第2話 初恋

 まさか自分が一目惚れを経験するだなんて、ほんの数分前まで思ってもみなかった。


 夏休み中の日曜日。

 なんてことはない、いつもの大会。

 対戦相手が強豪校だったからいつもより気合いが入っていた、ということ以外は特に違いはなかったはずだった。


 会場の第2体育館。

 四面に分けられたその会場では4つの試合が同時に始まろうとしていた。

 私は、対戦相手の前の試合を見ておこうと思い、チームメイトから離れて一人観客席の角に座った。


 どんどん集まってくるギャラリー。

 少しずつ会場と選手を包む緊張感が増していくこの雰囲気は嫌いじゃない。

 そして鳴り響く、試合開始を知らせるホイッスル。


 あれ……?

 やばいかも。


 試合が始まってすぐに自分の気持ちが変化したことに気がついてしまう。


 どんどん決まるスパイク。

 どんな球でもどんどん拾う六人。

 正確なトスに、サーブ。


 次に当たるチームの強さを目の当たりにしてしまい、一気に押し寄せる緊張の波。

 見ないでおく、と言った自分のチームメイトの選択の方が正しかったのかもしれないと思ってしまう。


 何か、何か、探さなきゃ。

 相手の弱点。

 焦る気持ちばかりが増して、結局何もつかめないまま試合終了のホイッスルがなった。



「一本決めよう!」


 叫ぶ私の声も空しく、次々とポイントを決められる。

 私自身、相手の広げた両手は、それ以上に高く見えて、飲まれていることに気が付いていたが、このまま何もできないであっさり負けるなんて嫌だった。

 押しに押されてもうすでに2セット取られてしまった私のチーム。

 みんな焦りよりも諦めの表情に変わってしまっていたのも気がついていた。


 でも……!ストレート負けなんてしたくない!


 ピッ。


 短い笛の音から始まった相手のサーブは、大きな弧を描きラインギリギリに迫る。


「入ってる!!!」

『入ってるぞ!!!』


 振り向いた私のその声と、会場から誰かが叫んだその声に、後ろの先輩が駆け出し腕を伸ばした。


 ギリギリ手に当たったボールは不安定に宙を切る。


「未央!」


 キャプテンからのトスはまた不安定に曲がる。


 ――でも!これを決めなきゃアタッカーの名が廃る!


 曲げた膝が地面から離れる。

 思い切り振り上げた腕。

 ネットの向こうから近付く相手の顔。


『行けーーー!!』


 また後押ししてくれた誰かの声。


 掌に確かなボールの感触を捉えた私は、思いきり相手のコートに打ち込んだ。



 わあああああ!!



 沸き上がる歓声と私のもとに集まるチームメイト。倒れる相手の選手、インを示すラインズマンの旗、そして、カウントの増えた電子得点板。


「きゃあああああ!」


 やっと決まった感動が一気に押し寄せた。


 結局、あのセットは私達が取れたが、第4セットをまた取られてしまい、その試合は負けで終わった。


 相手への礼を終えた後、ふと観客席に目を向けた。後押ししてくれた誰かの声。

 男の子の声だったけれど、ぐるりと見渡した観客席に当てはまりそうな人はいなかった。


「あれ?千草もきてない?」


 誘った友人の姿が見えないことに少しガッカリしたが、誰かが応援してくれた事実に、私の心は温かかった。


『未央、ごめんね。お父さんの代わりに配達に行かなきゃいけなくなっちゃって』


 着替えたあとに見た携帯には、千草からの謝りのメッセージが届いていた。


『負けちゃったけど、なんか楽しかったよ!おじさん大丈夫?』


 返信を打ちながら、更衣室を出た。


「未央、アイス食べていかない?」


 前を歩く先輩からの誘いに、携帯から目を離して『はい!もちろん』と頷いた。

 けれど、先輩はすぐに『その前に……』と続けて嬉しそうにニヤリと笑う。

 そして、首をかしげた私や他のメンバーに向かって言った。


「男子バスケの試合見に行ってみよ!」



 先輩のあの気まぐれがなかったら、私は彼を見ることはなかった。

 あの日、まさか恋に落ちるなんて思わなかった。



『よっしゃああああ!!』



 放物線を描いてゴールに吸い込まれたバスケットボール。

 3点の加点で逆転勝利。

 彼が叫びながらとったガッツポーズ。

 こんなに夢中に違うスポーツを見たことなんてなかった。


 コートの中で、楽しそうに走る彼とフロアで踊るバッシュの音。

 こんなに一人の人を目で追ったことなんてなかった。


「……かっこいい」


 無意識に口から零れた言葉。

 男の子にこんな風に思ったの初めてだった。


 名前が知りたい!

 名前が知りたい!

 名前が知りたい!


 そう思った矢先、勝利を喜ぶ彼のチームメイトが彼の背中をパチンと叩き叫んだ。


『右京~、お前神がかってんな~今日!!』

『まぁね~!俺、東高行っても頑張るわ!』


 そう言いながら彼は膝を触った。

 膝を怪我したのだろうか、ピンクの絆創膏が貼ってある。


「……マネージャーいいな」



 じゃなくて!


 東!!

 東高!?

 今、東高って言ってなかった!!?


 うちの高校じゃん!!

 この辺に他に東がつくところはない。


 いや、でも東高なんてメジャーな名前のところは全国にいくらでもあるよね。

 一人グルグルあたりを回りながら気持ちを落ち着かせる。


 ユニフォームの背中にローマ字でTACHIBANAの文字。


 ――たちばな うきょう


 ***


「どうぞよろしく!」


 始業式、朝の会で担任が連れてきた転校生。

 黒板に縦に書かれた名前を見たとき、ドアから入ってくる彼を見たとき、ニッコリ笑った彼が目の前でそう挨拶したとき、思わず泣き出すところだった。


 あの日からずっと忘れられなくて、夏休みの間、部活の休みには彼を探して、あちこちの体育館に行った。


 ストーカーじゃん!


 何度も何度もそう思ったけれど自分を止められなかった。

 焼き付けた彼の姿は薄くなるどころか毎日鮮明になっていく。


 会いたかった。

 本当に会いたかった。


 もはや伝えたくなる。


 会いたかったこと。

 あの日からずっと思っていたこと。

 多分……ううん、確実に、私はあなたに恋をしたということを。

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