第10話 トラックはやすやすと空を飛ぶ


「ほら、うえっち。はよ起き」


 上川が意識を取り戻したのは、一ノ瀬の声と容赦のない平手打ちによってだった。


「うぅ……い、いたい」


 目の前には、意識を確認するように手をふっている一ノ瀬がいた。


「おはよーさん。しっかし、せっかくのデートでなにやってんのさ」

「いや、俺にも全然……って、なに? なんで車の中? 映画館じゃないの?」

「タクシーに乗って内田さんをさらった連中を追跡中。アマギンから連絡あったけど、河川敷のほうに向かったらしいよん」


 黒い折りたたみ式携帯を手に一ノ瀬が言った。

 その言葉どおり、ここはタクシーの後部座席のようだった。

 目指している河川敷は、学校から東に行ったところにあるもののことだろう。


「あ、料金はうえっちが払っておくれ。ケーキ代でお財布に大打撃だから」

「わかった。今日はちょうど多めに用意してるから大丈夫」

「んで、なにがあったん? てっきり仲良く映画を観てるものかと思ってたのに」

「えーっと、映画が始まってしばらくしたら後ろの客に布で口と鼻を覆われて……」

「サスペンスの定番、クロロホルムでもかがされたっていうん? あれって実際にはそう簡単に気を失わないらしいよ?」

「でも気を失っちゃったんだから仕方ないじゃん。それで、内田さんは?」

「オレが見たときは、怪しげな連中に担いでさらわれてたよ」

「えぇっ! なんで?」

「そんなん知ってるわけないでしょーが。うえっちだってさらわれかけてたんだから」

「俺も……?」


 にぶく痛む頭で、なんとか状況を理解しようとつとめる。

 しかし、自分がさらわれる心当たりなんてまったく思いつかなかった。


「ま、アマギンが追っかけてくれてるし、こっちもすぐに追いつけるよ。ほら、もう河川敷だ。運転手さん、おりまーす」

「じゃあイッチー、お会計よろしく!」

「えー、またかよ!」


 内田が今にもさらわれようとしているなら、じっとなんてしていられない。

 一ノ瀬に自分の財布を押し付けて、上川は先にタクシーを降りた。


 日曜日の太陽が照る河川敷に、人影は少ない。

 上川は素早く視線をめぐらせる。


 周囲には天城の姿も、さらわれた内田の姿も見つけることができない。

 焦る気持ちを押さえて、道路から河川敷までの斜面を滑り降りる。


「おら、待て! 蹴っ飛ばすぞ!」


 天城の声は、橋の影から聞こえた。

 素早くそちらに向くと、一ノ瀬の言ったとおり六月なのに暑苦しい格好をした怪しい三人組の姿がかすかに見えた。

 先頭の一人が無遠慮に担いでいるのが内田であることも一目見ただけでわかる。


 どうやら先回りに成功したようだ。

 挟み撃ちにできるよう、黒服に向かって駆け出す。


「内田さん!」


 そう叫ぶと黒服がぎょっとしたように、立ち止まる。


 対するこちらはまったく速度を落とさず、軽く跳躍して黒服の腹部を蹴飛ばす。

 蹴ったときの感触がやけに硬く、軽い。

 まるで人形でも蹴ったような感触だった。


「よしっ!」


 相手の体勢がぐらついた隙をついて、内田の手を引き黒服から奪還する。

 ぐったりとした体を受け止めながら、上川はほっと息をつく。

 だが違和感もあった。


 いつまで経っても地面に足がつかないのだ。


 たしかに相手を蹴るために、ジャンプはした。

 でも、いくらなんでも滞空時間が長すぎる。

 上川はおそるおそる足元に視線を落とした。


「うわっ!」


 浮いている。


 思わず我が目を疑ったが、間違いない。

 上川は内田を抱えたまま、地面から数十センチの高さに浮かんでいた。


 足を動かしても、空気を混ぜるだけで一向に地面に近づかない。

 それどころかどんどんと空に向かっていた。


「え? え?」


 あわてて内田を引き寄せはするが、そこで冷静になってしまい強く抱きしめることはできなかった。

 それはちょっと恥ずかしい。

 あと申し訳がない。


 まっすぐ立っているはずなのに、逆さまにされたような気持ち悪さが込み上げてくる。


 上ってどっちだっけ? 下は?

 地面を離れて数十秒と経っていないはずなのに、そんなことまでわからなくなる。


 身体はどんどんと宙に浮かんでいく。

 内田の長い髪の毛が、まるで静電気にあてられたように膨らんだ。


 そして急加速。

 まるで空に向かって、落ちていくみたいに地面が遠のく。


 あまりのショックに上川は再び気絶した。


 ***


「なんだありゃ……」


 天城は目の前で空に浮かんでしまった友人とその想い人をぽかんと見上げる。


 ラノベ特区で起こる大抵の不思議なことは、誰かのスキルによるものだ。

 怪しい三人組は、地面に倒れたまま動く気配はない。


 ならば、いったい誰のスキルなんだろうか?

 考えている間にも上川たちは浮かんだまま、ふわふわと橋へと移動を始める。


 橋の上には少女が立っていた。

 真っ白な髪をした少女は、ガラス球のように無機質な瞳で宙に浮かぶ上川たちを眺めている。

 その動きはどこか作り物めいていて、人形のようだった。


 少女が指を動かす。

 それに操られているかのように、上川たちは引き寄せられていた。


「あ~、うえっちまた気絶してんね。座席なしのジェットコースター状態ならそれもやむなしだけど」


 河川敷に降りてきた一ノ瀬が天城の隣に駆け寄りながら、空に目をこらす。


「それでも好きな子を放さないのは、男子高校生として見習いたいところだね。で、あれなに? 誰かのスキルなん?」

「ああ、まず間違いなくそうだろうな」

「サイコキネシスとか? そりゃダメハーレムのうえっちには、分が悪すぎる相手だわ」

「なおさら、ぼーっと見てちゃいけねぇな。橋に向かうぞ」

「う~ん、間に合うんかねぇ」


 ***


 一方そのころの仙石は、すっかり白河を見失ってしまっていた。


「文香、もう……どこに行ったのよ」


 白河を捜して走っているうちに橋にまで来てしまった。

 彼女を見失った場所からはもうずいぶん遠い。

 こんなところに文香はいないだろう。


 途方に暮れて空をあおぐと、さらわれたはずの上川と内田が凧のように浮かんでいた。


「え、なに……どういうこと?」


 橋の上には歩道に寄せて、一台のトラックが止まっている。

 その半分開いた荷台の中へと上川と内田が浮遊したまま積み込まれる。


「あ、ちょっと!」


 仙石の中で、止めなければならないという感情がこみ上げる。

 手首につけていた黒いヘアゴムで、髪をくくる。

 それが自分の中でのスイッチだった。


「待ちなさいよっ!」


 衝動に任せて、手近にあったバス停を掴む。

 今ならシャーペンよりも軽く感じるそれを持ち上げると、トラックに向けて思いきり投げつけた。


「…………」


 バス停の進路に見知らぬ少女が割り込んでくる。


 白い髪が目をひく、人形のような少女が無機質な動きでバス停を指さすと、その勢いが不自然に減衰しはじめた。

 急激に速度を落としたバス停は一瞬空中で静止したかと思うと、今度は仙石のほうに向かって段々と加速して戻ってくる。


「えっ、ウソ!」


 両手で受け止めることはできたが、その間にトラックの荷台の扉が少女によって閉められる。


 閉じる直前、中に上川たちとは別の人影――白河文香の姿がたしかに見えた。


「あ、もう! ちょっと! 待ちなさいって!」


 バス停を降ろしあぐねている間に、少女がトラックの助手席に乗り込む。


 追いすがろうとすると、今度はトラックそのものが宙に浮かんだ。

 その巨大な車体はそのまま空をすべるようにして、仙石のそばを離れていく。


「いったい、なにがどうなってんのよ……」


 仙石はなすすべなく、空を走るトラックを見送るしかなかった。


 ***


「やっぱ、間に合わんかったね」

「仕方ない。手がかりを探すぞ」


 トラックが空を飛んで行くのを見た天城と一ノ瀬は、追跡をあきらめて河川敷まで戻ってきていた。

 走って追う手段はないのだから、誘拐犯の情報を集めたほうがいい。


 そこに取り残された黒服たちは電池の切れたおもちゃのように、くずおれている。


「どうなってるん?」

「さぁな。ま、とりあえず身ぐるみを剥いでみるか」

「やだ、アマギンったら過激~」


 雑にマスクと帽子をむしりとる。


 その下には顔がなかった。


 目も口もなく、かろうじて鼻らしき隆起と耳だけが作られている。

 髪の毛は一本もない。


「マネキンだな」

「マネキンだね」

「でもこいつら、動いてたよな? スキルにしても操ってる人間は見当たらなかったが」

「なんにしてもマネキンじゃ、話は聞けんよね。え~、じゃあ手がかりなし?」

「いや、もう少しよく調べてみるべきだ」


 ロングコートをはぎとり、ひっくりかえす。

 ポケットから茶色の小瓶とハンカチ、そしてトランシーバーのような小型の端末がすべり落ちて河川敷の地面に転がった。


「これが手がかりだといいんだが。上川はなんか言ってなかったか?」

「後ろからハンカチで気を失わされたって、二時間サスペンスみたいなこと言ってたよ」

「じゃあこの小瓶に入ってるのはいわゆるクロロホルムってやつか?」

「いやいや、アマギン。クロロホルムじゃそう簡単に気絶はさせられないのよ」

「そうなのか? まぁなんにしても意識を奪うための薬品だと仮定していいだろう。こっちの端末はなんだろうな。通信機とかだと助かるんだが」


 電源を入れてみる。

 すると画面に波形が現れたが、音は出ていない。

 周波数を設定するようなスイッチ類も見当たらない。

 アンテナを伸ばすと波形が乱れた。


「これも謎、と。まったく、やれやれだ」


 前途多難で頭が痛くなる。

 そのとき、天城のポケットで着信音が鳴り響いた。


「おやおや、早速身代金の要求かねぇ?」

「なんでそんな電話がおれにかかってくんだよ。うわ、仙石からだ」

「ほ~、委員長かぁ。反省文についてかな。オレ、いないって言ってといてね」

「ったく、わかったわかった。もしもし」

『天城、天城! 大変なのよ!』


 音量の調節を間違った声に天城は目を白黒させる。

 ひどくあわてているようだ。


「あんまり大きな声出すなよ。耳がキンキンする」

『文香が、文香が空飛ぶトラックに連れ去られちゃった!』

「あ~……」


 あせりが伝わってくる仙石の言葉には答えず、天城はため息をついた。

 いくらラノベ特区といえど、空飛ぶトラックが何台もあるとは思えない。


「え、なに? どしたん、アマギン」

『ちょっと、聞いてるの天城! ねぇ、天城ってば!』

「やれやれ……悪いことって重なるもんだよな」


 天城は空を見上げる。

 長い一日になりそうな予感がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る