第6話 天城の潜入


 コメディであればどんな攻撃であろうと命を落とすことはない。

 殴打だろうと、爆発だろうと、すべてはギャグになってしまう。


 一ノ瀬は、そういう星の下に生まれた。


 とはいえ痛くないわけじゃない。

 ケガをしないだけで、許容量を超えればあっさりと気絶する。


 それが一ノ瀬の持つスキルだと、友人である天城はもちろん承知していた。


 だからこそ、一ノ瀬が仙石を引きつけている間にすばやく迂回し、ひっそりと玄関から女子寮に忍び込んだのだ。


 右を見て、左を見て、安全を確認。

 それから一歩を踏み出して、目の前に人がいることに遅れて気がついた。


「あ、恭平さん。こんなところでなにをされているんですか?」


 淡い橙色の前髪をヘアピンでとめた少女の小柄な影に、思わず足を止めてしまう。

 おっとりとした口調で天城に問いかけたのは、白河文香だった。


「やれやれ、なんてタイミングだ」


 小柄なせいなのか、それとも本当に髪の毛が長いのか、ゆるく波打つ髪は服の上から白河を覆うように伸びている。

 それが天使の羽のようにも、天女の羽衣のようにも天城には見えた。


「ダメですよ。女子寮は男子禁制なんですから」

「ちょっと郵便配達に来ただけだよ。それより出かけるところだったのか?」


 ここは玄関だ。

 門限があるためこの時間に寮から出る用事はそうそうありはしない。


「ああ、そうでした! ちょうど恭平さんに電話しようとしていたんです」


 白河は握っていた十円玉を見せる。

 個人の携帯電話はまとめてしまわれており、外出時にしか持つことを許されない。

 そのため校内での通話は、玄関の公衆電話から発信した場合のみ許されていた。


「明日お買い物に行こうと思ってるんです。その報告をしておきたくて」

「そうか……う~ん」


 本来ならば、文香についていくほうがいいのかもしれない。

 しかし、今は上川の手紙がうまくいくほうに賭けたかった。


「気をつけていけよ。それと」

「一人で行っちゃダメ、ですよね? 大丈夫ですよ。真由美ちゃんを誘いますから」

「仙谷か、そりゃ安心だ」

「真由美ちゃん、たしか今日は当番だったから外にいるはずですよね」

「あぁ、いや、今はダメだ。あとにしてくれ」

「え? どうしてですか?」


 一ノ瀬が仙石の注意を引き付けているからここにおれがいるんだ、とは言えない。


「まぁ、いいじゃないか。それより、文香。内田渚の部屋番号ってどこかわかるか?」

「内田さんですか? はい、それならたしか四〇二号室だったと思いますよ。四階の角部屋で、ルームメイトがいないから内田さん一人だったはずです」

「へぇ、そいつは羨ましいかぎりだ」


 男子は基本的に三人で一部屋を使うが女子は二人で一部屋を使う。

 女子寮のほうが男子寮に比べてはるかに立派な建物だからできることだ。


 時間に余裕はないが、思わず玄関をぐるりと見回してしまう。

 男子寮では蛍光灯が半ば消えかけ、壁のひび割れも目立つが、こちらはどちらも完璧に整っている。

 壁は雲のように白く、電灯は恒星のように煌々と光っていた。


「ありがとよ、文香。じゃあ明日はくれぐれも気をつけてな」

「はい。それではまた」


 礼儀正しくお辞儀をする白河と別れて、天城は階段を駆け上がる。

 ここまで来たらもう隠密行動はおしまいだ。

 できるだけ早く終わらせることを優先する。


 男子がいることに短く悲鳴をあげた女子生徒に「失礼」と謝りながらも、なんとか天城は四階へとたどりついた。

 たしか文香が言っていたのは。


「四〇二、だったっけ。で、角部屋だ」


 早歩きで廊下の突き当りにたどりつくと、部屋番号の下にある名札を確認する。

 内田渚の名前があった。


 部屋にいてくれよ、と祈りながら三回ノック。

 急いでいるため、返事を待たずに扉を開ける。


「失礼しまーす」

「…………」


 幸運にも部屋にいた内田渚は部屋にいた。

 窓際に立ち、玄関前を見下ろしている。

 外の騒ぎが気になったのだろうか。


「上川だったら着替え中とかに遭遇するんだろうな。やっぱりおれが来てよかった」


 室内は綺麗に整理されているというよりか、物が少ない印象を受ける。

 備え付けのベッドと机のほかには、勉強道具や制服という必要最低限のものしか見当たらない。

 自室の散らかり具合を思うとウソみたいな光景に思える。


「……なにか用?」


 ゆっくりと内田が振り返る。

 男子が入ってきたことに対する驚きは、見たところ感じられない。

 声音や表情に浮かぶ感情が希薄なため、なにを考えているのか推測することも困難だった。


「下の騒ぎは、あなた達の仕業?」

「いえいえ、怪しいものではございません。しがない郵便配達員です」


 芝居がかった口調と共に、うやうやしい一礼をしてみせる。


「本日はラブレターをお届けにあがりました」

「興味ない」


 一刀両断だ。


 なんであいつはこんな無愛想な女を好きになったのかね、と天城は相手には聞こえないようにぼやく。

 おれにはまったく理解できない。


「まぁ、そう言わずに。読むだけでも読んでやってくれよ」


 返事はなかった。

 内田は黙って、窓の外に目を向けている。


「じゃ、とりあえず置いていくから」


 手紙を机の上に置くと、足早に部屋を後にする。


「どうもあの女は苦手だな……おっと、それよりイチだ」


 帰りはなにも気にする必要がない。

 廊下を駆け抜け、階段を飛び降り、玄関から外へと転がり出る。


「無事か、イチ!」


 すでに一ノ瀬は地面に倒れていた。

 その頭上には天城にも見える星が二つ、ぐるぐると回っている。


「え、天城?」


 気絶した一ノ瀬の傍らに立っていた仙石が、竹刀の切っ先をこちらに向ける。


「なんで女子寮から出てくんのよ。もしかして……一ノ瀬は囮だったのね!」

「さぁ、どうだろうな。おい、起きろイチ! とっとと帰るぞ!」


 呼びかけるも返事はない。

 その間にも仙石が迫ってきていた。


「逃さないわよ!」

「待て、仙石!」


 竹刀を振りかぶった仙石に手のひらを突き出す。

 大きな声を出したおかげか、仙石の動きがぴたりと止まった。


「よく考えろ。おれはコメディ属性を持っていない。お前の怪力をくらえばただではすまないだろう。最悪、女子寮をホラー映画のロケ地にしちまうぞ。それでもいいのか?」

「なめんじゃないわよ!」


 大きく息を吸い込んだ仙石は、片手でヘアゴムをほどく。

 セミロングの髪がなびくのと同時に、再び振り降ろされる竹刀。


 鼻先をかすめる切っ先。

 代わりに斬られた空気がひゅっと鋭く音を立て、竹刀は地面を叩く。


 だが、コンクリートは砕けない。

 それはスキルを発動していないということだ。


 仙石が真に恐ろしいのは、破壊的なスキルを自由に扱えているという点だ。

 上川のことを思うと、スキルを操っているということだけでも驚嘆に値する。

 一ノ瀬は常時発動しているようなものだ。


 再び竹刀が迫ってくる。

 下から斬り上げるような一撃を、後ろに転がってなんとかかわす。


「ちっ、次は当てるわ!」

「お、おい! 早く起きろイチ! 逃げるぞ!」

「が、がってん!」


 仙石を引きつけた隙に、よろよろと起き上がった一ノ瀬が先に逃げ出す。

 天城もくるりと背を向けて、一目散に逃げ出した。


「あぁ、もう! 逃げるんじゃないわよ!」


 仙石は女子寮前という持ち場を離れることはできない。

 また二手に別れて逃げたなら追跡される可能性は低くなるはずだ。


 案の定、仙石は悔しそうに立ち止まる。


「週明けには反省文! 絶対書かせるからね!」


 背後からそんな声だけが追いかけてきたが、足を止めることなく天城は走った。


 ***


 一連のやりとりを内田渚は窓から見下ろしていた。

 バタバタと逃げていく二人の男子が見えなくなると、机に置いていかれたラブレターに目を向ける。


 手にとった封筒には、鬼気迫るような迫力が感じられる文字で「内田渚さまへ」と書かれている。

 裏の差出人名は上川修司。


「上川、修司……」


 名前をたしかめるように唇でなぞると、内田はゆっくりとした動作で封を切った。

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