第2話  小学生(行ったり行かなかったり)時代



母の連れ子だった私は、無意識に気を張っていたのだと思う。

とは言っても、自分の性格を押し殺したり、

我慢したりはしていなかった。

元気に遊びまわっていたし、新父に甘えもした。

そんな私を、新父も、新祖父・新祖母も喜んで受け入れてくれた。

ただ、私の心の底には、嫌われないようにしよう、という気持ちがあった。


母も変わった人だが、再婚した父も相当に変わった人だった。


小学校低学年になった私は、掛け算の九九を学んでいた。

授業内で、早く九九を言う、という競争をすることになった。


早く言えた人が勝ち。えらい。


その授業が、異常に嫌だった。そこから、少しずつ学校が苦手になった。

今もだが、人と競う場が本当に苦手だ。

負けず嫌いで、勝てなかった時に自分を責めてしまうから。

なんでこんなこともできないんだ、と。


運動は好きだったので、運動会だけは積極的に参加して、

徒競走で1位を取ったりしていたが、

通常の授業には出たり出なかったりになった。

両親とも、行きたくないなら無理に行くことないんじゃない、

という考えの人たちだったので、そこで抑圧される事はなかった。

低学年の頃は学校が近かったので、先生がわざわざ迎えに来てくれて、

自転車に乗せてもらって学校まで行ったこともあった。

その時に朝ご飯としてフルーツサンドをもらって、

美味しかったし嬉しかったのを覚えている。その先生は割と好きだった。


一回、祖父が父と大喧嘩したことがあった。

私が小学校に行ったり行かなかったりしていたので、

祖父は心配して、学校にはちゃんと行かせた方がいいと、父とぶつかった。

どちらかというと、祖父より祖母の方が世間体を気にする人で、

両親の子育て方針にもしょっちゅう口出しをしていたので、意外だった。

まあ、もしかしたら祖母からの圧力があって言ったのかも知れないが。

その喧嘩を聞いていて、私のせいで喧嘩してる、と思った。

でも、それで学校に行かなきゃ、と思い詰めたりはしなかった。


再婚して住んだアパートから、2回家が変わった。

最初は期限が決まっている借家へ、その次は両親が今も住んでいる借家だ。

私は小学校を2回転校した。そもそも、行ったり行かなかったりの私が、

転校なんかしようものなら周囲に馴染めるわけもなく…と思いきや、

関係がリセットされたからか、一時期は続けて登校できていた。

小学校5~6年は、それなりに通っていた気がする。

勉強も、その場をごまかす程度には頑張った。





しかし、中学校にあがってからは、全てダメだった。


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