいときでも、相談があれば親身になって話を聞き、適切なアドバイスをくれる。困難な立場に立たされたときにはさりげなくフォローしてくれるし、アインズ様の真意が読めず右往左往するシモベたちには分かりやすく解説してくれる。


 シャルティアがあの大失態を犯したときにはさすがに冷たくなったが、しばらくすればまた優しい態度に戻っていた。……だからこそ、ゲヘナのときにはきっと協力させてくれると期待したりもしたのだが。


「……なんでセバスにだけ……」


 呟きに、デミウルゴスの眉がぴくりと動く。笑みがわずかに歪み、しかしすぐさまそれは挑発的なものへと戻る。その短い間にあった変化は、一触即発のぴりぴりした空気に呑み込まれ、押し流される。


 うわあ、とシャルティアは頭を抱える。


 NPCの暴走を止めるのは、たいがいデミウルゴスの役目である。というか彼は一人で何役もこなす万能選手なので、みんなふだんは頼りまくっている。その彼が当事者になったとき、事がどれほど面倒くさいか、シャルティアはいままさに思い知らされていた。


(アルベドはどこでありんすかぇ……ああそういえばナザリックの防衛体制に変更を加えるとかで、忙しくしておりんしたねぇ……わたしにどうしろっていうのよ、これ……)


 来るんじゃなかった、そもそもなんで来たんだっけ。


(あ。わたし、むしゃくしゃしてたんだった)


 ああすっきりしたーと笑顔でぽんと手を打って――


 シャルティアの顔は一変した。美姫が夜叉に反転する、その表情筋の動きはまさに異形種ならではのワイルドさである。


(そうよそうじゃないわたしはデミウルゴスにものすっっっごく怒ってるの! いまこのときこそ恨みを晴らすとき!)


 などと一人顔芸をやっている横では、デミウルゴスがうんざりしたように肩をすくめ、立ち去ろうとし。セバスが詰め寄ろうと――

 したその眼前に、シャルティアが立ちふさがる。


「ちょっとデミウルゴス!」

「……なんだい、シャルティア」


 悪魔は意外そうに吸血鬼を眺め、


「君がセバスの味方をするとは思わなかったよ」

「そうじゃありんせん! ていうかセバスは邪魔! ちょっと引っ込んでて!」


 乱入である。

 セバスは驚いた様子だが、おとなしく引き下がる。基本的に彼は、執事として守護者たちを立てるように気を配っている――これもただ一人の例外を除いては、ということになるが。


「今回はほんっっっっっっとにいやだったんでありんすからね! 次こそは……次こそはっ! わたしにも手伝わせてちょうだい!」

「おやおや。今回、というのはゲヘナのことかな? ちゃんとゲートを任せたはずだよ?」

「あんなの! 守護者のやるような仕事じゃないっ! わたしはね――」

「ところで設定上の口調が崩れていますよ、シャルティア」

「~~~っ! いいの、毎日一回忘れずにやれば! わた……ああもう、わらわはっ! 今度こそ、今度こそ今度こそ今度こそっ! アインズ様のお役に立つのでありんす~~~っ!」

「ああ、うん。そうだね。次はもっと大事な役目をお願いしよう」

「……ほえ?」


 あっさりと受け入れられ、毒気を抜かれたようにシャルティアは勢いをなくす。

 悪魔は屈み込んでシャルティアと目線を合わせ、泣き出しそうな子どもを慰めるように、溢れんばかりの慈愛を微笑と声に乗せる。


「今回あなたをほとんど使わなかったのは、作戦の都合上『血の狂乱』があると英雄モモン様、ああ、いえ……まあここでは様でいいですか……ともかく、あの御方の名声に傷が付くという由々しき事態になりかねなかったからです。あのアインズ様でさえ、常に不測の事態に備えておられるのですからね、我々も細心の注意を払わねばなりませんでした。心苦しいところではありましたが、もしもこの作戦において万一にでもあなたが再び失敗すれば、それこそ二度と大きな作戦に使えなくなってしまいます。だからこそ、今回は我慢してもらったのですよ――今後行われるであろう数々の大規模作戦において、守護者最強であるあなたに活躍していただくために」

「まあ……そうでありんしたの……」


 シャルティアはぽっと頬を染める。数々の大規模作戦。活躍。そしてアインズ様のお褒めのお言葉。頭をなでなでしていただける薔薇色の未来……いや活躍次第ではそれ以上も……


 忘我の境地に入ったシャルティアに、抜け目なく悪魔は付け加える。


「まあいまのところ、そんな大規模作戦の予定はないけれどね」


 だらしない笑顔の吸血鬼に背を向け、今度こそデミウルゴスは立ち去った。


 セバスは憐れむような眼差しをシャルティアに向けるが、幸せな夢をたゆたう彼女はまったく気付かない。執事は咳払いし、「シャルティア」と声をかける。一度では反応がなく、二度三度と繰り返すと、ようやく彼女は振り返り、首を傾げる。どうしてそこにセバスがいるのか理解出来ないというように。





 ……それから三十分後。


「つまり! あなた方はもっと仲良くするべきだと思いんすぇ」

「はぁ……」


 何がつまり、なのか分からないが、とにかく相づちは打つ。

 カウンター席に並んで座る二人の向こう、きのこ頭のマスターはドリンクを差し出した。めずらしい二人組を楽しげに見やり、


「セバス様とデミウルゴス様ですか」


 と言ってくるあたり、二人の不仲はナザリックでも知れ渡っているらしい。

 セバスは暗い面持ちでグラスを手に取る。職務中に飲酒など許しがたいので、果汁百パーセントのドリンクである。一方のシャルティアは毒々しい赤のカクテルだ。


「私も、このままではいけないと分かってはいるのです。いずれはアインズ様にご迷惑をおかけするのでは、と……」

「だったらもっと仲良くすればいいでありんしょう?」


 ずん、と空気が沈み込んだようだった。シャルティアとマスターは互いに顔を……というか、顔ときのこを見合わせる。


「これは重症でありんすねぇ」

「末期症状ですね」

「……そこまで言わずとも……」

「否定出来んすの?」

「……」

「はぁ……しょうがありんせんねえ、わらわが人肌剥いで差し上げんしょう!」

「……いえ、私にはそのような趣味は……」

「知恵を貸してやると言っておりんすの!」


 セバスは絶句した。

 自分はシャルティアに知恵を借りねばならぬほど頭が悪かったのか――

 嫌な予感しかしないのは自分が底意地が悪いせいなのか――

 そもそもそれは「人肌剥ぐ」ではなく「一肌脱ぐ」のではないか――

 幾つもの思いが脳裏を駆け巡る。シャルティアはふふんと得意げにぐぐっと胸をそらし、偽乳がずれそうになって慌てて直し、


「いいでありんすか? こういうとき、言葉でああだこうだしようとするとかえって喧嘩にもなりんす。だから物で始末をつけんしょう」

「物……いったいどのような?」

「服でありんすよ」


 シャルティアは両手を組んで顎をその上に載せる。マスターはやんわりと「テーブルに両肘を置くのはあまり行儀がよくないですよ」などと言うが、完全に無視である。


「セバスたちが王都で調査をしていたとき、階層守護者で集まって給金で何を買うかを話し合う場がありんした。そこでデミウルゴスが言っていたのでありんすよ、服がほしい、と」


 どうだ、と言わんばかりに見つめられ、セバスは言葉もない。


 ……まともだ。

 信じがたいほどに、まともな提案だ。

 まさか、あのシャルティアが。

 それとも自分の知能に問題があるのか。


「……副料理長は、どう思いますか」

「私ですか? ええ、いいと思いますよ」


 きのこ頭のマスターの言葉に、ようやく安堵する。


「ありがとうございます、シャルティア。では……ちょうどツアレと町に出て服を買うことになっていましたから、デミウルゴスに贈るものも見繕って参ります」

「おやまあ、デートでありんすね?」

「ち、違――」

「アインズ様がそうおっしゃったんでありんすよ?」


 セバスは黙り込む。たしかに式典で、アインズはそう言って笑っていた。

 となれば、否定するのは不敬……なのか。


「どうでありんす? わらわもちゃぁんと役に立ちんしょう」

「……ええ、それはもう」

「もっと褒めていいんでありんすよ? もっともっともぉっと褒めてもいいんでありんすよぉ? ほらほら、ピッキーも!」


 ……うざったい。

 とは、さすがに言わない。

 ちらりと思い出す。先ほどの、デミウルゴスのシャルティアに対する扱いを。

 不覚にも、「さすがはデミウルゴス」などと思ってしまった。

 暗澹たる思いを、フルーツジュースと共に飲み下した。




【あとがき】

アインズ様語録

「シャルティアは失敗ばかりしているから、ここは反対すべき!」

(九巻、八十六ページ)

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