3.そんな危ない仕事だと分かっていたら

「お前らあ! 何してくれたんだよぉ!」


 青い長方形の箱をテーブルの上に叩きつけて、悟は泣き喚くような声でそう言った。

 言った直後に、痛そうに顔を歪める。

 頬は腫れ、唇の端が切れてまだ血がにじんでいた。

 目の周りには、閉店後の居酒屋の、薄暗い店内でもはっきりと分かる青あざ。


「なあ! どういうことなんだよこれぇ!」

 もう一度、箱でテーブルを叩くと、向かいに言葉もなく座っている美和と雅史の前にそれを滑らせた。

 

 宝石店から、美和の能力を使って盗んできた箱のひとつ。それは昼間、美和が質屋から取り戻した箱と、見た目には寸分もたがわない。

 だが。箱を開けて中身を確認し、美和は雅史と、素早く顔を見合わせた。昼間見たダイヤモンドのネックレスと良く似てはいるが、微妙に形状が違う。


「ねえ、これって――」

 悟に向かって声を上げかけた美和を、雅史は肘で突いて止めた。目をやると、雅史は眉間にシワを作って、何も言うなと首を小さく横に振る。


「なあぁ! なんだよ、どういうことだよ。なんでコレじゃねえんだよ」頬を押さえて泣きべそみたいな声で言いながら、悟は今度はもう片方の手でテーブルを叩いた。そして繰り返す。「どういうことなんだよぉっ」


 悟のアルバイト先の居酒屋に駆けつけ、どうにか二人と再会してすぐに、美和は事態を把握した。

 雅史は、盗んだ二つの宝石を取り違えて悟に渡したのだ。

 あの時。雅史も美和も、盗み出す時は箱しか見ていなかった。だから、二つのうちどちらが指示された品物なのか、判断が付かなかった。

 盗み出した時は、指示されたほうの箱には予約票のような紙が貼られていたが、たしかゴミ箱から見つけ出した箱にはどちらもそれがついていなかった。運ぶ途中で外れてしまったのか、バッグからゴミ箱に移す際にそうなったのか。それで――。


 けれど悟は、美和と雅史が指示された以外にもうひとつの箱を盗んでいたことを知らない。したがって、なぜこういうことになったのか理解できていない。

 いや。想像はついているのかもしれない。疑惑に満ちた悟の視線。疑いを露わにした口調に、美和はそう思う。しかし。


「盗る時に、間違えたんだよ。なあ」

 しれっとした口調で、美和に目を向けた雅史。


「んなワケねえだろ。これまで一度もこんなことなかったじゃねえか!」

「だって、ほら。同んなじケースだろ? これまではそんな間違いやすいモンなかったからさ。な、だよな?」

 急ごしらえの笑みを浮かべた雅史の視線を受けて、美和は返事に困って顔を伏せる。話を合わせろと、雅史が無言の圧力を掛けてくるのを感じたが、何を口に出す気にもなれなかった。


 と、悟はわずかにテーブルに身を乗り出し、睨み上げるように雅史を見据え。

「嘘つけよ」吐き棄てるように低く言った。「俺だってそうかなって思って、そう言ったんだよ。けどな。そしたら、このザマだ」

 アザだらけの痛々しい体を一瞬見下ろして、悟は恨みがましく言う。

「『依頼人』がよ。あの後、宝石店へと確認しに行ったら、依頼したケースもないって言うんだよ」


 悟は言いながら、苛立たしげに拳でテーブルを、今度は軽くゆっくりと叩きだした。

「知らない間に売れちまってなくなるようなモンじゃねえって……そう言うんだ。なあ、アレも一緒に盗ったんだろおっ? どこやったんだよ、出せよ!」


 気まずげに、雅史はすくい上げるように視線を美和に向けてきた。こいつは。いつもこうだ。困ったら美和に押し付ける。美和がどうにかしてくれると思っている。それなのに――。


「あれは」

「ちょっと待てよ」


――なのに。打ち明けようとした美和を、雅史はまた素早く止めた。友人への裏切り行為を、この期に及んでまだ認めない気らしい。


「なあ、なんかの間違いだよ。俺、明日あの宝石屋に行って確認してくるよ」

 宥めるような、機嫌を取るような口調で、雅史は力のない笑みを浮かべ時間稼ぎを試みる。

「な、悟。お前はここで休んでろよ。店長は、明日の開店までいていいっつってたろ?」


「休んでられっかよ!」

 悟は苛立ちを全開にした喚き声を上げた。それから両手で額を抱える。

「明日中に見つけられなかったら、俺、殺されんだぞぉ?」

 そう言う語尾は、わずかに震えていた。


「殺されるって、誰に……」

 上ずった口調で訊ねる美和に、悟は額を抱えたまま目だけ上げた。


「依頼人だよ。サカキって名乗ってた。プロレスラーみたいにでっかい体した、見るからに危なそうなヤツだ。今日、夕方呼び出されて……あいつ、俺のこと会うなり殴りやがった」

 悟の声からは怒りや苛立ちは消え、恐怖に侵食される。弱々しく、震えるように息を吐きながら。

「知らねえって……間違えたんだろって言ったら、そんなはずあるか、しらばっくれんなって。そんで……」


 散々殴りつけられた恐怖を思い出したように、悟の声は消え入りそうになって。しかしまた、怒りが首をもたげる。

「お前も!」雅史を見て、それから美和を見て。「お前も! 殺されるんだぞ、分かってんのか!」


「ちょっと待てって……」気圧されたように、雅史が遠慮がちに声を上げた。「なんだよそれ」

 雅史は凍りついたような笑みを、顔に貼り付けて。

「殺されるって……なんだよ。そんな危ねえヤツから仕事請けてたってのかよ」


「知らねえよ、俺だって今日初めて会ったんだ」

「だから、なんだよそれ! 無責任だろ。んな危ねえ仕事って分かってたら、受けてねえよ」


 話を逸らして立場を逆転させる有効なチャンスと見做したのか、雅史はここぞとばかりに悟を責めだした。

「人のためになるからっつって聞いてたんだぜ? それじゃまるで……なんだ? 犯罪組織かなんかみてえじゃねえかよ!」


「なんだよぉ」悟は信じられないという表情で、雅史を見つめ。「ちょっとのことでがっぽり金が入るってんで、喜んでただろが、お前だってぇ! 人のため? 笑わせんな! 綺麗な仕事でこんな金がもらえると思ってたのかよ、馬鹿じゃねえのかお前!」


「――んだとおっ?」

「ちょっと待ちなよっ」


 堪らずに、美和は立ち上がって割り込んだ。

「そんなこと、いま言い合ったってしょうがないじゃん! ともかく……捜すから」


「どうやって捜すんだよ! アテあんのかよ!」

 悟が大声を上げたところで、入り口のドアが開く。


「ただいまー」

 言いながら姿を現したのは、悟の同僚。居酒屋のアルバイト店員の若い女。

「悟ぅ、大丈夫? 包帯とか買ってきたけどぉ?」


 甘えるような声を上げて近づいてくる女に、悟はそれまでの怒りの表情を幾分抑えて「おお」と片手を上げた。

「あ、マサシクンの彼女サンも、こんばんはー」

 緊張感のない口調でやってきて、悟の横に腰を下ろし、テーブルにコンビニで買ってきたらしい袋を置く。


「だけどぉ。マリエ、包帯の巻き方とか分かんないんだよなあー」

 片手で金髪に近い茶色い髪をクルクルと弄りながら、もう片方の手で買ってきた包帯やら絆創膏やらを袋から出しテーブルに並べていく。

 悟はそれを手に取って。

「いいよ、自分でやるから」

「ええー? マリエも手伝うよぉ」


 美和は雅史に目配せされて、傷の手当を始めた二人を残し、席を立った。




 薄暗いカウンターの隅の椅子に腰掛けて、雅史に目を向ける。

「ねえ、あんたも見たの? その男っての……」

「ああ。悟がひとりで動けねえってから、迎えに行って。俺は何もされなかったけど、いろいろ細かいこと聞かれて。そんで、明日までにネックレスを見つけてこいって……」

「どんな男だった?」


 美和は、ひとりの男の姿を明確に頭に思い浮かべていた。果たして。

「なんかとにかくデカい男だよ。二メートル近くあるんじゃねえかな。背だけじゃなくて、全体的にデカくてさ、物凄い迫力あって。夜なのにサングラス掛けてて、顔は分かんねえの。いかにもって感じだろ? ありゃヤバいよ、絶対」


「それよりもさ」と、雅史はカウンターに肘をついて美和のほうへと身を乗り出す。「とにかく……質屋が開きしだい、行ってネックレス取り戻してくるわ。お前は悟に張り付いて、あいつが気づかないように見ててくれよ。休んでろとかなんとか言ってよ」


 ドキリと胸が締め付けられる。

 あのネックレスは、質屋にはもうないのだ。

 告げようと言葉を捜す美和に、そんなことには気づきもしない雅史は手を差し出した。


「でよ。美和。あん時の金、まだあんだろ? 悪りぃけど、返してくんねえ?」

「あ、うん、ええと……」

「そんでさ。もっと悪りぃんだけどさ。少しばかし金、貸してくんねえかな」

「……は?」


 考えていなかった要求に、美和は一瞬目を見開く。雅史は気まずげに、視線を斜め下に落とし、

「……ひとまず。……三十万くらい」


 美和は絶句した。様々な思いが頭の中を渦巻いて、何から取り出したらいいのか判断が付かず、カウンターの木目を見つめて長い大きなため息をつく。

 この感情は、怒りなのか。悲しみなのか。失望? 後悔?

 隣にいる男に対する強い嫌悪感。雅史に対してこんな感情を抱くのは、初めてだった。いや。それがいけなかったのだ。こんな男の言いなりになって、言うがままに宝石を盗んだのが――違う、もっと前から。最初に他人の金を盗もうなどと提案してきた時に、強く跳ね除けるべきだったんだ。

 そうして、それをせずに頼まれるままに能力を使ってきた自分の馬鹿さ加減に、一番強い憤りを感じていた。


 美和は、もう一度大きくため息をつくと、雅史を横目で睨み。

「あのさ。あのネックレスなら、もう質屋にはないよ」

「……なに?」

「買い戻してきた。昼間」

「は? なに?」


 訊き返して、一瞬後に美和の言ったことを理解した雅史の顔に浮かんだのは、喜色だった。

「なんだ! じゃあ、お前あのネックレス持ってんのかよ! そんならそれ、返そうぜ! なんだよ早く言えよ、それぇ。それで問題ねえじゃん」


 心の底から安堵したような声を上げるお気楽な男を、美和は冷たく睨む。その視線を受けて、雅史は不都合な事実に気づいたらしい。

「や、ちょっ、待て」慌てたように両手を振って。「あのさ。残りの金も、後で渡そうと思ってたんだよ。本当だぜ?」


「じゃあその金は今、どこにあんの」

「それは……ちょっと急に必要になって、立て替えたんだ。すぐに戻るからさ」


 取り成すように両手の平を美和に向け、言い繕う雅史。情けない。彼はこんな男だったのだろうか。調子が良くて能天気で。小ずるいところはあっても、仲間を裏切るだとか、必死で保身に回るだとか、そういうことをするタイプではないのだと思っていた。


(あたしが、この男を駄目にしたんだ)

 怒りを通り越して、悲しくなってくる。


「と、とにかく、さあ」

 そんな美和の心中にはお構いなしに、雅史は機嫌を取ろうとするかのような平べったい笑みを浮かべて調子よく問題の収拾に掛かろうとする。

「ネックレス、どこにあんだ? ひとまずすぐに、持ってこいよ。悟への言い訳は、なんか考えとくからさ。――やっぱ宝石店にあったってことにすんのがいいかな」


 それとも……と上手くコトを収める言い逃れ方を必死に考えている様子の雅史に、美和は、「ないよ」と短く言った。意図した以上に冷たい声色になって、雅史が美和を見つめて固まる。


「……は? ないって?」

「持ってない。買い戻したけど、処分した」

「……処分って。どういうことだよ」

「そのまんまだよ。あたしはもう、他人からモノを盗むのはやめた。あんたたちの言う『仕事』ももうしない。だから、盗ったものもできるだけ返すことにしたの」


 雅史は固まったまま、少し考え。

「宝石屋に返したのか?」

「違うけど……上手く返してくれるか、それともほかにどうにかするか。判断できそうな人に、預けたの」

「誰だよ、それ!」


 思わずといった様子で声を荒げてしまい、雅史は悟のほうを気にした。

 悟はマリエと、今の状況を忘れているかのような楽しげな声を上げている。手当てを受けているのか、いちゃついているのかよく分からない。


「おい、いまネックレスはどこにあるんだ? 誰が持ってる?」

「誰だっていいじゃない。あのネックレスを、あんたや悟に渡すつもりはないから」


 自分でも、どうしたらいいのか考えがまとまらないまま、自然にそう口にしていた。

 そう。悟に渡して、依頼人の手に渡すことで収拾を図ろうとしてはいけない。そんな気がした。それでは、結果的にこれまでやってきたことと同じになってしまう。

 美和は、ここから抜け出したいのだ。


 雅史は理解できないという顔で、頭を突き出した。

「はあ? どうする気だよ、そんで」

「ちょっと考えてるとこ。だけど……どうにかするから」

「どうにかって、どうすんだよ!」

 美和も眉を寄せ、訝しげに見つめてくる雅史の視線から逃れるように顔を背ける。


 頭に浮かんでいたのは、ネックレスを預けた楠見という男。『ひとりでやれとは言わない』そう言った彼の言葉を思い出して。悟の言う「仕事」をやめて、足を洗いたいのだと。そう決意を伝えれば、相談に乗ってくれるかもしれないと。

 本当にどうにかしてくれるのかどうかは分からない。泣きつくみたいなのも不本意だが、ひとりで解決できるとは思えず、雅史も悟もアテにできず、頼れる人間はほかに思いつかなかった。


 けれど、それを雅史に言うことはためらわれて。

「だから。考えてるんだってば。どうにかするから。だから、これで終わりにさせて」

「……って。なに、お前。本気でやめる気なの?」

「そう言ってるでしょ? あんたこそ、まさかまだ続ける気でいるの?」

「そりゃ、だってよ。こんないい仕事、ほかにないしな」


 美和は目を剥いた。信じられない。

 盗みがいいとか悪いとか以前に――


「失敗したら悟みたいにされちゃうような仕事なんだよ?」

「……そうだけど、けどよ……」


 言いよどむ雅史。付き合いきれない。

 絶望的な気持ちで、また深くため息をつくと、美和は席を立った。

 気づけば朝に近い。

 まだ外は暗いが、それでも一秒だって早くこの男たちと別れて一人になりたくて、美和は黙って店を出た。


 深夜営業のファミリーレストランで十二月の遅い夜明けを待って、人々の動き出す時間になったのを見計らいアパートへと帰る。

 予想はしていたが、鍵が開いていた。逃げろと言ってきた雅史の電話。彼が美和の部屋の合鍵を、あの男に渡したのかもしれない。


 苛立ちに胸を押さえつけられるようで荒い息をつきながら、ドアを開けて部屋に入ろうとして。

 室内の惨状に、入り口で立ち竦む。


 扉という扉、引き出しという引き出しは開け放たれ、棚に置いてあったものは床に散らばり。

 ドラマや映画の中でしか見たことのない、「泥棒に入られた部屋」の撮影セットさながらに、荒らされた室内。


 ヒヤリと嫌な予感に背中を押されて、金や貴重品を隠していた戸棚に駆け寄る。

 ネックレスを買い戻すのに大金を使ったが、残りの金は、最後に見た時と同じように手を付けられずにそこにあり。

 しかし。


 いま金よりも重要なものがなくなっていることに、美和は愕然とした。

 楠見に渡された名刺。それが、ない。


 楠見との繋がりをつける手段を失ったことを、ゆっくりと認識し。

 凶悪な男が、既に楠見の存在に気づいていることに思い至り。

 全身の力が抜けるように、美和はその場に崩れ落ちた。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る