泥棒は再び買い物に行く。

 歳をとる、成長する、老化する。


 どんな言葉で表したって構わないが、結局のところ、ある年齢を超えてからの人間の変化というのは収束・保守・安定の方向に向かう。

 これはもう、人間の仕組みそのものがそうなっているのだから仕方がない。

 

 神経細胞、比喩的に言えば脳みその中にある水路、の数は生まれてすぐの赤ん坊で一番多いそうで、基本的にはあとは減っていくばかりだという。

 思春期を越えたあたりから、神経細胞は一日数千個の勢いでどんどこどんどこ死んでいく。

 なんでまたそんなことに、もったいないと思うかもしれないが、そういうものだというのだから、納得するより仕方がない。


 ようするに、使われる奴だけが生き残り、使われなかった奴らは死んでいく。

 なんだかこの世の縮図みたいだ。

 

 良く使われる奴だけが生き残ると、頭の中の水路は簡略化していく。

 簡略化した水路は水が流れやすく、だから俺たちはいちいち人生の岐路に立たされることなく、深く考えずに飯を作って食ったり、適当な服を選んで買ったり、そういうことができるようになるし、深く考えないことが、大体正解、とそういうことになる。便利なものである。

 

 若い人間にはそれができない。いちいちすべての水路に水を流して、だから判断には時間がかかるし、それが最適とは限らない。

 もちろんそうやって縄張りを広げたり、新しいことを発見したりすることだってある訳だから、そうやって、若いものと年を経たもので、分業を楽しくやっていけばいいことだ。


 だから、その、つまり。


「話が長い」

 と俺の演説をぶった切ったのは里見で、だからこいつは俺の敵なんだと思う。

 友達になったんだと思ったんだけどなあ。

「いやだから。そのなあ」

「結局、年寄りだから新しいことを覚えられないって、そういう話でしょ」

「違う。新しいことを覚えることは可能だ。そうじゃあなくてな、せっかく水路を簡略化させているというのに、何故複雑にしなきゃあいけないのかという話で」

「だって、いいの? 空ちゃんがバカにされても」

「それは良くないが、こんなことを馬鹿にする奴とは、仲良くする必要なんてない」

「じゃあさ、あたしがそうだなあ、ズックを買ってくるね、って言ったら、光平はどう思う?」

「買えばいいじゃあないかと思うが、え、そんな、そこまで隔絶しているか?」

「してるってば」

「さすがにそれはないだろう」

「あるんだってば」

「いや、だからじゃあ、その隔絶してないのを空に教えてやってくれればな、俺はそれで」

「でも光平と一緒に暮らしているんでしょ? だったら、日常会話をアップデートしないとさあ」


 埒が明かない。

 助けを求めるように甲賀の顔を見るが、虚無を具現化したような、無表情以下の顔で首を振る。

 どうもこいつはこの議論――なんて高尚なものではなく、里見の言いがかり、というのが正確なところであるが――に参加するつもりはないらしい。


 空と猫美はと言えば、俺たちの議論を後目に、ホットケーキ、じゃあなくて、パンケーキをきゃっきゃと楽し気に突っついている。

 まあ、これはこれで、よろしい。楽しくやっていればよい。

 俺たちの、この修羅の世界に何も足を踏み入れることもない。


「分かった。一度、話を整理しよう」

「整理するほどの話じゃあ、ないと思うんだけどね」


よくよく考えれば、この話は始点から問題が発生していたように思う。


 昨日のことだ。思い立って、猫美に電話をした。

「やあ、真城。何かあったか」

「何か、というか、約束を果たそうと思ってな」

「約束? ……ああ、あの、わたしを面倒くさい女扱いした件の」

 猫美の声のトーンが少し上がる。怒りがぶり返しても困るので、すぐに言い換える。


「その言い方はどうかと思うが、まあ、その、色々とお前には世話になっているから、お礼ということにしよう。その方が聞こえがいいだろう。急だが明日の夕方はどうだ」

「わたしは基本的に予定というものとは無縁だから、いつでもいいぞ。ただ、どこに行くつもりか知らないが、明日は平日だよな。だったら、昼間に出歩いた方が、人出が少なくて良いんじゃあないか? 自慢じゃあないが、わたしは人の多いところに行ったら、すぐに疲れる自信があるぞ」

 言い換えの効果はほとんどなかったのか、トーンは上がりっぱなしのまま、妙に早口で猫美は言う。


「まあ、本当に自慢じゃあないし、それは俺も同感だけどな。ただ、例の高校生コンビが、明日の夕方暇しているって連絡が来てな。なんでも、休み明けに試験日程が組まれていて、試験前は完全下校だから、暇、なんだそうだ。舐めた奴らだよな。なんのための完全下校だ、勉強をしろと言いたいところだが、まあ、せっかくの機会だから――」

「ちょっと待て」

 ふっと猫美の言葉から熱が失われる。


 何でしょうか。何か、気に障ったのか。こいつ、やっぱり実は面倒くさいんじゃあないか。

 どうかしたか、と聞き返す。

「その、ええと、なんだ。……その、わたしの、服を買いに行くんだよな」

「そういう約束だったと記憶している」

「真城と、わたしの、二人で、じゃあないのか」

「え、いや、そのつもりはなかった。とりあえず空の服も買ってやりたいし、まあ、高校生コンビはあれでも若者だから、ファッションの知識は俺よりはあるだろう。だからまあ、みんなで行けば怖くないというか、そうしようかなあと思っていたんだが。なんだ、お前、実はあいつら苦手なのか?」

 友達になろう、と言っていたと思ったが、あるいはあれはその場の空気を読んだだけのことだったのか。

 そんなことを考えていると、電話口から、はあーあ、とわざとらしく長い溜息が聞こえる。

 なんとなく、嫌な予感がする。


「えっと、どうした」


 長い沈黙のあと、猫美は言った。


「ふん。まあ、いい。君はそういう人間だった。そうだった。良く知っていた。せいぜい金をたくさん持ってくるがいい。服を買ってくれるんだったな。女性の服は、そう安くはないからな。覚悟しておけよ」

「え、まあ、その、買うのはいいが、なんだ、その」

 怒っているのか、と尋ねる前に電話は切れた。


 なんなんだよ。

 

 とりあえず承諾を得られたものと見なし、UFOグループ――というのは、まあ、俺たち仲良し五人組の(そう思っているのは俺だけかもしれない)LINEグループである――に、時間と場所の詳細を提案して、里見と甲賀、ついでに空の承認を得る。

 猫美は既読スルーを華麗に決め、なるほど、既読をスルーされるというのは辛く悲しいことであるな、ということを、齢30にして納得する。


 で、今日の話だ。


 空と一緒にちょっと早めに待ち合わせ場所に辿り着き、人の多い駅構内をぼんやりと眺める。


 空はちょいちょい熱を出したり腹の調子を悪くしたりしながらも、ようやく地球人相応の免疫を身に着けたようで、最近はすこぶる元気であって、これは俺の精神衛生上も良いことではあった。

 しかしそれでも人出が何しろ多いので、ちょこちょこ手洗いうがいをしような、という話とか、夕食はこのあたりで食うだろうから、どこがいいか目測を立てておこうという話をして、二人してスマホを覗き込んで、食べログなんかで評価の高い店の食事の写真なんかを見ながら、ああでもないこうでもないと益体のない話をする。


 と、黒い影が目の前をよぎった。


「よう、猫美。早かったな。高校生コンビは、まだ来ていないようだが」

 そう話しかけるが、黒い影、であるところの、またぞろ学芸会みたいな恰好をした猫美は、俺に返事もせずに、空に話しかけている。

「やあ、空さん。人の気持ちが分からない悪党との暮らしはどうだ。そろそろ一人暮らしを検討してもいいのではないか? なんだったら、わたしのうちにまた、住んだっていいんだぞ」

「光平は、人の気持ちが、分からない、のですか?」

「そうだ。あいつは悪い奴だからな。他人を思いやる気持ちとか、そういうのがないんだよ。うん、そうしよう。空さんの教育にも良くないし、荷物を引き払って、うちで住もう。ね、そうしよう」

「え、ええと、光平、その」

 空が困っているが、俺だって困っている。


「猫美。その、なんだ、俺がまた何か悪いことをしたというなら、説明をしてくれないかな。反省して、謝罪する準備は出来ているんだが、自分の悪行を自覚していないんだ」

「うるさいな。自分の胸に聞け」

「聞いて分からないから尋ねているんだけど」

「だとしたら君は、本当に……」

 そう、呆れたように猫美は言い、語尾を濁して俺を睨みつける。

 

 面倒くさい女だな。全く。


 しかし、俺だって伊達に30年も人間をやっている訳ではない。

 だからそれを口にするような愚行は二度と繰り返さないし、こいつの機嫌が悪い時は、服飾を褒めるのが良いということも、良く知っている。

 だから意を決して、俺は言う。


「話は変わるが、お前のその、なんていうのか、ワンピースっていうのか? その服は良く似合っているな。可憐だ。まるでどっかの、お姫様が、お忍びで街に出てきたみたいだ」

 語彙がなさすぎるだろ、と自分でも思うが、これが俺の限界だ。


 そうっと猫美の顔を窺うと、わずかに口角が震えている。

 死ぬほど怒っているか、笑顔を作るのを抑制しているか、どっちかだろう。

 後者であることを静かに祈りながら、俺は続ける。


「お前は、そういう、なんというか、高貴なっていうのかな。そういう服が好きなんだよな。でも俺は、その、幼児趣味があるわけじゃあないが、あの、猫のパジャマも嫌いじゃあないからな。そういう、こう、可愛い系というかな、そういう服もありなんじゃあないかと思うんだ。あ、いや、今の恰好が似合っていないということではなくてだな」

 自分でも何を言っているのか分からなくなりながら俺は続ける。

 猫美の顔色が、少し明るくなって――

「君は本当に……」

 と、語尾を濁して呆れたような顔をする。

 するけれども、その言葉から棘は少し、消えている。

 よし。たぶんだけど、セーフだ。たぶんだけど、としか言えないのが、俺の限界である。

 でもまあ、限界を見つけるためには、限界を超えないといけないと誰か宇宙飛行士も言っていたことだから、つまり俺は限界を超える挑戦をしたのだ。

 偉い偉い、と自分を慰める。


 そうこうしている間に、高校生コンビが到着して、なし崩し的に俺たちは駅ビルの中に入り、とりあえずは猫美の服(予算無制限。恐ろしいことに)、それからついでに空の服(もう季節は「秋」ということになっていて、俳句の季語かよ、早いんだよ、と思うが、まあ、秋に必要なものを検討する方向で)、里見は自分が気に入ったものがあれば検討(さすがにこいつの分まで買ってやる気にはならない)、俺と甲賀はその従者(自由意志は一切存在しない完全なる傀儡)、という基準で、服屋をめぐることにした。


 問題は、そこで起こったのである。


「で、どうする? 猫ちゃんは、なんか欲しい服とかあるの?」

「ううん。わたしには、強い指針がある訳ではないが。真城、何か君の希望はあるか?」

「俺は人生に希望なんてそもそも、持っていない。ただまあ、そうだな。お前いつもその、ワンピースとかドレスみたいなのばっかりだよな。ジーパンでも穿いたらどうだ」

 ぷふっと里見が吹き出した。

「ジーパンって、おっさんくさいなあ」

「ジーパンはジーパンだろうが。あれか、ジーンズと言えばいいのか」

「ううん。ま、それでもいいけど、デニムかな」

「デニムは生地の名前だろうが」

「そうだけどさあ。デニムって言えば、その、光平の、ジーパン、なのよ」

「うっせえなあ。まあ、じゃあ、デニムを買いに行こうぜ」


 マジでうっせえな、と思った。

 俺とてそれなりに若い世代を生き延びてきて、当時ルーズソックスだの、ソックタッチだの、厚底ブーツだの、そういうものが存在し、そして絶滅していったことは良く知っている。

 だから流行りすたり、というものに目くじらを立てるつもりもない。

 若い人間はそうやって、水路に水を流せばいい。


 でもジーパンはもう、なんていうか、国民食みたいなもんだろ。

 ラーメンは中華料理です、みたいなことで熱弁を振るわれても困るというか。

 それの呼称を変えると言うのはどういうことか。

 国民間の意思疎通を断絶させるつもりなのか。


 誰が考えたのか知らないが、ちょっとだけ腹が立った。


 でもまあ、それは一瞬のことで、あとは基本的に自由意志のない、ただそれはいいものだ、かわいらしいと繰り返すだけのロボットになり、まあそれでいいと思っていた。


 ところが。


 悪戯っぽい笑顔で里見が俺に尋ねる。

「ねえねえ光平。これは?」

「かわいらしい。良く似合う。最高だ」

「そうじゃあなくてさ、これの名前は?」

「ああ?」

 自由意志を少しだけ取り戻し、俺は改めて衣服を観察する。里見が猫美と空に穿かせていたのは、裾がちょっと短いズボンで、二人とも足首があまりに細くって、ちょっと捻ったらちぎれてどこかに行ってしまうのではないか、と心配になるが、まあ、華奢な感じを発揮させるために、裾が短いという仕組みなんだろうなとは思う。

 ただ、里見が聞いているのは、そういう感想ではないらしい。

「名前、って?」

「このパンツの、名前」

「パンツ? ああ、ズボンな。俺はその、それにも慣れていないんだ、実は。下着のことだと思ってしまう」

「うっわ、エロ」

「エロくはないだろうが」

「まあいいや。それでそれで? このパンツ、まあ、それが恥ずかしいなら、ボトムスでもいいや。これはなんて名前でしょーか!」

 突然装甲騎兵みたいな名前を出されて一瞬混乱したが、まあようするにズボンだろう。クイズが好きな女だ。

 しかし、名前、ねえ。

 丈の短いズボン、パンツ、ボトムス、なんでもいいが、それには固有の名称があるらしいが、さっぱり分からん。

「分からん。七分丈、か?」

「ぶっぶー。これはね、クロップドパンツって言うんだよ」

「ああ、そう」

 cropって、収穫とかそういう意味じゃあなかったっけ? 

 裾は何に収穫されたんだろうな、とぼんやり考え、また自由意志を手放そうとする。


 ところが。

「じゃあ、次。これは?」

「ワンピース?」

「じゃあなくて、この、模様」

「水玉」

「ぶー。ドット、でした」


「これは?」

「チョッキ、じゃあなくて、ベストか」

「ざんねん、外れ。ジレでした」


「スパッツ」

「ぶっぶー。これは結構有名だけどなあ。レギンス、だよ」


 一通りそれらの言葉の講釈を聞き、いくつか評議委員会の合格を得た服を買い込み、猫美が疲労を訴えたので、喫茶店に入る。

「ねえねえ」

「これは知っているぞ。パンケーキだろ。ホットケーキと何が違うのか、は、知ったことか」

「あ、そうなんだ。ちぇ。正解正解」

 残念そうに里見は言う。

 なんなんだよ。腹立ちが少し、戻ってくる。


「あのな。その、言葉は移り変わるもので、だから新しい名前があるならそれはそうなんだろう。里見は正しい。ただな。俺だって間違っちゃあいないはずだ。俺も正しいんだよ。なぜ不正解の効果音を聞かされなきゃあいけないんだ」

「だって、いいの? 空ちゃんがバカにされても」

「それは良くないが、こんなことを馬鹿にする奴とは、仲良くする必要なんてない。そもそもだな。歳をとる、成長する、老化する、どんな言葉で表したってかまわないが――」


 とまあ、そういう訳なのだ。

 俺が言っていることは、別に間違っていないと思う。


「だからその、俺だって正解なんだ、とそういうことを認めてくれと、俺はそう言っているだけなんだけど」

「じゃあ、空ちゃんが『そのとっくり、可愛いですね』とか言って、『とっくりて何、超ダサーい』とか言われても良いんだ」

「もう最悪それでもいい。いいか。あるものに名前を付けるのは人間の特性で、確かに名前を付けることがそのものを知ることの始まりだ。だからそれは良い。そういう動機だったら、名づけの仕方が間違っていたなら修正するのが正しいと、それは分かる。だけどな。本質的には同じものに、違う名前をいくつもつけて、混乱を招くようなことは、良くない。人類相互の意思疎通を破壊せしめることになる」

「何、訳分かんないこと言ってんの」

 醒めた目つきで里見は俺のことを見る。

 確かに自分でも何を訳の分からないことを言っているのか、と思うが、男には後には引けないことだってある。


 と、パンケーキをつつき終えた空が、突然俺たちの会話に割り込む。

「光平」

「やめろ。引き返せ。ここは修羅の国、お前が入るようなところじゃあない」

「修羅、とはなんですか」

「なんていうか、意味のない戦いみたいなことだ」

「意味が、ないのですか」

「ない。ないんだよなあ。そうだな、自分で言ってて悲しくなるが、この会話、意味、ないんだよ。だからお前はひっこんでろ」

「私は、意味が、あると、思いました」

 空は真面目な顔でそんなことを言う。

 ないよ。どっからどう見たって、この話、意味なんて無い。

「私は、光平に、名前を、つけて、もらいました。その時は、良く、分からなかったけれど、それは、とても、嬉しいことだと、分かりました」

「あ、そう。それは、その、良かったな」

「だから、もし、今、急に、光平に、宇宙人、と、呼ばれたら、たぶん、少し、嫌です」

「安心しろ。お前はもう、法律上もれっきとした地球人で日本人だ。誰もそんな訳の分からない名称では呼ばないから」

「でも、私の本質、は、変わっていないのではないですか?」

「え」

「私は、地球に来て、光平に会って、いろいろなことを教えてもらって、だから、少しずつ、変わっています。それは、楽しい、と、思います。でも、……うまく、言えないの、ですが、それは、それとして、本質の、私、自身は、あまり、変わった、気が、しません」

 うまい飯を食うのが好きで、物覚えが良くて、頭の撫で心地が良い。

 確かに空の本質は、名前を付けられる前も後も、そう大きくは変わっていない。

「そうかもな」

「でも、私は、空、と呼ばれるのが、好きです。だから、本質的に、同じものに、違う名前を、つけることも、大事なことなんじゃあ、ないでしょうか?」


 いや。それは全然話が違うんだけど。

 (おそらく、ほとんどの)ジーパンは何しろ生命と意志を持たない存在だから、ジーンズと呼ばれようと、デニムと呼ばれようと、それで怒ったり人類に反旗を翻したりはしないはずだ。

 空はまだ地球に降りてきたばかりで、だからアニミズムにとらわれているのだろう。

 

 ただ、今すぐそのことを説明するつもりには、どうしてもなれなかった。

 

「……大事かどうかは、判断を保留するがな。俺は確かにお前に勝手に名前をつけて、そうしてその名前で呼んでいる。だからまあ、世の中の誰かが勝手につけた名前を、尊重するのも、やぶさかではない、かな」

「へえ。てことは?」

 唇をとがらせながら俺たちの話を聞いていた里見が、厭味な形に口角を曲げて、俺に聞く。

「どうか、若い人間の言葉を教えていただけないでしょうか、里見様」

「よろしい。午後も覚悟しておくがいいよ、光平クン」

 薄い胸を逸らせて、里見が言う。

 これが正しい結末なのか、そんなことは俺には分からない。


 日が暮れて、ちょっとおしゃれなイタリアンに言って、スパゲティとパスタの違いについて話し合って、なんとなくそのまま帰る気にならなかったのと、荷物がかなりの量になったので、それを担いでいかなきゃあいけないということもあり、猫美のマンションに集合することになった。


 里見は空をおもちゃにして、買った服の組み合わせをレクチャしながら楽しそうにしているが、俺と猫美と、それから今日一日一言も発していないのではと思われる甲賀は、ただぐったりと茶を啜る。

 

「ね、ね、光平。この組み合わせどう? 可愛くない?」

「そうだな、チョベリグだ」

「は? チョベリグって、何?」


 新しく生まれていく言葉と、古くて消えていく言葉が世の中にはある。

 古くて消えていく方にどうしても感情移入してしまうのは、たぶん俺も、そうやって消えていく方に、どちらかと言えば近いからだ。

 

 ただな。

 黙って、何も言わずに消えていく。老兵は死なず、ただ去るのみ――

 そこまでの境地には俺はまだ達していない。


 だから俺は、最後に残された自分の意志、力、活力、そういうものを総動員して、もう一度、里見と闘う覚悟を決めたのだった。

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