第四章:泥棒は孤軍奮闘する。

泥棒はチラシを撒こうとする。

 赤ん坊が泣く声が聞こえる。どうしろっていうんだ。

 俺には何もできない。する資格も、ない。


「なんで空ちゃんを捨てるの?」

 違う。捨てたわけじゃあないんだ。


「君が本当にやりたかったことは、なんだ?」

 知らない。やりたいことなんて、何もなかった。


「これから、どうするんすか」

 それは決まっている。空の、母親を、探す。


「捨てた子の母親探してどうするのさ」

 うるせえな。それは依頼だ。だから探す。それだけだ。そうやって生きてきたんだ。


「君は間違っているぞ、真城」

 間違っている。それは良く知っている。

 言われるまでもないことだった。


 赤ん坊が泣く声が聞こえる。泣いてたって、俺には、どうしようもないんだよ。

 何をどうしろって、言うんだ。


「わかり、ません」 

 そうだよな。そんなのは、自分でちゃんと片をつけなきゃいけないことだ。

 風が吹いている。吹きっさらしの野っ原で、一人ぼっちで立っている。

 赤ん坊の声はもう聞こえない。風の音だけが、耳に痛い。





 いつものように夢だった。



 もう飽きたよ、このパターン。

 怒ると決めたからには、俺は怒る。夢のエディタを、つまり自分を罵倒しながら目覚める。目覚めは最悪だったが、それで良かった。気分とちゃんとマッチしている。空の部屋を覗いたが、まだ眠っているみたいだった。

 布団を適当に畳み、シャワーを浴びて、着替えをする。シリアルを適当に食い、コーヒーを淹れる。やっぱ、家があるのはいいな。全部自分でやらなきゃいけないが、何しろ気楽だ。少し頭がすっきりしてきた。


 結局のところ、聞き込み捜査には限界がある。昨日の男みたいな変なのが湧く可能性も増える。しかも、空を連れて行くのもちょっと気まずいとなると、違う手を考えなくてはいけない。

 卒アル作戦も悪くはないと思うが、非効率的だし、あれは高校生だからできる技であって、30歳のおっさんが卒アル見せてください、なんて言ったら通報されてもおかしくない。泥棒で捕まるならまだしも、変質者で捕まるのは不名誉すぎる。


 昨日の男から拝借したカメラとICレコーダの中身を確認し、あられもない女性の写真とか、やや真面目そうなインタビュー記事とかを無視して空のデータがないか確認するが、特にないのでゼロ消去は勘弁してやり、靴と一緒に紙袋に放り込んでガムテープで封をする。


 昨日から/大活躍だな/ガムテープ。


 なんか一句詠んだみたいになりながら、コンビニに行ってゆうパックで写メった免許証の住所に送りつける。まあ、壊れ物だろうから、もうちょっとちゃんとした箱で送ってやった方が良いんだろうが、これも制裁の一環ということで。

 マンションに戻って、手を洗った後、一応サラダ的なものとスープ、それからパンとジャムを用意するが、空はまだ起きてこなかった。まあ、昨日は色々あったしな。疲れたんだろう。


 顔を合わせるのも気まずいと思ったから、空が目覚める前に出かけることにし、書置きを残す。

 パンは可能だったら焼いて食べること、スープも温めた方がうまいとは思うが、火を扱うことになるので自信が無ければそのまま食うか、電子レンジでチャレンジすること、きちんと戸締りを確認すること、インターホンは全部無視していいこと、スマホの電話帳の開き方と、さみしくなったり困ったことがあったときには猫美に連絡してみること、猫美の連絡先と住所、タクシーの呼び方、出かけてもいいが、知らない人間にはついていかないこと、鍵をきちんとかけること、財布の置き場所。

 そんなことを思いつくまま書いていると長文になってしまい、ちょっと苦笑いをする。書置きをテーブルの上に置いて出かけることにした。


 そして、長内の事務所に向かう。道すがらアポイントを取ったが、余裕で対応してくれた。そんなにガンガン依頼が来るタイプの事務所ではないようだ。それでいい。今考えていることの実現可能性が増す。


「いらっしゃいませぇ。お母さん、見つかりましたぁ?」

「まだですね。それで、頼みがあるんですが」

「なんでしょうかぁ」

 今朝から考えていた計画を話す。結局のところ、空の母親、あるいは母親を知っている人物を探すためにこっちから訪ね歩くのは人海戦術でも採らない限りは異常に時間がかかる。だから向こうから来てもらいたいのだが、黙っていても誰も来てはくれない。

 そういう訳で、チラシでも撒くかと思ったのだ。ただ、単純に空の写真を乗っけて、この子に似た人を知りませんかなんて言い出すと、変な奴らを呼び寄せるだけだ。そこで。

「2000年ころの望まぬ妊娠に関する法律問題について広く調査中、とかいうことにしてですね。そっちの連絡先は俺宛にしますが、なんだったらこの事務所の一般的な法律相談の広告もつけたっていいので」

 2000年ころのうんぬんは、里見の「企画書」から思いついたものだ。

「ええとぉ。いや、それはまた急な話ですねぇ」

 長内は腕組みをして考える。腕を組むと乳が寄りますよ、先生。

 あ、いかん。これは確実にセクハラだ。

「ううん。まぁ、見ての通り閑古鳥が啼いている事務所ですからぁ、宣伝になるのはありがたいですけどぉ。そのぉ、チラシを撒くと言っても、結構費用がかかるんじゃないですかぁ?」

「それはなんとかします。ポスティング業者に何十万か払えばざっくりこの街の半分くらいには撒けるみたいです。事務所とかに配ってもしょうがないんで、もう少しコストカットはできるでしょうし、まあ近場は自分で配ることにして、あとはネットの口コミとかも使えば、まあなんとか。チラシそのものの印刷代はまた別ですが」

「か、簡単に言いますねぇ……。真城さん、もしかしてお金持ちなんですかぁ?」

「いや、違います。まあ、その、依頼人から後で経費で取ります」

 取れるんだろうか。色々な意味で。と思わなくはないが、まあ今は考えないことにする。先のことはそのとき考えよう。金が唸るほどある、とは言えないが、多少の蓄えはある。もちろん、定期収入がある仕事ではないので、きちんと蓄えておかないと、夏なのにもかかわらず、冬に直面したキリギリスみたいに窮して死んでしまうのであるが、この際知ったことか。

 もしかすると、ちょっとやけになっているのかもしれない。ううん、なんて悩ましげな顔をして、ぎゅっと腕を組む長内。そのことの外見的効果について記述するのはもうやめておきましょうね。色々怖いから。

 結局、長内から了承を取り付け、事務所の宣伝文の文面やら、問題が生じなさそうな『調査』用の文面やらを考え、ついでに事務所のwebサイトに『調査』についてのメールフォームを設置する約束もして、事務所を出る。もうすぐ正午だ。空が腹を空かしていたら気の毒なので、適当に食材を買い込んで一度家に戻った。

 家には誰もいなかった。少し焦るが、テーブルに書置きがあり、「ねこみのいえに いってきます」と書かれていた。


 空の字を初めて見たが、下手くそな字だった。そうか。字を書く機会なんてなかったんだな。これも練習させないと、なんて思いかけて、それは俺の仕事じゃあなかったことを思い出す。


 猫美に電話したが出なかった。珍しい。

 空にも掛けてみたが、こちらも同じく、出なかった。

 なんだ、二人して風呂でも入っているのか? 


 まあ、何かあれば向こうから連絡が来るだろう。米を炊いて、カレーだったら多めに作っても良かろうという判断でカレーを作り、一人でもそもそと食った。皿を洗おうと思って流しを見たら、空が見よう見まねで洗ったであろう食器があって、一応洗いなおしておく。洗剤を食うことになっても嫌だし。


 それからさっき話し合ったビラ原稿を作り、今回の『調査』用のメールフォームを作り、「『2000年前後の望まぬ妊娠に関する調査』連絡先はこちら」のバナーも作って、まとめて長内に送る。受電サービスも一瞬検討したが、まあ、そんなにバカスカ電話がかかってくることもないだろう。

 こんなテーマで大量に電話が来るようならこの街はどうかしていることになる。やることがなくなったので、文房具屋まで出向いて、図書カードとQUOカードを買い込んだ。有力情報提供者には薄謝進呈、ということにしていたが、長内によると、事務所の名義で薄謝を進呈したことにして俺が金を出すと、つまり長内が実質的には金銭の負担をせず支出の記録だけが存在する状態になると、究極的には脱税を疑われてしまうこともあるらしい。

 安全な策を検討したところ、現金直渡しでなければリスクは下がるということなので、まあ法曹関係者が言うならそうなんでしょうね、と納得して金券を採用することにしたのである。


 ついでに、雑貨屋を見つけてそこに立ち寄る。かばんを買ってやろうと思った。

 正直に告白するが、空が家にいないとは思っていなかった。でもあいつは猫美のところに行ってしまった。

 一緒にいるべきではない、と教えたから、律儀にそれを守っているのだろう。物覚えの、良い奴だから。

 そうやって一人で生きていこうと思うなら、財布や携帯を入れるかばんがあった方が良かろう。そうやって色々なものを詰め込んで、地球で楽しく暮らしてくれるなら、俺としては文句の一つもない。あるはずもない。

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