並行世界のDOOR

柏崎ちぇる信

第1話

  1


「ずいぶん手酷くやられたものだな」

 低く抑えた女の声は、響くことなく男たちの苦悶の声にかき消される。

「また例の集団よ」

 隣に立つ女が補足する。

 神経質なまでに磨き上げられた眼鏡が天井からの照明を反射していた。

「ああ、今回は私も見た。報告通り、神出鬼没の黒衣の軍隊をな……」

 二人は褐色の詰襟の軍衣を身にまとっていた。だが、長身で武骨な拵えの軍刀を携えた姿と銀フレームの丸眼鏡をつけてポケットから付箋だらけの手帳をのぞかせている姿とでは、その印象はだいぶ異なる。

「米国か欧州連合の特務部隊?」

「違うな。見ろ」

 軍刀を携えた女は足元に転がる薬莢を拾い上げる。

「わが軍では八ミリが標準規格だ。米国なら四十五口径、連合なら三二口径」

「九粍という所かしら。九粍弾なんて聞いたこと無いわ」

 弾頭の収まっていた穴を覗き込むようにして眼鏡の少女が言う。製造所や商標を示す打刻はどこにも見当たらない。

「もちろん探せば、競技用か狩猟用の弾丸で九粍もあるんだろうが……」

 わからないとばかりに薬莢を捨てる。

 真鍮が床に触れようかという瞬間、薬莢は陽炎のように揺らめいて音も熱もなく燃え上がり、消える。

「普通、消えたりはしない。これも報告通りか。異世界からの襲撃というのもあながち嘘ではないか……」

 二人の背後では死傷者の収容が始まり、軍医と衛生兵。そして、無事な者が慌ただしく声を掛け合っている。

「やっとわかってもらえた? 次元跳躍は私たちだけの技術じゃないって事が」

「ああ……」

 背丈こそ違えど、眼鏡の奥にある眼と、制帽の庇の陰にある眼はよく似ていた。

「姉さん」

「なんだ、皐月さつき

 頭一つ分小さい妹が、一心に姉を見つめる。

 鉄弾雨飛をものともしないだけの胆力と訓練を積んだ葉月はづきだが、皐月の思い詰めたような視線に射抜かれた時だけは、どうしようもなく恐ろしくなる。

 今となっては唯一の肉親だというのに。

「私たちはこの事業をやり遂げなきゃならないの。だから、協力して。姉さん」

「……ああ、わかってる……だが、今は部下の面倒を見なければ……」

 そう言って、彼女は逃げるように踵を返す。

 残された皐月の前には、枠だけを残し粉々に砕かれた白銀の巨大な鏡があった。

「さぁさぁ! 後片づけ始めるわよ!」

 皐月の手を叩く音が高く響く。

 皐月子飼いの部下である技術者たちが負傷者をまたぐようにしてやって来る。

 まだ収容も済んでいないというのに、技術者たちは残骸を拾い集め、鏡の状態を調べ始める。その中心には熱心に手帳に何かを書きとめる皐月がいる。

 まるで傷ついた兵よりもそちらの方が大事だと言わんばかりだ。

 まだ治療を受けられない兵士の傷口を押えていた葉月は思わず奥歯を噛む。

 皐月には皐月の仕事がある。それをこなしているだけだ。戦う事でしか帝国に奉仕出来ない自分とは違うのだ。

 彼女だって心のどこかではこの惨状に心を痛めているはずだ。しかし、それを表情や態度に表している暇がないのだ。

 葉月は何度も自分に言い聞かせるが、傷口から次第に血が染み出してくるように、疑念も拭い去る事は出来なかった。

「衛生兵! 衛生兵はいないか!?」

 苛立ちや腹立たしさが彼女を叫ばせる。

 本当は衛生兵など呼んでいなかった。

 素材と数値と科学技術の世界に耽溺している妹に少しでも振り向いて欲しかった。

 決して代用の効かない命がその鏡を守るために傷つき、今まさに散ろうとしている事に気付いてほしかった。

 しかし、皐月は笑っていた。残骸の中に有益な何かを発見したらしい。

 兵士はいつの間にか息を引き取っていた。

 

 学ランの上着をまくると腰のベルトに取り付けられた端末から鍵を引き抜く。

 黒いカールコードにつながった鍵は真鍮に似た色合いで、古臭い形をしていた。

 その軸と歯には精密なプリント基板のような紋様が銅色で張り巡らされている。

 鍵の先端が扉に触れる。そこに鍵穴は無い。

 にもかかわらず、鍵は扉の中へ飲み込まれていく。

 腰の端末が電子音を立て、小さな液晶に「ENCODE COMPLETE」の文字が浮かぶ。

 紋様を中心に鍵が淡く輝き、扉全体に紋様が根を張るように伸びていく。

 太い根の間を根毛が絡み、一定の密度に達した所から根は溶けだし、穏やかな水面へと姿を変える。

 程無く、扉は清廉な水で満たされる。

 輝かんばかりに美しい水面は何も映さず、水底からは淡い光が湧水のように湧き上がっている。

 鍵の持ち主はセイレーンに魅せられた船乗りのように、その水面を見つめていた。そして、吸い込まれるように歩を進めた。

 あたりの空気がわずかに温度を下げた気がするのは、緊張のせいだろうか。そのほかに通り過ぎた感触は感じられない。

 目の前には延々と鉄扉の並ぶ、殺風景な空間が開けていた。

「成功だな」

 濃緑の軍服を着た男が安堵の溜息と一緒に漏らす。

 軍服の肩には鍵の意匠とラテン語らしい警句めいた言葉が部隊章として縫い付けられている。

「ようこそDOORへ。戸館彰(とだてあきら)君」

 軍服の男は穏やかに。そして、聞く者に無根拠の自信を与える不思議な声音でそう告げた。


「戸館彰、年齢は十六歳。身長一七三センチ、体重五九キロ。少し軽すぎはしないか?」

 男の手にはクリップボードにとめられた書類があった。

「線が細いのは確かですが、虚弱という訳でも無いでしょう。なにより、鍵としての素質が優れています」

 先ほど彰と対峙していた男が応じる。

「では、広瀬三尉。彼を一カ月以内に使えるようにしたまえ」

「……了解」

 広瀬は静かに応じる。そして、頭の中で計算を始める。

 体力測定の結果は中の上といったところ。もちろん高校生の基準だ。兵士として見れば若干不安の残る数値ではあるが、少なくとも酷く足を引っ張る事は無いだろう。第一、彼に期待するのは戦闘や行軍ではない。

「それで、この少年は今どこに?」

 男がクリップボードを叩く。彼の制服には連隊長一佐の階級章がついていた。

「今は佐伯さえき二曹がついて案内をしているはずです」

「そうか」

 書類の一番上には緊張した表情で映る、どこにでもいそうな少年の顔。

「世界を守る鍵、か……」

 呟くように放たれた声音は、厳つい軍服とは裏腹に憐れむような色を帯びていた。


「えーと、これが君の通行証。施設内では常に見えるように携帯して」

 横合いから差し出されたカードを彰は促されるままに受け取る。

 差し出した手は女性らしい華奢なもので、少し陽に焼けていた。

「それがあれば一応施設内のどこにでも行けるけど、止められた時は素直に従ってね」

 彼女も広瀬と同じように濃緑の軍服を着ていたが、生来の童顔のおかげで兵士というより高校に上がりたての女の子という印象がしてしまう。

「従わないと?」

「捕まる。逃げたら撃たれるよ、きっと」

 さらりと告げられた言葉にちゃんとこちらにわかるように制止してくれるんだろうか、と背筋が冷えるのを感じる。

 そして、銃で撃たれるとどんな気分になるのか少しだけ考えて、止めた。

「まぁ、学校とおんなじ。常識的に振る舞ってれば大丈夫よ。見た所、君は真面目そうだし」

 童顔にショートの黒髪を乗せた佐伯は屈託なく笑う。

 彼女が兵士らしく見えないのはその華奢な身体と童顔と。微妙にサイズの合っていない軍服のせいだろう。

 一体彼女はいくつなのだろうか。名前を佐伯凛さえきりんと言い、階級が二等陸曹である事までは聞いたが、年齢までは聞かなかった。

「ん? どうかした?」

 攻めあぐねている気配に気づいたのか、佐伯が振り返る。

「あ、いや……なんて呼べば良いのかなって」

「うーん、そうねぇ……」

 佐伯が少し考え込む。

「ヒントとしては、アタシは二曹で、キミの上官に当たるんだけれどなぁ」

 佐伯はそう言って芝居気たっぷりに胸を反らす。かろうじて同年代に見えた彼女の姿が明らかに年下に見えた。

「えと、じゃあ、二曹ドノ?」

 とりあえず映画で見たように呼んでみるが、どうにもしっくりこない。広瀬のような男になら、もっと素直に殿と付けて話せそうな気がするから不思議だ。

 そんな彰の表情を見たのか、佐伯はくすくすと笑う。

「冗談だよ。階級なんて慣れてないでしょ?」

「じゃあ、なんて呼べば良い……んですか?」

「そうね、何でも良いわよ」

「じゃあ、佐伯さん?」

「んー、カタいなぁ」

「佐伯」

「もう一声」

「……凛さん? いや、これは無いか」

「それ」

「え?」

「だから、凛さんって呼んで」

「うーん……」

 言ってはみたものの、童顔とは言え年上の女性を名前で呼ぶ事に抵抗があった。だが、佐伯は気に入ってしまったらしい。

「じゃあ、凛さんね」

「はい……」

 押し切られる形で呼び名は凛さんに決定した。

「あと、無理に敬語で話さなくても良いよ。アタシみたいなのに敬語って、キミもやりにくいでしょ?」

 佐伯はあっけらかんとして言う。確かにそうなのだが、本人の口からそう言われるとなんだか申し訳ない気分になってしまう。

「けど、良いの?」

「何が?」

「階級とか敬語とか」

 ため口で話してみると、やはりそっちの方がしっくりと来た。

「キミなら多分みんな大目に見てくれると思うよ。だって、特別だし」

「特別……」

 その話はここに呼ばれた時に一度聞いた。だが、にわかに信じられる内容ではなかった。

「世界を守るなんて、全然実感わかないよ」

 素直な感想を口にする。すると、佐伯も頷く。

「わかるよ、それ。アタシもこの任務に就く時、正直わかんなかったもん」

 彼女はそう言うと、何かに気づいたように手を打つ。

「そうだ。良いモノ見せてあげる。きっとモチベーション上がるよ」

 佐伯につられるまま、彰はキャットウォークに出る。通路の幅は思ったより広い。眼下には鉄扉の並ぶコンクリートの部屋が見えた。

 さっきまで自分のいた場所だ。

「ここがソーティルーム出撃室。上から見た感想は?」

「結構広いんだな。下にいた時はもっと狭く感じたのに」

「扉だらけで結構威圧感あるよね……そろそろかな」

「そろそろって?」

 反問すると、佐伯はいたずらっぽい笑みを浮かべて居並ぶ扉の一つを指さす。

 灰色の扉が一瞬揺らぐ。

 揺らいだ扉が次第に水面へと姿を変えていく。それが何なのか、彰はすでに経験していた。

 凪いだ湖面のような扉が淡く輝く。そして、音もなく一つの影が現れる。

 影が床を踏み、高い靴音がソーティルームに響く。

 黒い自動小銃を携え、黒いヘルメットを被り、黒いフェイスマスクで顔を隠し、黒い戦闘服で身を包んだ男が現れる。

 扉から黒衣の兵士達が次々と現れ、一糸乱れぬ動きで隊形を組んでいく。

 その黒い奔流の中で白い一点が異彩を放つ。

 真っ白いスーツで痩身を包み、切れそうな程に糊の効いた中折れ帽を被った、一昔前のハードボイルド小説から抜け出してきたような男は、いつしか黒衣の中心で悠然と立っていた。

 彼らはその伊達男を護衛していた。そして、伊達男も彼らを従えることが当然のように振る舞っていた。

「あれがDOORのトップチーム。第二小隊よ」

 佐伯の声。だが、彰には届いていなかった。

 扉に近い二人が、殿として警戒する中、最後の一人が姿を現す。

 皆と同じ格好だが、他の兵士たちは道を開ける。伊達男まで道が開けると、ポケットに両手を突っ込んでいた伊達男が振り返る。

 瞬間、二人の視線が絡まる。

微笑する気配。

 同じ苦楽を共にした者たちだけが、その相手とだけ交わせる言語不要のコミュニケーション。

兵士が指先で軽く敬礼をし、伊達男は軽く帽子を浮かせて会釈する。

慇懃でも無く、茶化してもいない。二人の礼は互いに認め合った、男の挨拶だった。

その光景は彰の中にあるヒーローの構図と少なからず重なり合う。

「すげー……」

 彼にはそう呟くのが精いっぱいだった。


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