第六章

三つの生を授かる者

 セシリアが最初に生を受けたのは、清められた魂を運ぶ傀儡としてだった。それは白い羽と赤い目を持つ『生の鳥』と呼ばれていた。

 黄泉の帝王が造る傀儡とは言うなれば魂の入れ物だ。

 六人の帝王が従える使者の鳥は、すべて黄泉の帝王が造りし傀儡。彼らは帝王の意志を伝えるために次元を越えて飛んで行く。それ以外の傀儡は冥界に住み、伝令の王によって遣わされるのだった。

 彼らが伝え運ぶのは、伝言だけではなかった。黄泉の帝王が持つ死者目録に名前が浮かんだ者のところへ赴く『死の鳥』も傀儡なのだ。彼らは死期が近い者の魂を狩る。黒い羽と青い目を持ち、帝王の元へ死者の魂を運ぶのだ。

 その魂は神殿の中央にある泉に沈められ、清水で罪や穢れを祓う習わしだった。清められた魂は再び泉に浮かび上がり、女帝の言霊の力によって天命を授けられる。

 時の女帝は魂を手にすると、無意識に天命が浮かぶ。そして、口から発した途端、言霊をまとって天命は魂にこめられる。

 避けられぬ定めを刻まれた魂は、『生の鳥』がこれから生まれつく体の元へ運ぶのだ。

 セシリアの『生の鳥』としての名は『フィオナ』といった。


 ある日、伝令の王がフィオナを呼び寄せた。


「魂を運んでおくれ、フィオナ」


 伝令の王は帝王の忠実な側近の一人であり、帝王が造り出した傀儡を統べる役目を担っていた。

 フィオナは恭しく頭を下げ、タニアのもとへ飛んで行った。

 泉のほとりに女帝が座り込んでいる。その傍らに舞い降りると、ちょうど泉の水面が震え、音もなく丸い魂がゆらゆらと浮かび上がるところだった。

 穢れのない魂は水晶のように透明だが、天命を授けると思い思いの色に変わる。フィオナはその瞬間を見るのが好きだった。

 タニアは両手で魂をすくい取ると、じっとそれを見つめた。そして、すぐに声を弾ませた。


「フィオナ。お前が運ぶのはパーシーの未来の花嫁の魂よ」


 フィオナは身が引き締まる思いだった。パーシヴァルの花嫁ということは、未来の女帝を意味する。つまり、次の主の魂を運ぶ大役を任されることになったのだ。

 タニアは体から闇を巻き起こし、自分の体ごと魂を闇で包み込んだ。その闇は帝王の闇に似て漆黒だが、どこか光のようなものを感じる。黒曜石のように艶やかで、それよりももっと温かい慈悲が漂うのだった。

 女帝は闇の向こうで静かに呟いた。


「お前は時の女帝。天命と言霊を司るであろう。その力は黄泉の帝王と通じ合うことで目覚め、その結びつきによって強くなる。私の未来の娘。お前がここに生きて戻ってくることを願っているよ」


 ふっと闇が消え失せ、彼女の手のひらには月長石のような色の魂が光っていた。天命という名の加護が宿った証だった。


「さぁ、いきなさい」


 フィオナは両足で魂を掴み、羽を広げた。あっという間に神殿を遠ざかり、神隠しの闇めがけて飛んで行く。

 ふと、冥界の縁をパーシヴァルが歩いているのを見つけた。彼女は若い闇の王の上をゆっくりと旋回した。


「もう少しですよ。もう少しであなたの待ち人が誕生します」


 フィオナはそんな思いをこめて高らかに鳴いた。パーシヴァルが天命のせいで寂しい想いをしているのは、冥界の誰もが知っていたのだった。


「きっと、無事に届けてみせますとも」


 孤独を帯びた闇色の瞳に、フィオナはそう誓った。

 こうして、彼女は一寸先も見えない神隠しの闇に飛び込んでいった。


 何故、人はたき火を見るとほっと安堵するのか。それは、たき火の音で、魂野頃に聞いた『生の鳥』の声を思い出すからだ。

 神隠しの闇には、魂を好む魔物が住んでいる。だが、彼らは『死の鳥』や『生の鳥』の鳴き声が苦手だった。鳥たちはたき火の爆ぜるような鳴き声を木霊させて、魂を守る。

 だから、人はたき火の音を聴いて安堵するのだ。その音に似た声と、炎の色から連想する色の瞳に見守られた時を思い出して。

 生の鳥たちは魂の生まれつく場所を無意識に悟る。フィオナもまた、魂が行きたがる方向へひたすら進むだけだった。それは本能のなせるわざであった。

 フィオナはどうやら自分は人間界に向かっているようだと考えた。だが、だからといって人間として生まれるかはわからない。なにせ、人間界にも精霊はいるのだから。

 実際、現在の時の女帝タニアは人間界に住む春風の精だった。タニアが少女のようにあどけない顔をしているのは、そのせいだ。春を運ぶ彼女たちはうら若い時期が長いものなのだ。長く地上で暮らしていた彼女は、ダグラスと天命の導きで出逢い、結ばれ、こうして冥界に暮らしている。

 次の女帝は精霊なのか、はたまた人間なのか。彼女の小さな胸が興奮して、どくどくと爆ぜていた。


 神隠しの闇は無限だった。その入り口はそこら中に漂っているものだが、人間には見えもしない。精霊には入り込むことはできても、出ることができない。自分がどこにいるのかさえ、見失ってしまうのだ。

 神でさえ迷う、冷たい闇。だから誰もがそこを『神隠しの闇』と呼ぶ。

 だが、黄泉の帝王が造る傀儡たちだけは、本能でここを渡ることができた。それは闇の眷属だからか、かりそめの命だからか、はたまた木々という自然から生まれたからか、誰もその理由は知らないのだった。

 だからこそ、帝王にはその力への敬意の証と、四つの世界を行き来できるように、貴重な傀儡の使い鳥が贈られる。

 フィオナは『神隠しの闇』が嫌いではなかった。ほんのり温かい魂と触れ合えるのは、この闇の中だけなのだ。

 子守唄を歌うように鳴き、母のように赤い目で魂を見守った。母性こそ、『生の鳥』の習性そのものだった。

 もう少しで人間界というところまで来たとき、フィオナがふと微笑んだ。この魂と再び会えるのは、女帝となった姿だろうか。

 胸を震わせながら、彼女は人間界に飛び込んで行った。これから我が身に降り掛かる災いに気づかぬまま。


 人間界を飛んでいるとき、それは起こった。

 荒々しい気配を感じ、咄嗟に避けようとしたが、遅かった。一瞬で鋭い痛みが走り、フィオナの視界が真っ暗になる。顔を温い血が伝った。

 かまいたちの精が彼女の目を潰してしまったのだ。フィオナは魂に気を取られ過ぎていた。

 かまいたちは天の眷属で、自我を失った存在だ。ただただ、周りの物を斬りつけて彷徨い続ける。うかつにも両目を奪われてしまったフィオナは、急降下しながら遠のく意識を手放すまいと必死だった。

 ところが、意識は手放さずに済んだが、うっかり魂を放してしまったのだ。落ちて行く魂の気配に血の気が引いて、彼女は半狂乱になった。必死で追いかけようとしたが、気配はわかっても捕まえることはできなかった。

 魂はあっという間に落ち、その気配を消してしまったのだ。誰かの胎内に宿ってしまった証だった。

 フィオナは無様に地に落ちた。遥か彼方でかまいたちの精の狂った笑い声が木霊する。彼女は血の涙を流しながら、意識を手放した。


 意識を取り戻したフィオナは、激しい痛みに呻いた。絶望の暗闇の中、女帝の声がする。


「気づいたのね、フィオナ」


 すべてを見渡す水鏡で様子をうかがっていた女帝は、すぐに伝令の王に命じて彼女を冥界に連れ戻していた。

 フィオナは恥じ入って返事もできなかった。『生の鳥』として生まれつきながら、魂を手放すとはなんという恥さらしだと、自分を責め続けた。

 今すぐ自分を殺めてほしいと訴える彼女に、伝令の王が「生きて償いなさい」と言うのが聞こえた。

 今回の失態は、彼の責任にもなるだろう。フィオナは恐縮のあまり、消え入りそうだった。隣でタニアの声がする。


「お前の運んでいた魂をこの手にとったとき、精霊に宿るものだと感じました。だけど、お前が落とした以上はそうはならないかもしれない。どこまで定めでどこまでが偶然かはわかりません。偶然までもが必然かもしれない。私の天命は道標のようなもの。どこでどう遠回りするかわからないからこそ、希望がある」


 そして、女帝はフィオナの体をそっと抱きかかえる。


「ダグラス、この体を基に別の傀儡に造りかえてくださいな。今度は人間のような体に」


 フィオナは耳を疑った。だが、タニアは冷静だった。


「フィオナ、お前の天命を教えてあげようね。お前は『三つの生を授かる者』です。授けた私にも意味がわからなかったのですが、今ようやく理解できました」


 そして、凛とした声が降り注ぐ。


「お前は人間界に行き、魂の行方を探しなさい。あの魂の気配がわかるのは、お前だけなんだから。そして、守り、導くのです。彼女が己の力に潰されないよう」


 ふっと、女帝の声が曇る。


「私のように、訳もわからぬまま抑えのきかない力に泣くことがないよう」


 そして、タニアは時の女帝の力についてこう教えた。


「時の女帝は天命を授けるときに言霊を使います。この口が発したことが真実になろうとする力です。考えてごらんなさい、フィオナ。これは何も知らずに使うと厄介なものです」


 『死ね』と願えば、相手は死ぬだろう。『滅べ』と願えば、国も滅亡してしまう。


「だからこそ、自分自身を強く持てるように、導きなさい。他者へその言葉の槍を向けぬよう。それには愛し、愛される存在が心を強くする必要があります。きっと、家族には恵まれないでしょうから」


 何故そうわかるのか。訝しんだフィオナに、タニアが静かに答える。


「精霊にしろ、人間にしろ、時の女帝の力など持った子は親にしても恐ろしいものです。まして、人間になんて生まれてごらんなさい」


 苦悶する声に、フィオナの罪悪感が増した。


「精霊の魂を持って生まれたことで、きっと人間にはわからないものを感じることでしょう。精霊の存在に勘づいて、もしかすると声が聞こえてしまうかもしれない。人と違う彼女が人間たちに受け入れられることはないでしょうね」


 タニアは小さくため息を漏らし、こう続けた。


「それに、パーシーを向かわせるわけにもいかない。彼と出逢えば女帝の力は目覚めてしまい、心を通わせるたびに強くなるのだから。もしパーシーとなんらかの形で出逢えば、精霊の存在は確実に知れてしまうでしょうし、そのうち天命や言霊まで操ってしまう。その前にお前が彼女を強く育ててあげなさい」


 そうして、フィオナはダグラスの手に委ねられた。

 傀儡を造るには本来なら相当の時間が必要だが、彼は己の力量が許す限りの早さでそれをやってのけた。

 こうして、フィオナは人間の姿になり、二度目の生を生きることになった。だが、潰された目を修復する時間まではなかった。誰もが口にはしなかったが、一刻も早く魂を見つけ出さなければと焦っていた。未来の女帝が、言葉の槍に怒りや恨みを任せ、誰かの生を乱さぬよう。

 ダグラスが旅立ちの朝に言った。


「お前はこれから吟遊詩人『セシリア』として暮らすといい。そのたき火のはぜるような声が歌えば、人は魂の頃を思い出して心を動かすからね」


 そして、セシリアの手に重い袋を持たせる。


「冥界の川底の石だ。人間界では金の粒として高価なものだから、役に立つだろう」


 鈍く光る不格好な粒を思い出し、彼女は首を傾げる。鳥だった頃に見たことがあるが、ただの川の石を尊ぶとは人間とは不思議なものだと思った。

 そして、伝令の王は旅装束や楽器、通行手形、そして杖をあらかじめ用意してくれていた。伝令を司る彼は人間界に行くことも多く、風俗や慣習に精通していた。通行手形の使い道を教えてくれたあと、彼はセシリアの手をとり、力強く握った。


「人の姿となっても『生の鳥』の本能を忘れるな。それこそが、未来の女帝に必要なものだから」


 セシリアは唇を噛み締め、強く頷いた。


「母のような深い愛と無償の思いやり、そして守ろうとする強さ。そういうものを、どうして忘れられましょう。それらは、この魂に刻まれたもの。そして、それこそが私の生きる糧だったのですから」


 六羽の『生の鳥』がセシリアを乗せた籠を運んでくれた。人間界に降り立つと、彼らは歌うように言う。


「必ず戻っておいで、同胞よ。天命を見届けておいで」


 セシリアは鳥の羽ばたきが消えゆくのを聞きながら、ひやりと冷えた風を感じた。人間界の空気にはいろんな匂いが混ざっている。目が見えなくても、不思議と気配でどこに何があるかわかるような気がした。視力のない闇すら、闇の眷属には優しかった。

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