第六話 永遠に

「ラッド……!」


 ゼスはすぐに、棺に跪いて蓋を開ける。生気のない、蒼ざめた顔色のラッドが、眠っていた。本当に死人のようだ。


「ラッド、君は死ぬつもりか!?」


 強く肩を揺さぶると、紅い瞳が薄く開く。


「ゼス……?」


 夢うつつの声色で囁いて、ラッドはゼスの頬に指を伸ばす。その爪は鋭く尖っており、自分を覗き込んでいるゼスの横髪を指の甲でそっと撫でると、今わの際のように儚げに微笑んだ。


「嬉しい夢だな……」


 流れ水の上だからだろう、現実と夢を取り違えているラッドは、ゆっくりと起き上がると、ゼスを抱きしめた。


「うっ……」

 

 だが、すぐにその精悍な頬を歪めて苦悶した。

 引き合っているのだ。ラッドの尖った糸切り歯と、ゼスの首筋に穿たれた吸血痕が。

 身を離そうとするラドラムを、ゼスは力を込めて抱き返した。


「ラッド。今の君の力じゃ、この海は渡れない。……吸うんだ」


 言って、片手でローブの紐を解く。ローブはずり落ちて跪いたゼスの腰の辺りにわだかまった。

 その下の白いシャツは、すでにボタンが二つ外されて、白い首筋にポツリポツリと二つ、ラドラムの牙の痕が残っていた。


「う……うがぁ……っ」


 再び両腕で抱き締めると、ちょうどラッドの口元に吸血痕がくる。震えわななく指でゼスの身体を抱き締めかけ――ラッドは、正気か狂気か、抗った。


「ラッド、闇が恐いなら……俺が君の光になる」


「ぐがぁっ!」


「吸ってくれ。俺は君を裏切ったりしない……!」


 必死に暴れる身体を押さえつけていると、一瞬、その身体が意識を失ったようにグラリと倒れ込んできた。


「ラッド……!?」


 だがもう一瞬後には、その逞しい腕に力が戻り、気が付いたときには、ベッドの上に押し倒されていた。若者たちからゼスを守った時と同様に、瞬間移動したようにも思えるスピードだった。


 先程までと打って変わり、紅眼を爛々と光らせて、ラッドはごぉと深く息を吐く。

 ゼスの両手首は、ラッドの片手でシーツに縫い留められていた。


「ラッド……!」


 その眼に宿る、ヴァンパイア本来の酷く残虐で冷酷な光を感じ取り、ゼスは体の芯が痺れるような感覚を覚えた。恐れはあったが、一度覚えた快感が、拒む理由を否定した。


「ラッド……良いよ……」


 恐怖に震える声音に力を込め、ゼスは囁く。

 上からゆっくりとラッドの顔が近付いてきて、ゼスは思わず固く目を瞑った。

 唇が触れ合ったかと思うと、冬の冷気のような冷たい息と舌が侵入してきて、ゼスの口内を蹂躙していった。

 上顎の奥を舐められ、ヒヤリとする感触がざわざわと身体中の毛を逆立てる。


「ん! む……ぐ……」


 応える術を知らずされるがままになっていたゼスだが、一度だけ抗議の呻きを上げた。

 何度目か、角度を変えた時、唇同士の隙間から鮮血が一筋滴り落ちる。ラッドが、ゼスの舌に歯を立てたのだ。二人の口内に、血の味と香りが充満する。


 ラッドにとっては美酒だったが、ゼスにとっては快感と背徳感の交じり合う、甘い責め苦だった。

 柔らかい粘膜が、ラッドの舌でまさぐられ、ゼスは必死に息をつぐ。

 舌をやや乱暴に引き出され、舐められ、吸われ、甘噛みされて、その初めての感覚に、ゼスは喘いだ。

 口角からは、唾液と血液が混じり合って滴り落ちる。

 その仄赤い筋を首元まで舌で辿られては、無意識に押さえられた拳を強く握って、身体を捩った。

 爪が掌に食い込むほど握って、悦に耐える。


「ラッド……ラッド」


 首筋に牙が食い込み、うわ言のように何度も呼んでは涙を零す。


「愛し、てるっ」


 ゼスが小さな声で、だがハッキリと口にする。もう何度目か分からぬ求愛だった。

 けしてそれに応えなかったラッドだが、思わず愛しさが募って口が滑る。


「俺も、愛してる」


 と吐息で一度だけ囁いた。

 必死に彼を受け入れていたゼスだが、その言葉を聞くと、だらりと弛緩してラッドの腕の中で失神したかのように見えた。

 汗にまみれた黒い前髪に、そっとラッドは口付ける。

 しかし、ラッドが身を離そうとすると、ゼスの手がそのネクタイをぐいと掴んだ。


「ゼス?」


 泣き濡れた瞳を閉じたまま、乱れた息が整うまでしばらく待ってから、ゼスは薄っすらと瞳を開けた。


「ラッド……聞いたぞ」


「何をだ」


「愛してる、って」


 意識は飛んでいるものと思って漏らした一言が、聞かれていたと知って、ラッドは驚きと焦りの色を浮かべる。


「俺も、愛してる。だからもう、死のうとするのはやめてくれ」


 切なげな表情で、下から腕を伸ばしてラッドの項にかけて引き寄せる。互いに瞳を閉じて、優しい口付けで角度を変え何度も互いを愛おしむと、二人はしっかりと抱き合った。


「こんな俺を……化け物の俺を、愛してくれるのか」


「関係ない。君が君だから、愛してる、ラッド」


 ラッドの眉間に、深い深い苦悩の皺が刻まれた。


「だけどお前は、ハンターだ」


「村の連中は、君を倒したと思ってる。もう追っては来ない」


 額をコツリと突き合わせて見詰め合うと、それだけで互いに満たされていくのが分かった。


「俺からだけ血を吸えば、ダンピールとバレる事もない。約束だぞ。俺だけ、だ」


 まるで浮気な恋人を咎める少女のように、ゼスは悪戯に含み笑って念を押す。その鮮やかな笑みにつられるように、ラッドも僅かに微笑んだ。


「ああ。もう、お前以外の血なんか要らねぇ」


「それは……俺と一緒に生きてくれるって事?」


「お前にゃ負けたよ。愛してる、ゼス……」


「ラッド……!」


 諦めたように穏やかなラッドに、ゼスが飛びついて歓喜した。

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