第三章 槻田邸に集まる人々

 その夜、厚い雲が空を覆っていた。夕方の天気予報では、降水確率十パーセントと言っていた。運が悪ければ降ってしまう確率だが、ほとんど降らないだろう。

 槻田邸周辺は警察とマスコミと野次馬が入り乱れ、混雑していた。

 テレビ局の女性リポーターが恰幅のいい老人にインタビューをしている。この人こそ、屋敷の主人槻田工之助である。

「今の気持ちをお聞かせ下さい」

「うむ。この前はうっかり盗まれてしまったが、今回は万全の体制を整えておる。コソ泥め、来たいのであれば来るがいい。返り討ちにしてくれるわ」

 屋敷周辺に集まる野次馬が、ワーッと喚声を上げた。

「今回狙われているからくり人形は、絶対に分からない場所に隠しているそうですが、自信はいかがでしょう」

「ああ。この前は来客の為に出していたのを片付け忘れて盗られてしまったが、今回はからくりによる防衛システムがある場所に隠している。盗める物なら、盗むがいい!」

 先ほどよりも、大きな喚声が上がった。

 そんな盛り上がってる槻田邸から少し離れた路上に、白いクラウンが止まっていた。中には二人の男が乗っており、カーナビでテレビ中継を眺めていた。

「あー、ダルい。ホントに来るんかねぇ」

 助手席に座って気怠そうにしてる、ヨレヨレスーツの中年男が言う。

「あんなに派手な予告状出して来ないとか、無いでしょう」

 運転席に座る若い男が言った。真新しいスーツが眩しい。

「それに班長、我々特殊怪盗対策班の初陣なんですよ? マジメにやりましょうよ」

 助手席に座る男は、この度作られた特殊怪盗対策班の班長、深町ふかまち圭治けいじ警部補である。

「大体、特殊怪盗対策班とか偉そうな名前付けてるけど、問題児を島流しする隔離場所だろ、ここはよぉ」

「自分は志願して、この班に来たんですよ?」

 若い方は大谷おおたに洋一郎よういちろう。刑事になってそんなに日も経っていない。新しく出来る班に何かを感じ取り、志願した。なお、志願して来たのは彼一人という噂だ。

「そりゃあ可哀相に。大谷はもう、明るい未来は無いな。選んでしまった自分を悔やめよ。俺はもう、年貢の納め時だと思ってるがな」

「班長は、何かやらかして来たんですか?」

「あ? 知らねぇよ」

 そう深町が不機嫌そうに言った時、助手席の窓を叩く音が聞こえた。深町が外を見ると、警察官が立っていた。深町は窓を開ける。

「なんだ?」

「あのー、槻田さんが『正門の警備が薄いんじゃないか? これじゃあ、簡単に入られるだろ』と言っているのですが……」

「知らんわ。無視しとけ」

「は、はぁ……」

 少し納得しなさげにそう言うと、警察官は槻田邸の方へ戻っていった。

「いいんですか?」

 心配して大谷が聞く。大谷は深町を信頼してはいるが、たまに不安になる時がある。

「いいんだよ」

 深町はウインドウスイッチを引き、窓を閉めた。

「うちは人員が少ないんだ。正面から堂々と入る奴なんざ、おらん。普通に考えりゃあ、分かんだろ。野次馬どもが勢いで入り込まん程度に置いときゃいい。見栄えで無駄な人員なんか割きたくないぞ。大体、あの爺さん偉そうな事言いながら、他人便りかよ……ったく」

 深町は、大谷からキラキラとした感心の目で見られていることに気付いた。

「なんだ? 俺に惚れたのか? よせやい。そんな趣味はねぇぞ」

「いやぁ、なんだかんだ言いながら、色々考えてるんだなぁ……と」

「当たり前だ。これが俺の仕事だからな…………ん」

 深町は、急にもぞもぞと身を捩り出し始める。

「ところで大谷よ。トイレ行ってきていいか?」

「え? そろそろ怪盗が現れる頃じゃないんですか? そんな時間あります? サッと行けば大丈夫かな?」

「いや、もう顔出しそうになってるんだよ」

「……しかも大きい方ですか、こんな時に。時間かかるじゃないですか」

 大谷の深町に向けていた感心の目は、シラケた目に変わっていた。

「大谷が行くなって言うなら、ここでするぞ?」

「やめてください。臭いし掃除が大変なんで。行ってもいいですけど、怪盗が出たら、容赦なく電話で呼びますからね」

「ああ、構わん」

 深町は車を降りると、トイレを求めて当てもなく歩いて行った。

「……とにかく、今は出ないことを祈るか」

 大谷は待つしか無かった。


 同じ頃。

 人混みから少し離れた場所に、若い男女の姿があった。二人は腕を組んでおり、カップルのようにも見える。だが、二人は注目の集まる槻田邸では無く、集まった人々を見ていた。

「今日はいつもより観客が多いな。あのからくりマンが予告状を出してくれたおかげだな。こんな大勢の観客の前でショーをするのは、久しぶりじゃないかな? 最高のショー日和だ」

 男はチームドラゴンのドラゴンが変装していた。

「今日もたっぷり、楽しませちゃうわよん」

 甘い声を出す女は、当然タイガーの変装である。

「さて、ショー開幕の準備を始めるかな」

「今日も、二人で最高のショーを見せましょ」

 そう言うと、二人は槻田邸を背にして歩き出した。


「ほえぇー……。人がいーっぱい、いるなぁ……」

 チームドラゴンが動き出した頃、別の場所で女の子が呟く。だが、その場所は普通と違った。

「でも、これだけ注目が集まってるって事は、相当な獲物オタカラって事だよね……。これは間違いなく、金になる!」

 そう言いながら、槻田邸の周りに集まる人々を見下ろしていた。

 彼女は民家の屋根の上にいた。人々の注目は槻田邸に集まっており、彼女に気付く人はいない。

 風で紺色のプリーツミニスカートがひるがえる。だが、その下は黒いスパッツでガッチリとガードしており、引き締まったふとももは布で覆われている。上は白でジッパー回りが赤いラインのサイクルジャージで、ショートカットの頭には赤いハチマキを巻いている。足には、ちょっと珍しい五本指スニーカーを履いていた。

「この怪盗アシホ様が、今日の獲物オタカラは頂きだぜ!」

 彼女は怪盗アシホと言う。小柄な彼女は手も小さく、他の怪盗と競った場合には、どうしてもその小さな身体の差で負ける事があった。彼女は考え、腕よりも脚の方が長いという理由で足技を磨き上げた。それ以降、他の怪盗ともやり合えるようになり、怪盗界では「怪盗界の小さな巨人」とか「アシホ様の美しい足で踏まれたい、蹴られたい」等と評されている。後者は評なのかどうかは、かなり怪しいが。

「今日は他にも怪盗が来ているみたいだし、頑張らなきゃ。……お金の為に、やってやる!」

 アシホは両頬を叩いて、気合いを入れた。


 哲と華生とカナの三人は、観衆から離れた場所に居た。三人はスマホで中継を見ている。

「うむ。あのたぬきじじいから盗んでいいと許可が出たから、早速行くぞ。で、まず最初にやらなきゃいけないのは、地下庫の入口探しだな。からくり防衛システムとやらが気になるが、とりあえず地下に行けばなんとかなるだろう。後は、ことが起こってから考えてくれ。カナは図面、覚えてるよね?」

「はい、バッチリです。所長が言っていた、入口がありそうな場所も覚えてます」

「それなら、よし。……ん? ハナちゃんどうしたの?」

 哲は華生が俯いている事に気づいた。

「いやぁ、潜入先げんばまで来たけど、すっごい不安しかない、今。こんなことやるの、初めてだし……」

「それはカナも変わらんだろう。カナだって初めてだ」

「はい。私も初体験です」

「それに、ヤバそうなら俺も乱入するから、心配するな。引退したとはいえ、サポートぐらいなら出来る」

「……それ、余計不安なんだけど」

 そう言った瞬間、遠くからざわめく声が聞こえてきた。三人はスマホの画面を見る。

『怪盗です! 怪盗が現れました!』

 レポーターが叫ぶ。カメラが怪盗を追おうとするが、捉えきれない。怪盗が屋根を伝って屋敷の中に入るのが見えた。

 その中継を見ていた三人は顔を合わせた。

「これは……動きからして、チームドラゴンじゃないな。あいつは、まず自己紹介するはずだ。誰だ?」

「来てるじゃない! 他の怪盗。おじさん、来ないって言ってたよね?」

「苦情は警察がいるのに来てしまった怪盗に言ってくれ」

「私達も行きましょう。ね、ハナさん」

「今なら入るチャンスだな。混乱に乗じて潜入だ」

「うぅ……分かったよ。行くよ」

 華生はまだ気が乗らないが、行く以外の選択肢が選べない空気だった。

 三人は槻田邸へと向かった。


「ぬぁにぃ! 怪盗が出たぁ!」

 電話を受けた深町の声が、トイレの小さな個室で響いた。電話の相手は、当然のことながら大谷である。

「大丈夫だ、安心しろ。俺のも出た所だからな」

『……その報告はいりません』

「すぐ行くぞ」

 深町はトイレットペーパーを力強く掴んだ。


 槻田邸周辺は混乱していた。

 屋敷内に入った怪盗を見ようと、中へ入ろうとする者。それを阻止する警察官。肩車をして腕を目一杯伸ばし、スマホで中の様子を撮ろうとしている者もいる。

「おい、しっかり抑えてるんだぞ」

 槻田工之助はそう言うと、通用口から中へ入っていった。

「俺も入るぞ」

「俺たちも見たいんだ」

「現場は大変混乱しています!」

 槻田邸の門の前は混沌としていた。そんな中、異変に気付いた人がいる。

「おい、なんかモヤが出てないか?」

 その声で人々は一斉に動きが止まった。微かに視界が白い事に気づく。

「確かに白く感じるが……疲れてるのかな?」

「ハーッハッハッハ。ようこそ、我々のショーへ」

「お代はタダよん」

 数寄屋門の上から声がした。全員が一斉に注目する。そこには、チームドラゴンの姿があった。

 野次馬は喚声を上げると、一斉に携帯電話でチームドラゴンの姿を撮り始めた。すぐにネット上で出回るだろう。

「観客の皆様、我々が獲物オタカラを盗って来ます」

「みんなに見せちゃうからね」

「楽しみにしててくれ」

「それじゃ、行っちゃうから」

 そう言うと、二人は屋敷の中へと飛び降りた。

 二人が降りた所を、捕らえようと数人の警察官が迫ってくる。だが、チームドラゴンの姿は瞬時に消えてしまい、捕らえようとした警察官同士が衝突して地面に倒れる。二人の姿は、すでに玄関前にあった。

「さて、お邪魔します……というべきかな?」

「誰に?」

「先客に、だ」

 ドラゴンが玄関の戸を開けると、そこに人影が見えた。

「……またお前らか」

 そこにいたのは、怪盗ブレードだった。マスクをしていても、少々ウンザリしている様子が窺える。

「ブレードよ、ボーッとしている暇は無いぞ」

「後ろ後ろ」

 タイガーがブレードの後ろを指差す。ブレードの後方、家の奥から警察官が迫っていた。

「チッ」

 舌打ちすると、振り向きざまに刀を振り下ろした。斬られた警察官は、廊下に崩れ落ちる。辺りが血まみれ──ということは無かった。

「……安心せい。峰打ちじゃ」

「最近盗みシゴトが荒いな。前はもうちょっと密かにやってた気がするが……。悪女ワルイコになったか?」

 ドラゴンの言葉に、ブレードは眉根を寄せた。

「五月蠅い。私は行く」

 不機嫌そうに言うと、ブレードは早足で奥へと進んだ。

「まぁ、待て。競争はまだ始まってない。地下の入口は分かるのか?」

 ブレードは足を止めた。この屋敷に地下があるという噂は、怪盗界でも有名だった。ブレードも前回潜入時に時間があれば探そうと思ったが、そんな時間は無かった。今回、からくりマンの予告状が届いたのは絶好のチャンスだと、再び訪れていた。

「その様子だと、知らないんだろう? 協力しないか? とりあえず、地下に降りるまでは」

「決して損は無いと思うわ」

 ブレードは沈思する。少し静寂が流れた後、

「……行くぞ。新手が現れる」

 そう言って、ブレードは奥に進み始めた。いつもは一人のブレードだが、この条件にデメリットは感じなかった。たまには徒党を組むのも、悪くは無い。

「フッ。素直じゃないな」

「ツンデレって奴かしら」

 ドラゴンとタイガーも、ブレードの後を追った。


 その頃の外。混乱を極めていた。

 詰め寄る観衆やマスコミと押し返す警官。そんな観衆たちの間を通る人物がいる。

「すみません、警察です。通して下さい!」

 大谷と深町だった。

 大谷が前を進むが、人が多すぎて門まで中々たどり着けない。もっと早く中へ入るべきだったと、今さら後悔していた。

「……おい、大谷よ」

 深町が呼びかけた。

「なんですか、こんな時に」

「楽に進める手段があるんだが、使っていいか?」

「あるなら、使って下さいよ!」

 深町は大きく息を吸い込んだ。

「おい、俺さっきウンコ行ってから手洗ってないぞ」

 深町が大声を出すと、観衆は静まり返る。しばらくの静寂の後、深町と大谷の周囲にポッカリと空間が生まれた。

「……な?」

「……いや、まぁ……楽にはなりましたけど……その手段はどうなんですか?」

 さすがの大谷も、これには困惑していた。

「緊急事態だからな。使える手段はなんでも使うさ」

 深町と大谷はゆっくりと進む。観衆たちは青ざめた顔で深町と大谷を避けるように空間を作っていった。

「……ん?」

 深町は足を止めて空を見上げた。

「どうしたんですか?」

「いや、なんか上を通った気がしたんだが、気のせいだな」

 二人は堂々と通用口から中へと入った。

「ところで班長。さっきのは冗談、ですよね……?」

 通用口を抜けた所で、大谷は恐る恐る聞いてみる。

「いや、急いでたから、本当に洗ってないぞ」


 同じ頃。

 槻田邸の裏側では、華生とカナが入ろうとしていた。ここは前回哲が入ったという場所らしい。

「ハナさん。なんか急に静かになりましたよね?」

「え? 私には分からないよ」

 耳をすませば、確かに静かになったような気がしないでも無いが、華生にはまったく分からない。

「それでは行きましょう、ハナさん」

「そうね、カナちゃん」

「あ、ハナちゃん。手を上げて」

 後ろにいる哲に言われた華生は、不思議に思いながらも哲の方を向いて両手を高く上げた。

「こう?」

「違う違う。俺らは銀行強盗に来た訳じゃない。ホールドアップしなくていい。片手を顔ぐらいの位置でいいんだ」

「じゃあ、こう?」

 華生は左手を下まで下ろして、右手を顔ぐらいの位置まで下ろす。哲はその右手を、パンッとタッチした。

「後は任せたぞ、二代目からくりマン」

「え……いや、私だけ? 二代目。そんなダサい名前継ぎたくないし。カナちゃんは? カナちゃんに継いでよ」

 華生は周囲を見回すが、カナの姿はどこにも無い。

「カナは行っちゃったよ」

 哲は上を指差した。その指差した先である上に目線をやると、カナがいつの間にか屋根塀の上に乗っていた。

「ハナさん。さ、早く行きましょう」

「いや……そうは言っても」

 目の前には自分の背丈よりも高い塀がある。普通に考えるのなら、超えられるはずが無い。カナはからくり人形アンドロイドなので、簡単に登れるのかもしれない。だが、華生はごく普通の女子高生だ。不安だけが募る。

「大丈夫ですよ。私だって飛べたのですから」

「でも……カナちゃんはアンドロイドじゃない。ヒョイと軽く飛べちゃうんでしょ?」

「私はからくり人形ですけど、特別身体能力が優れてるということはありませんよ?」

「俺が前に言っただろう。人間そっくりに作ったと」

「そう言ってた記憶あるけど、そういう所まで人間そっくりに作る物なの?」

「からくり人形には妥協しないのが、俺のやり方だ!」

 哲がなんかしたり顔をしていたが、華生は知らないフリをした。

「まぁ、それはいいとして、私にも飛べると思う?」

 華生はカナを見上げながら聞く。

「ハナさん。飛べないと思うから、本来の力が発揮出来ないんです。後ろを向いてては、前に進むことは出来ません。必要なのは技術じゃないんです。度胸なんです。やらなければ、成功の確率はゼロなんですから」

 カナが妙に説教臭いことを言うが、納得できる部分もある。確かに飛ばなければ、飛び越えられる壁も飛び越えられないだろう。

 カナはそっと右手を差し出した。

「さぁ、私と一緒に怪盗の世界へと旅立ちましょう」

 華生は目を瞑った。最後まで残っていた小さな迷いを振り切る。

 ──旅立つ覚悟を決めた。

「行くよ!」

 そう叫ぶと、目を閉じたままカナがいる方向へと力強く地面を蹴って飛んだ。

 手を伸ばすと温かい手に力強く握られ、身体が引っ張られるのを感じた。

「さ、目を開けて下さい」

 華生は恐る恐る目を開けると、下の方には庭が見えた。後ろを振り向けば、アスファルトの上に立つてつおじさんの姿。そして隣には、カナがいる。不安が一気に消え去った。

「ようこそ。怪盗の世界へ。これから、二人で怪盗デビューです」

「……うん。なんかそう言われると、気分が高まってきた。怪盗になった気がする」

「いいえ、もうハナさんは怪盗ですよ。では、行きましょう。他の怪盗はもう入ってます。負けてられません」

「よし」

 二人は屋根塀から飛び降りた。地面からの衝撃はソフトな物だった。てつおじさん特製の靴が、衝撃を和らげていると思われる。

 それを見届けた哲は、

「じゃ、俺は別行動取るかね。あの二人なら大丈夫だ」

 そう言って、どこかへと歩き出した。


 庭へと降りた華生とカナの周囲には人影が無かった。正面の方に現れた怪盗の対策で移動したのかもしれない。

 目の前には縁側が見えた。ガラスの入った障子戸は開け放たれている。

「カナちゃん、地下入口の目星は付いてるんだよね?」

「はい。私についてきて下さい」

 カナは姿勢を低くして駆けだした。華生も同じ姿勢で後ろをついていく。

 二人は素早く、縁側に上がった。

 障子の開いているところから、部屋の中を覗き込んだ。畳敷きの部屋はガランとしており、床の間には掛け軸が掛かっているだけで、他には何もなかった。

「案外、こんな掛け軸の裏だったりしてね」

「ベタすぎませんか? 掛け軸の裏とか」

「だからこそ、だよ。だって、ここはからくり屋敷なんでしょ?」

 華生が先に部屋へと入り、カナも後に続く。

「無いと思うからこそ、ここに入口が…………無いですよねぇー」

 華生は掛け軸をめくったが、そこには壁があるだけだった。壁を触ると入口が出てくるという気配すら無い。

「ハナさん。そこに入口があったら、からくり屋敷じゃなくて忍者屋敷じゃないですか?」

「それもそっか」

 掛け軸を戻し、部屋を出ようとした所で、カナが足を止める。

「どうしたの?」

「誰か来ます」

 カナは声を潜めていた。

「誰が?」

 華生もそれにつられて、声を潜める。

「分かりません」

 華生は息を飲んだ。近付いているのが警察なら、アウトかもしれない。怪盗人生、五分も持たず終了である。

 耳を澄ませると、外の縁側を歩く音が聞こえてくる。

「とりあえず、隠れよう」

「どこにですか?」

 部屋を見回す。隠れられそうな場所など無い。その間にも、縁側を歩く音は、徐々に近付いていている。

「とりあえず、外から見えない場所に」

 華生とカナは二手に分かれ、部屋の角へ移動した。障子を背にして、気配を殺す。

 足音は、部屋の入口で止まった。

 縁側に小さな影が見える。

 開けられた障子から、部屋の中を覗いているようである。

「この部屋も何も無いなぁ……。こういう所だから、金目の物オタカラいっぱいあると思ったんだけどなぁ」

 声の主は怪盗アシホだった。アシホはガックリうなだれながら、縁側を進んでいった。

 足音が遠ざかると華生の全身の力が抜けてしまい、畳の上に座り込んでしまう。

 鼓動が早いのがハッキリ聞こえる。

 こんなドキドキ、人生でもあまり体験は無い。

「……これ、心臓に悪いよね……。ところで、誰? 今の」

「今のは、怪盗アシホさんですね。足技を得意とする怪盗だと、記憶されています」

 哲は怪盗に関する情報もカナにインプットしており、その辺の知識もバッチリのようである。

「他の人も同じかどうか分かりませんが、アシホさんはまだ地下の入口は見つけていないようですね」

「なら、早く行こうか。地上にいるより、地下にいた方が安全なような気がする」

「そうですね」

 カナが縁側に出たところで、再び足を止めた。

「今度は何?」

「また誰か来ます」

 今度は華生にも庭の方から足音が聞こえてきた。一人では無い、複数の足音だ。

「……多くない?」

 さすがの華生も、その音に異常を感じ取った。

「この数なら、警察かもしれませんね。おそらく、戻ってきたのでしょう」

 こんな状況でも、カナは落ち着き払ってる。取り乱していても、困るのだが。

「行こうよ。ここにいたら捕まっちゃう」

「ですね」

 カナを前に、二人はアシホが進んだ方と逆側に進み始めた。


「うぉい! 準備は出来たかぁ?」

 門の近くを陣取り、パイプイスに座る深町が叫ぶ。

「もうすぐ終わります」

 準備を進めていた警察官の中の一人が告げた。

「班長、何をやっているのですか?」

 敷地内に入った深町は矢継ぎ早に命令をした為、大谷には全体像が見えてこなかった。目の前に広がるのは、槻田邸を囲うように立っている、いかつい顔の警察官たちの姿だけだ。

「あん? 分からんのか?」

 そう言われた大谷は、改めて並ぶ警察官たちを見る。ただただ、家を囲っているようにしか見えず、深町の考えが分からない。

「分かりませんよ。マイムマイムでも始めるんですか?」

「馬鹿か。ここで踊ってどうするんだよ! 遊んでる場合じゃないぞ。怪盗やつらは、この家の中にいるんだぞ。その家を囲って、その輪を小さくしていけば、理論上は捕まえることが出来るはずだ」

「……理論上、ですか?」

 大谷の中に「机上の空論」という言葉が思い浮かんだ。

「この世に完璧なんて物は存在しねぇ。成功する確率をいかに百パーセントに近づけるのかが、成功のポイントだ。誰が指示したか知らんが、各所配置して捕まえるとかやろうとしてたが、それじゃ各個撃破されるだけ──というか、すでに数人離脱を余儀なくされている。この方法なら、各個撃破されることはないだろう。誰かがやられても、その周囲にはまだ動ける者がいる」

「……班長。班長は凄いのか凄くないのか、分かりません」

 大谷に生まれる、この班に配属されてから何度目か分からない半信半疑の気持ち。最終的には信じて良かったと言えることを信じたい。

「俺は凄くないぞ。やれる事を精一杯やってるだけだ」

「班長! 準備出来ました!」

 深町の近くにいた警察官が告げた。

「よっしゃあ!」

 深町は大声を出して立ち上がる。勢いでパイプイスが倒れてしまった。

「この家に潜むコソ泥共を捕まえるぞ」

 深町は意気揚々屋敷の方へ歩き出した。

「……なんだかんだ言いつつも、やる気十分じゃないですか、班長」

 今回は信じて良さそうだと思った大谷も、深町の後を追った。

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