第五章 そして月曜日に

第24話 脱出開始


「やれやれ。一時はどうなるかと思ったが、中々かっこよかったな」

「そうですね。変にかざった言葉じゃないのがステキです」

「ああ、これでわかっただろう。内田渚のことを好きなのは――」

「はい。実は上川さんも入れた三角関係だったんですね! 負けないでください、恭平さん! わたし、応援してます!」

「えぇー……そうくるのか。もう頭が痛くなってきた」


 天城と白河は、画面越しに見ていた上川の大舞台に関して感想を交わす。

 勘違いを未だに正すことができないのは困るが、うまく説明するのも難しい。

 ここまで思い込みが激しいとは想定外だ。


 そんな天城と白河の足は、どちらも地面についていない。

 二人の身体は無重力状態で室内をふわふわとただよっていた。


 管理室の扉はすでにこじ開けられ、周囲はマネキンたちに囲まれている。

 その中心には能力を使う水野の姿があった。


「あなたたちは私に降伏したはず」

「え? ああ、そうだよ。マネキンどもが多すぎて、脱出するのは難しかったからな」

「なのに、どうしてそんなに笑っていられるの?」

「友達の成功は喜ぶもんだ。この部屋にいたんだから、お前も見てただろ?」


 上川と内田のやりとりは、カメラとマイクによってここからも確認できた。

 生中継されるその映像は、同室にいた水野も見届けている。


「お前がどういう理由でここの連中に協力しているのかは知らないけどさ。能力がらみってことは想像がつく。だったら、上川の話を聞いてお前はどう思ったんだ?」

「……別に、なにも」

「そんなことないはずです」


 白河はなにかを拒否するように首を横にふった。


「千佳さんは上川さんの告白が終わるまで私たちをこの部屋にいさせてくれました。それは千佳さんも、上川さんの話が気になったからのはずです」

「……このまま、あなたたちを連行する。抵抗は非推奨」

「ま、自分の足で歩かなくていいのは楽なもんだよ。楽しいかどうかは別だけどな」


 天城の皮肉はささやかな抵抗であったが、水野はまったく表情を変えなかった。


 ***


「う、うげぇ……」


 脳みそが洗濯機に入れられたような気がする。

 激しい破壊音で耳が遠のき、あまりの衝撃に意識も遠のいていた。

 一ノ瀬の口からは、ぼんやりとした声だけがもれる。


「ほら、しゃきっとしなさい! 着いたわよ」


 気絶しかけていた一ノ瀬は、仙石に顔をはたかれ、無理やり立たされる。

 足元はふらふらしたが、また叩かれてはかなわないので必死にふんばった。


「それより見なさい。車がいっぱい。よりどりみどりの選び放題よ」


 周囲を見渡すと地下駐車場には着いたのだとわかる。

 同じ黒塗りの車が何台も止まっていることがその証明だ。

 地獄の急速落下は、成功してしまったらしい。


「さて、どれにしようかしら」


 あれだけのことをした後だというのに、疲労の色をまったく見せない仙石はスキップしながら車を選んでいる。

 目的地についたのがよほど嬉しいのだろう。


「あの、ショッピング気分のところ悪いんですけど……知ってます委員長? 車って、鍵がないと動かないんっすよ?」

「ああ、そんなこと。大丈夫よ、見てなさい」


 仙石は手近な車のドアを掴むと、強引にそれを引き剥がした。

 ピッキングといった技工など介在する余地もない、ただの力技である。


「さぁて、もう一発殴ったら動くかしら」

「わぁー、待った待った! これ以上はダメだって! 爆発したらどうすんのさ!」

「バカね。この手のものは少し叩けば動くようになってるのよ」

「あんた、なに時代の人だよ! お願いだから、やめて!」


 一ノ瀬は仙石の腰にきつく抱きつく。

 車に暴行を加えようとしていた仙石は、驚いたように顔を赤くした。


「ちょっ、あんた、なにしがみついてんのよ! セクハラ!」

「うえっちー! アマギーン! 早く来てくれー! でないとオレが死ぬー!」


 ***


「――というわけで」


 上川はどういう経緯でここまで来たかについて移動しながら内田に説明していた。

 その簡単な説明は、最終的に帰る方法へとうつる。


「天城いわく、イッチーと仙石さんが脱出手段を探してくれてるみたい」

「わかったわ。けれど、その二人とはどうやって合流するの?」

「少し前に地響きがしたでしょ? あれ多分仙石さんがやったんだと思うんだよね。だから、こうして探していれば……」


 来た道を戻るように渡り廊下を通って、一階らしきそのフロアを探索する。

 目的のものはすぐに見つかった


「やっぱりあった」


 隕石でも落ちたような穴。

 それが天井と床に穿たれている。

 こんなことができるのは仙石真由美しかありえない。


「本当だわ。委員長さんが見える」


 穴のそばにしゃがみこんだ内田の隣から、上川も下をのぞく。

 駐車場に並んだ車のそばに仙石と、彼女にしがみついた一ノ瀬がいた。

 なにか言い争っていたが、仙石が一ノ瀬を殴り飛ばすことで決着がついたようだ。


「あぁ、イッチーが大変なことに!」

「早速降りる方法を考えましょう」


 そう言った内田はふと上川の手元に目を向けた。


「まずはあなたの手錠をなんとかするわ」

「大丈夫だよ。合流したら天城が外してくれると思うし」

「いいえ。私がなんとかするわ。あなたの言うように、制御できるようにならないと」


 内田の整った顔に、静かな闘志を垣間見ることができる。

 無感情を装わなくなったおかげだろうか、以前に比べると少しだけ表情が読みやすい。


「えっと、じゃあお願いします。間の鎖を切ってくれるだけでいいから」


 内田に向けて両手を突き出す。

 その手首と手首の間にある鎖を、内田は緊張した面持ちで見つめる。

 そんな顔を見ているとこっちまで緊張してきた。

 内田の目がかすかに光った。


「あっ、ダメ……っ!」

「えっ」


 明らかに失敗した声だ。

 全身から冷や汗が吹き出す。

 次の瞬間、足元の床が消えてなくなった。


「いぃっ!」


 突然の落下。不意の衝撃に身を固くし、地面との激突を覚悟した。


「おっと。まったくなにしてんのよ、あんたたちは」


 落下した上川は仙石にあっさりと片手で受け止められる。

 反対の側には同じように受け止められた内田の姿もあった。


「い、いやぁ……ははは」

「ありがとう、委員長さん。すごいのね」

「まぁ、これくらいは大したことないわよ」


 仙石に下ろしてもらった内田がこちらに目を向ける。

 その視線は依然として両手首をしばる手錠にそそがれていた。


「ごめんなさい。やっぱりうまく制御できなかった」

「いや、すぐにうまくいかないのはあたりまえだよ。焦らなくても、これからゆっくりやっていけばいいんだから」

「ありがとう」


 面と向かって好きな女の子にお礼を言われると、顔が熱くなってしまう。

 ごまかすために仙石へ話しかけた。


「あ、そうだ。仙石さん、受け止めてくれて本当に助かったよ……って、イッチー!」


 仙石の背後、駐車場の隅に一ノ瀬が倒れている。

 その姿はまるでボロ雑巾のようにみすぼらしく、哀れなものだった。

 とっさに駆け寄り、抱き起こす。


「しっかりしろ、イッチー! あぁ、強風で飛ばされた洗濯物みたいになっちゃって!」

「お、おぉ……うえっち。ここはあの世か……」

「まったく、あの連中はふざけてないと死ぬ病気かなにかなのかしら?」

「ふふっ……」

「意外。あなたも普通に笑うのね」

「ええ。少しずつそういう風にしていこうと思っているの。迷惑かけてごめんなさい」

「ま、一緒に帰る気になったならそれでいいわよ。車も手に入れたしね」

「うえっち、おふくろに伝えてくれ……親不孝な息子で、ごめんって……」

「イッチー! しっかりしろ、イッチー!」

「お~い、そこのバカ二人。いつまでつまんないコントやってんの。置いていくわよ」


 こちらに声をかけながら、仙石はドアのない運転席に乗り込む。

 その気配を察してか、一ノ瀬がびくんと飛び起きた。


「あ、そうだ。うえっちも止めてくれ! 委員長が――」

「ふんっ!」


 その言葉が終わる前に、なにかが砕ける音がする。

 見れば、仙石が車の鍵穴を殴り潰していた。


「あー、やっちゃったよ! あの人、なんでもパンチで解決すると思ってるんだよ!」

「うるさいわよ、一ノ瀬。こういうのは何回か叩いてれば動くって昔から決まってるの」


 仙石は続けて運転席に座ったまま、車体をガンと蹴りあげる。

 上川と一ノ瀬は爆発に備えて、きつく目をとじた。


 けれど聞こえたのはエンジン音。

 なぜか車はアイドリングを始めていた。


「ほらね?」

「う、うっそだー……」

「す、すごいね、仙石さん」

「ええ、すごいわ。完全にスキルをコントロールしてる」

「え、そっちっすか?」


 大袈裟に驚く一ノ瀬を無視して、内田は運転席へと近づいた。


「委員長さん。あなたはどうやってスキルをコントロールしてるの? 私もそういう風になりたいの。教えて」

「え? しょ、しょうがないわねぇ。でも別に変わったことはしてないわ」


 頼られているのが嬉しいのか、仙石は少し声を上ずらせている。


「あたしの場合は、これよ」


 そう言って、髪をまとめていたヘアゴムを外す。

 首を振って毛先をちらしながら、それを指に引っ掛けてみせた。


「髪をまとめている間は気合が入るから、スキルを使う。で、逆にこうしてナチュラルにしているときはスキルは使わない。そういう風に決めてるから、この状態で怒っても、壁は蹴り壊せないわ」

「あ、じゃあ反逆するなら今じゃね? いいかげん、方向音痴を認めるんだ委員長!」

「違うって言ってんでしょうが!」


 仙石は冷静に、飛びかかった一ノ瀬の腹部を一撃いれる。

 がふっ、と声をあげた一ノ瀬がどさりと倒れるが吹っ飛んだりはしなかった。


「ま、こんな感じ。物や動作を使って訓練するのは有名な方法でしょ? ほら、あの白髪の子も、指を動かす動作で能力を使っていたわけだし」


 仙石の言う方法は、たしかに有名な方法だ。

 スキルを発動するための感情をある程度自由に操れるようになれば、スキルを制御できるということになる。


 そのための補助に道具や動作を用いるのだ。

 たとえば、持っていると落ち着くものやファイティングポーズのような動作と組み合わせて練習をする。


「懐かしいねぇ、うえっち」


 むくり、と一ノ瀬が起き上がる。


「中学の頃、うえっちも訓練したよね」

「そうなの? 少し遅いわね」

「うえっちの場合は、幼いの頃はあんまり問題にならないスキルだったからね」

「あぁ、近所のエロガキって扱いで済んだのね」

「ひどい言い草だ……」


 大きく間違ってはいないんだけど。

 同級生には蛇蝎のごとく嫌われたが、年上のお姉さんにはわりと寛大に受け入れてもらえた。


「でも思えばあれが人生のピークだったのかもしれない。あ、ダメだ。泣きそう」

「大丈夫だ、うえっち! まだまだ人生は長い! いいことあるさ!」

「あんたたちは、話の腰を折らずにはいられないわけ? ひっぱたくわよ」

「それより、参考にしたいからそのときの話をもっと聞かせてほしいわ」


 内田の瞳がまっすぐ上川をとらえる。

 恥ずかしい話だが、言うしかないだろう。


「う、えっと……俺の場合、緊張したり興奮するとああいうことになるんだ。だから平常心を保つために数珠持ったり、人体模型のストラップを買ったりしたんだけど、突発的なものは抑えられなくって……なんかそんな感じです、すいません」


 なぜ、こんな話を好きな女の子にしなければならないのか。

 恥ずかしさで顔から火が出そうだった。


「文香は、どういう感情が引き金になっているか本人もわかっていないみたい。だから訓練もできないの。いわゆる、効果には個人差があります、ってやつよ。みんなが使えるわけじゃないわ」


 仙石はヘアゴムをくわえて、短い髪をまとめなおす。

 それから軽く車を足で小突いた。


「まぁ詳しい相談は帰ってから聞くわ。とりえあず車に乗って。あたしが運転するから」

「絶対やだ! 委員長の運転とか、命がいくつあっても足りない気がするもの!」

「こんなの誰がやっても変わらないわよ。免許持ってるやついないんだから」

「それでもアマギンならなんとかしてくれるはず! あいつなら、さらっと運転できても驚かないよ! むしろ縦列駐車とか得意そうだし!」

「天城は先に脱出しておけって言ってたよ」

「あ~……頼みの綱がぁ……」


 がくりと一ノ瀬がひざをつき、仙石が我が意を得たりとばかりに指をならす。


「決まりね。あたしが運転、一ノ瀬は助手席。あとの二人は後ろに乗って。無免許運転については多分ここ私有地だから不問ってことで」

「わかったわ」

「お、オレはいやだぁ! まだ死にたくなーい!」

「俺もその、内田さんの横は緊張するというかなんというか……」

「うっさい男子。早く乗らないと置いて行くわよ」


 仙石は一ノ瀬の襟首を掴むと、無理やり助手席に押し込む。

 自分もああされてはかなわないので、しぶしぶ運転席側の扉から後部座席に乗り込んだ。


 反対側から内田が乗り込んでくる。

 距離が近すぎて、頭が真っ白になりそうだった。


 これではふとしたカーブで身体が触れ合ったりしてしまいかねない。

 それでラッキースケベが暴発するのは避けたかった。


「シートベルトはしたわね? 行くわよ!」

「いぃぃっ!」


 上川の懸念は、仙石のアクセルによって吹き飛ばされる。

 エンジンがうなり、車が急発進する。

 その乗り心地は、暴れ牛の背中にいるものに近い荒々しいものだ。


「案外難しいわねっと! あ、でも段々わかってきたわ」


 楽しそうなのは運転している仙石だけで、助手席の一ノ瀬は放心、隣にいる内田もやや顔が青ざめている。

 上川も容赦なく食い込んでくるシートベルトの苦しさだけが身にしみた。

 ラッキースケベが暴発するとか、まったく考えていられない。


 ほとんど飛ぶようにして駐車場を脱した車は、ギャリギャリとひどい音を立てながら猛スピードで蛇行する。

 ミキサーにかけられたようにめまぐるしく変化する窓の外の景色を見ないようにしながら、上川は仙石へと問いかけた。


「と、ところで仙石さん。どこに向かってるの?」

「もちろんあたしたちが最初に来た湖のところよ。間違ってないでしょ?」

「で、でも方向が違うような……」

「だから! 委員長は方向音痴なのに、ハンドルなんか任せるから――」

「あたしは方向音痴じゃないって言ってるでしょ!」


 方向修正のために仙石は急ハンドルを切り、車体は勢いよく横にすべった。

 上川は窓ガラスにごんと頭をぶつけてしまい、目をしばたたかせる。


 目的の湖へとたどりつくにはどうすればいいのか。


 それはきっと運転手の仙石だけでなく、誰にもわかっていないことだった。

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