第19話 迷子、占拠
上川は、友人たちと別れて施設の中をひた走っていた。
飛び出してきてから気づいたのだが、いったい内田さんがどこいるのか検討もついていない。
「ど、どこだここ……!」
とりあえず見つけた階段をのぼって降りて。
マネキンや研究員に追いかけられるままに逃げまわっているうちに、ここがどこなのかもわからなくなっていた。
「内田さーん! どこだー!」
叫んだところで返事はない。
バタバタと走って、片っ端から扉を開けていく。
誰もいない部屋もあれば、鍵がかかっていて開かない部屋もあった。
そんな中、扉が開いたままの部屋を見つけた。
今までにはなかったことだ。
もしかするとここに内田さんがいるのかもしれない。
「内田さん!」
そこはぽっかりと壁に穴の空いたトイレだった。
すぐさま振り返る。
さっきは気付かなかったが、廊下には天城が外した通風口のフタが転がっていた。
「ふ、ふりだしに戻る……?」
「いたぞ! 学生だ!」
「げっ、まずい!」
追手である研究員から逃げようと、声とは反対側に向かって走りだす。
すると、正面には黒服のマネキンたちがいた。
とても押しのけて通れるような数じゃない。
そうしているうちに背後からの研究員に追いつかれ、上川は鼻先に銃をつきつけられてしまった。
「手をあげろ」
「は、はーい……」
ゆるゆると上川は両手をあげて、それから言った。
「あ、あの、宮永さんに会わせてもらえませんか?」
***
天城は気絶した少女を背負ったまま、階段を上がっていた。
「大丈夫か、文香?」
背後に振り返り、白河へと声をかける。
さらわれるというスキルのことを差し引いても白河から極力目を離したくはなかった。
「はい。でも、どうして恭平さんはコントロールルームというのがこちらにあるとわかったんですか?」
「勘だな」
「勘、ですか」
なんとなく、そういう部屋は高い階層にあるイメージだ。
多分、あるだろうと思う。
「それより文香。上川の言ってたことだが」
「はい?」
もう回りくどいのはなしだ。
多少気恥ずかしいが、直球で説明することにする。
「そもそも内田渚に好意を抱いているのは――」
「う、うぅ……」
階段を上がりながら誤解をとこうとした瞬間、うめき声がした。
背負った少女が身じろぎをし、閉じられていたまぶたが薄く開く。
どうやら目が覚めたようだ。
タイミングの悪さに文句をつけたくなるが、言っても仕方のない。
「よぉ、起きたか」
「…………」
踊り場で立ち止まり、声をかけると黙ったまま目をそらされる。
「おとなしくしておいてくれよ。お前の相手をもう一回する元気はないからな。あと、おれまだ裸足だから」
返事はなかったが、代わりに暴れようともしなかった。
そんな少女を見て白河がなにかを思い出したように手を叩いた。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたよね!」
「はぁ? 文香、こんなときになにを……」
「ダメですよ、恭平さん。どんなときでも礼儀はきちんとしなければいけません」
きっぱりと言い切った白河は少女に向かって、人懐っこい笑顔を向けた。
「はじめまして。私、白河文香といいます。あなたはなんとおっしゃるんですか?」
「いや、さすがに返事はしないだろ」
「……水野千佳」
「返事するのかよ」
「千佳さんですか。ステキなお名前ですね! ほら、恭平さんも」
「そのうちな。今はとにかくコントロールルームを探さないと」
「コントロールルーム……?」
意外にも、水野と名乗った少女が反応を示した。
「そうだ、千佳さんに訊いてみましょうよ。コントロールルームがどこにあるのか、教えてくださるかもしれませんよ」
「いや、文香。さすがにそれは……」
「八階の東側」
「教えてくれるのかよ」
「ありがとうございます、千佳さん! 八階ですね」
「ちょっと待てよ。罠かもしれないだろう」
「ダメですよ、恭平さん。むやみに人を疑うのは良くないことです」
「それはそうかもしれないが……」
文香を説得するのは諦めた方がいい。
長年の経験が、天城にそうささやいた。
背後の水野を問いただすほうがまだ楽だ。
「おい、撤回するなら今のうちだぞ。もしウソだったら頭突きしまくるからな」
「…………」
返事はなかった。
仕方なく踊り場で階層を確認する。
今は五階と六階の間のようだ。
「じゃあ、ダメ元で八階まで行くか」
「はい!」
足取りが軽くなった白河と違って、天城はまだ半信半疑だ。
正直、気は進まない。
階段をあがり、八階に来てもその気持ちは変わることなく、むしろ警戒心は強くなった。
どのフロアも基本的な構造は似ているようで、廊下を見た限りでは他とそう変わった様子はない。
監視カメラにうつらないよう、注意しつつ進んでいく。
「そこ」
しばらく黙っていた水野が、ある部屋の扉を指さした。
管理室という名札がそこにはかかっている。
「マジであるのかよ」
「ありがとうございます、千佳さん!」
「いやいや、まだ問題はこれからだ。道中におれたちを探していたのは、大体が黒服のマネキンだった」
それは廊下を闇雲に疾走している上川のほうに人員が引きつけられているからだろう。
「監視カメラもそうだが、人間じゃないから隙をついてここまで来れたが、さすがにこの部屋には人がいるだろ。それをどうするのかが問題だ」
「そうですか……難しいですね」
もしも単独行動であったならば、無茶な方法もとれないわけじゃない。
だが今は白川が側にいて、背中には敵を背負っている。
もっとも安全な方法を選びたかった。
なにか道具はないものかとズボンのポケットをさぐってみる。
時には髪の毛の中に手を突っ込みもした。
だが結果的に地面に転がったのは文香の居場所を確認するためのレーダー各種。
それ以外にはズボンのポケットに入っている、茶色の小瓶だけだった。
「あ~、そうか。これ入れっぱなしだったな」
「あれ、それってどこかで見たことあるような……」
「マネキンから奪ってきたやつだ。なんなのかはまだわかってないんだけどな」
「あ、そういえばそれ、上川さんも持ってました! クロロホルムですよ!」
「上川が?」
「はい。そのとき宮永さんがフィクションテクノロジーがどうとか言ってましたよ」
「この小瓶に入ってるのが、噂の不思議テクノロジーなのか?」
照明にかざして、中を透かしてみる。
当たり前だが、それで中身がどういうものなのかわかるわけがなかった。
「恭平さん」
期待に満ちた目で白河が見上げてくる。
そして、ちらりと水野にも視線を送った。
「……わかったよ」
水野に訊いてみろ、ということなのだろう。
コントロールルームの場所はウソではなかったのだから試してもいいが、過度な期待は禁物だ。
小瓶を背中にいる水野にも見えるように持ち上げてみせる。
「参考までに、これなにか教えてくれたりしないか? まぁ、しないよな。そのほうが安心するくらいだ」
「……クロロホルム」
「答えてくれるのかよ。しかも本当にクロロホルムなのか?」
「厳密には違う。けれど、それに近いもの」
「どうやって使うんだ?」
「布に染み込ませる。背後から口元を覆う。そうすれば対象の意識を奪える。しかし、この手順を無視すれば効果はない」
「まるっきりサスペンスドラマじゃねぇか。あ、フィクションテクノロジーってそういうものなのか。条件がどうこうって上川も言ってたな」
「私、ハンカチ持ってますよ! 使ってください、恭平さん」
白河がポケットからハンカチを取り出す。
白いレースのついた可愛らしいものだ。
文香の持ち物に得体のしれない液体を染み込ませるは気が引けたが、せっかくの厚意を無にすることもない。
今は水野の情報が正しいことを祈ることにしよう。
「ありがたく借りておく。よし、じゃあちょっと行ってくるから、文香は待ってろ」
「わかりました。では、千佳さんも……」
「いや、こいつは連れて行く」
文香と二人きりにさせるわけにはいかない。
「む~……せっかく話し相手になってくれると思ったのに」
「おとなしくしててくれよ。すぐだから」
むくれる白河をそのままに、部屋へと押し入った。
中には所員が三人。
無数のモニターと、パッと見ただけでは使い方のわからない複雑な機械に向かっている。
思ったよりも人数が少ない。
「よしっ!」
素早く忍び込むと、存在に気づかれる前に一人を気絶させる。
二人目の口元も即座に押さえると、さっと背後に回る。
それでもフィクションテクノロジーは機能したようで、二人目の意識も失った。
「脱走した学生かっ!」
三人目が天城に銃を向ける。
すでに引き金に指がかかっており、発砲する前に無力化するのは不可能だろう。
一発くらいなら耐えられるかもしれない。
構わず距離をつめる。
銃口がたしかに狙いをつけ、ついに発砲されるかと思われた、そのとき。
「なっ、うわ……!」
その銃を持った所員が宙に浮かび、銃口があさっての方向にそらされる。
背後の少女を問いただすよりも先に、無重力状態でもがく三人目の意識を奪った。
やれやれ、と意図せず言葉が漏れる。
これでこの部屋は占拠できた。
度重なる運動でにじむ汗を、ゆっくりとぬぐう。
「これはちゃんと洗濯して返さないとな」
ハンカチをポケットに突っ込むと、無重力から開放された所員が床に落ちる。
「で、どういうつもりなんだ?」
三人目が浮いたのは間違いなく、水野千佳がやったことだ。
それはまるで天城を助けるようなタイミングだった。
「あの位置から発砲された場合、私も被害にあう可能性が高かった」
「あっそ。じゃあこの薬品の使い方を正しく教えてくれたのはなぜだ? ついでにこの部屋の位置を教えてくれた理由も話してくれると嬉しいんだが」
「…………」
「そっちはだんまりか。なんにしても助かったからな。礼は言っとくよ。ありがとう」
それに対しても水野は返事をしなかった。
内田渚といい、最近は愛想のない態度が流行っているのかとさえ思う。
実りの少ない会話を切り上げ、目的のものに向かう。
室内のモニターには監視カメラから届いた映像がうつっているようだ。
「さぁて、上川はどこかなーっと。まだ捕まってないといいんだが」
「……質問」
さっきまで無言をつらぬいていた水野が唐突に口を開く。
「なんだ?」
「なぜ私を拘束しているの? 私を無力化するのが目的なら殺害するのがもっとも有効」
「冗談きついぜ。おれたちはただ、友達を連れ戻しに来ただけだ。物騒なこと言うなよ」
「……それだけ?」
「それだけだ。知らないだろうけど、今日上川が映画に出かけるまでには、かなり苦労したんだぜ。それをこんなアクシデントでふっとばされちゃ困る」
天城はウソを一つも口にしていないつもりだったが、それを水野がどう解釈したのかはわからない。
とにかく、水野は黙り込んだ。
なら用は済んだと思ってもいいだろう。
「さて、文香を中に入れてやらないと」
それから上川を探さなければ。
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