第7話 男子専用スカートに夢はあるか


 平行世界にいる自分との記憶が混濁すること。


 その根はどっちが今までの自分で、どっちが幻想なのかわからない部分にある。

 同じ時間の記憶が同時並行的に存在しても、今生きている自分が一人である以上、必ずどちらかは幻ということになるのは当たり前だ。


 だが、実際にはどちらもたしかに実在する過去だったのであり、そこに差はない。

 つい先ほどまでは、同時並行して二人の自分が存在したのだから。


 とはいえ「今現在の」や「こちらの世界では」という意味での正解は存在する。

 この〝俺〟にとって、部活をしていた〝おれ〟が偽物であったように。


 ***


 芳月先輩が俺たちを呼びにきたのは、ナユタ先生のありがたい授業が終わってすぐだった。

 駐車場から表に回されていた軽自動車に乗り込んだ俺たちは、先輩の運転で修正対象のもとへと向かう。

 場所は芳月先輩しか知らない。


「どこに行くんですか」

「あれ、木戸くん。何件あるのか訊くのが先じゃないの?」

「気が遠くなるのが目に見えてるんでむしろ聞きたくありません」

「そっか、そっか。さすがだね。でも、目的地はついてからのお楽しみにしてよ。仕事は楽しくやらなきゃね」


 からからと芳月先輩は笑う。

 後部座席の俺と杉山はげんなりして窓の外を遠い目で見つめた。

 ここからではわからないが、助手席の希美も似た反応だろう。


 しばらく楽しげに話す芳月先輩の言葉に適当な相づちをうっていると、車は民家の前で急に止まった。


「一カ所目、とうちゃ~く。降りて、降りて~」


 うながされるまま車を降りる。

 目の前には三階立ての立派な一軒家があった。


「んん?」

「どうした、杉山。車酔いか?」

「そうじゃなくて……嫌な予感がするんだよ。勘違いならいいんだが」


 魚の小骨でも刺さったかのような物言いに首をひねりながら、俺は民家の表札を確認した。

 そこには「片岸」という二文字が刻まれている。

 ……なに、片岸?


「ちょっと待ってください、先輩。片岸って……」

「そのと~り。君のクラスメイトの片岸誠くんが本日一人目の修正対象だよ」


 にこにことしたまま言われるのはあまりにもきびしい話だった。

 杉山も愕然としている。

 さっき様子がおかしかったのは、この家に見覚えがあったからなのだろう。


「ちょっと待ってくれよ、先輩! あいつがまだ学校に行ってないってことは……オレはいったい誰のノートをあてにすればいいんだ!」

「いや、そうじゃないだろ」

「え、じゃあ皆勤賞の心配をしてやるのか?」

「混濁の心配をしてやれ。もしかしたら並行世界の片岸はバリバリの不良だったかもしれないぞ」

「ねぇよ。片岸は百万回生まれ変わってもいいやつのままだ」

「またお前は根拠のないことを……」

「ねぇ、ヒロ。知り合いなの?」


 俺の袖を引っ張った希美は不思議そうな顔をしている。

 そうか、希美はクラスが違うから片岸を知らないんだ。


「簡単に言うなら、片岸はいわゆる秀才だ。とてもまじめで、勉強ができて、おまけに皆勤賞。けど、そういう部分を鼻にかけたところのない、いわゆるいいやつなんだよ」

「そう。本当にいるのね、そういう人って」

「ああ。俺も杉山もかなりお世話になってる」


 主に出席できなかった授業を教えてもらう面で。

 勉強ができて、人に教えるのもまたうまい、すごいやつなんだ。


「そんな彼を知ってる木戸くんたちのほうが修正作業には適任でしょ?」


 そう言いながら芳月先輩はインターホンをすでに押していた。

 するとすぐに中から片岸の母らしき女性が現れる。

 その人はあきらかにうろたえていた。

 しかし俺たちの姿を見ると、ほんの少しだけだがその顔に安堵の色がにじむ。


「あ、あなたたちが……?」

「はい。記憶障害対策センターから来た。芳月です。今朝から息子さんの様子がおかしいとのことですが」

「はい、そうなんです」


 並行世界の衝突にかんしての説明はできない。

 そのため記憶の混濁はストレスによる一時的な錯乱状態として取り扱われることになっている。

 ナユタによる探索もあるが、基本的にはこの「記憶障害対策センター」への通報から修正作業に対応する形になっているんだとか。


 以上、修正作業が主である芳月先輩の説明。

 俺たちは基本的にただのお手伝いであるため、そのへんについては詳しくない。


「お願いします! あの子は、あの子はあんなことを言う子じゃないんです。早く元通りに……!」


 形式的な挨拶と営業スマイルには目もくれず、片岸の母は先輩の手をとって懇願した。

 先輩もそれには感じるところがあったらしく、真剣な面もちで「わかりました」とうなずく。


「じゃあ私はまずお母さんから話を聞いているから、その間に三人で様子を見てきてもらってもいいかな?」

「はい」


 こうして混乱する周囲の人をなだめるのも、修正作業の一環だ。

 ここはプロに任せてお手伝いである俺たちは、指示通りに行動することにしよう。


「こっちだ。オレは何回か来たことがあるから、片岸の部屋がわかる」


 杉山の先導で、片岸の部屋に向かう。

 きれいに掃除された階段をあがり二階に着くと、杉山は廊下の突き当たりにある扉を少々乱暴にノックしながら呼びかけた。


「おい、片岸! 杉山だ、様子を見に来たぞ。木戸も来てる!」

「開いてるよ。入ってきてくれ」


 返事はすぐにあった。

 思っていたよりも片岸の対応は普通だ。

 なにも起こっておらず、普通に友人を迎え入れているかのように聞こえる。

 これが学校の始まっている時間でなければ、なんの異常も感じないところだ。


 俺たちは三人で一度うなずきあうと、代表して杉山が扉を開けた。

 木製の扉が開かれる。

 その瞬間に俺はさっきまで抱いていた、普通だという認識を改めることになった。


「よく来たね」


 片岸はやせた体に窓から差し込む日光を背負っている。

 その悠然とした顔に異変はないし、話している様子にもおかしなところはない。

 部屋も衣類が散乱していること以外は整理整頓されている。


 ただ、片岸の服装がおかしかった。

 頭の先から順に視線をさげていくと腰のあたりで気づく。


 上半身は高校の制服を着ている。

 これはまぁ、普通だ。

 生徒が学校に行くのに制服以上にふさわしい服装はない。


 問題は、下半身が下着姿であることだ。

 しかし、ただの下着姿ならズボンをはく直前にやってきてしまったのかとも思えただろう。

 だが、そうではない。



 片岸はブリーフの上からトランクスをはいていた。



 しかも、その格好で堂々と仁王立ちしている。

 ひょっとすると腕組みでもしそうだ。


「……ヒロ、良かったらさっきの説明をもう一回してくれる? 片岸という人はどんな人だって言ってたかしら」


 すぐさま視線をそらした希美がうなるように言った。

 俺は呆然としながらさっきと似たようなことを繰り返すしかない。


「片岸くんはマジメな優等生で、物腰の柔らかい典型的ないいやつ……だったはずなんだけど。えっと、あれ? おかしいな」

「あれじゃ、ただの変態にしか見えないわ」

「俺もそう思う」


 初対面なら第一印象は最悪だ。

 そうでなくとも、パンツを二枚はいて自慢気にしているクラスメイトの姿は正直見たくなかった。


「なぁ、片岸。どうしてお前、学校に行かないんだ」


 どうにも杉山の言葉はズレている。

 まずはあの奇抜すぎる格好についてなにか言うべきじゃないのか。


「オレ、わりとお前のノートあてにしてたんだぞ」

「まぁ、待ちたまえ。それよりもまずはぼくの話を聞いておくれよ」


 下心を隠そうとしない杉山の呼びかけにも、片岸は余裕のある態度で応じた。

 変態的な姿でも、その話し方は普段と変わらぬものだからたちが悪い。


「これは苦心してあみだした、この国で通用する男性専用のスカートなんだ」


 そう言って片岸は二枚重ねの下着を強調するように腰をそらした。

 その堂々とした立ち姿は美術館にある彫像のようだが、それ以前に格好がダメだ。

 これならいっそ全裸のほうがまだマシだっただろう。

 芸術性の観点からも社会性の観点からも今の格好は問題がありすぎた。


 俺の中にある片岸のイメージ像はガタガタと音をたてて崩れそうになる。

 もう希美が抱く片岸像は変態で固定され修復不可能だろう。


 そりゃ、片岸のお母さんもうろたえるわけだ。

 マジメだった息子がある日突然、こんな格好をして学校に行かなかったらめまいもするだろう。

 卒倒しなかっただけ大したものだ。


「男性専用スカートってのはなんなんだ?」


 この状況でまっすぐ片岸と対峙できているのは、杉山だけになっていた。

 話がどうもズレてそうだが、ここはあいつを信じて任せるしかない。


「杉山、君は女子だけスカートをはけるこの国をおかしいと思ったことはないかい。女子はズボンもはけるというのに、だ」


 言われてみればそうかもしれないな。

 男がスカートをはけば女装と言われるが、女がズボンをはいても男装とは言われない。

 スカートを男性がはくことが一般的な国もあるというのに。


 ……いやいや、納得してはいけないだろう。

 それがパンツを二枚重ねにする理由になってはいない。


 あれ、でもズボンもパンツっていうんだっけ?

 ダメだ、わからん。

 服装にかんする言葉は元素記号よりも難解だ。


「どこ見てるの」


 気づくと俺の視線はいやおうなしに希美のスカートへとうつっていた。

 この視線は誤解を招くだろう。

 でも、スカートの話をされたんだから、若干仕方ない部分もあるのではないだろうか。

 さりとて抗議をしても不利なのは目に見えているので、ちゃんと片岸へ視線を戻しておく。


 それにしても、事態は思ったよりも深刻だ。

 俺の知る片岸は優等生の鑑みたいなやつだったが、並行世界の片岸は変態の鑑だったに違いない。


 それが混ざり合った結果、変態であるほうが上回ってしまったがためにこのような惨状を引き起こしてしまった。

 これを修正するのは、大変だぞ。


「男女差別をなくすように取り組んだ結果、今の世の中は圧倒的に男性差別だ。つまりだね――」

「ちょっと待てよ、片岸」


 片岸の演説を片手で制し、杉山は考えをまとめるように眉間を押さえた。


「オレにはよくわからないんだが、スカートがはきたいならそうすればいいだろ。それがなんで男物のパンツを二枚重ねて履くことにつながるんだ?」

「ぼくは女装がしたいんじゃない! この男女不平等の世の中が許せないんだ。だからこそ、男性用の下着でスカートを表現してみた!」


 賢いやつは一周まわるとバカげたことをしでかす。

 決して片岸がバカなわけではないが、なんかよくわからないことになっていた。


 しかし、トランクスとブリーフでスカートというのはどういう理屈なんだ?


 女子のスカートの下はたしかにパンツだけだろう。

 中には短パンやスパッツを身につける人もいるかもしれない。

 ジャージをはいている生徒も見かけないわけじゃない。

 けど、基本的に男子の考えとしてはそうなっている。


 で、女子のパンツは男子でいえばブリーフの構造に近いわけで。

 そこで、トランクスをスカートに見立てれば、これは男性用下着でスカートを再現したことに……なるのか?

 いかん、まじめに考えるのが悲しくなってきた。


「ヒロ」

「あ、悪い」


 注意されてまた視線が希美のスカートに落ちていることに気づく。

 心なしかさっきよりも希美の視線が厳しかった。

 なんにしても、このままではどうしようもない。


「片岸」

「なんだい、木戸」

「ちょっとタイム」


 手でTの字を作ってから、杉山を廊下に引き戻すと一度扉をぱたんと閉めた。

 問題の解決にはなってないが、片岸の妙な姿が視界から消えると妙にほっとした。


「……どうする、これ」

「私は今すぐ帰りたいわ」

「オレはもう少し片岸の理論をききたいな。あれでなかなか興味深いぞ」

「そうじゃなくて元に戻す方向で対処しようぜ。具体的には、あのスカートに対する執着を打ち砕くんだ」


 俺の知っている片岸と今の片岸でもっとも異なるのはあの変態的な理論と、それを実践してしまっている妙な行動力だ。

 これを解決するのは今そうしていることに対して自信を失わせるのが一番だろう。


「つまり、片岸のスカートに対する考察の甘さを指摘して『そのようなことに熱中していたのは勘違いだった』と思わせる。これが俺たちのやるべきことだ」


 そうすれば、俺たちの知っている優等生な片岸のほうが「今までの自分だった」と気付き修正作業は完了するだろう。


「それならオレたちより、女子である吉野が適任だな。さぁ、あの男専用スカートのダメなところをずばっと頼む!」

「なにもかもがダメよ。それ以上の指摘はないわ」


 まぁ、そうだろうな。

 希美でなくとも、多くの女子はそう言うだろう。

 芳月先輩も嫌な顔をするに違いない。


「仕方ない。ならば、オレがなんとかしよう」

「なにか秘策があるのか、杉山」

「任せとけ。あいつの唱える男専用スカートには決定的な欠陥がある。オレには一目でわかったぜ」


 自信満々な杉山は大きく息を吸い込むと、扉を壊しかねない勢いでそれを開けた。

 依然として片岸はパンツ二枚をはいたまま堂々と窓際に立っている。

 朝日を浴びる自分自身に酔っているようだ。


「片岸、お前の言うその男専用スカートには致命的な欠点がある。ゆえに、それは本物のスカートには遠く及ばない!」

「ふん、バカなことを言っちゃいけないよ、杉山。ぼくが長年苦心し考察を重ねて、ようやくあみだしたこの理論に間違いなど……」

「残念だよ、片岸」

「なに?」

「お前は男子高校生だと言うのに、大事なことを忘れてしまったようだな……」

「むっ、そこまで言うなら教えてくれ。この完璧な理論のどこに欠点があるのかを」


 隣で希美が「なにもかもが間違ってるわ」と小さくつぶやいたのが、俺にだけ聞こえた。


「いいぜ、教えてやろう! そのパンツ二枚重ねがスカートに及ばない要素、それは!」


 じらすように、杉山は一呼吸置く。

 じれたように、片岸は息をのんだ。

 俺と希美は異空間に吸い込まれたかのような心地で、それを見守る。


「――チラリズムだッ!」


 隣の家にまで聞こえそうな大声だった。

 間違いなく階下にいる芳月先輩と片岸のお母さんに聞こえただろう。


 杉山のやつは、なにを大きな声で言っているのか。

 たしかに一理あるとは思うけど。


「いいか、スカートのチラリズムはわずかだからいいんだ。繰り返すぞ、わずかだからいいんだ! 見えそうで見えない、しかし見える、みたいな絶妙なさじ加減!」


 なんのスイッチが入ったのか、杉山はいつもの二倍くらいの速度でまくしたてる。


「ゆえにオレは体操服はブルマよりもハーフパンツのほうがはるかにエロいと思うね! オレはこの時代の学生でよかったよ! なにせ、ハーフパンツの裾はスカートと同じくらい危ない! スカートはいて体育しているようなものだぞ、あれは! 初心者はすぐにブルマへと走るがもう一度考えなおしてもらいたい。ハーフパンツの危うさを! そしてその危うさがオレたちに与えるであろう興奮についてを!」

「……男子って、みんなそうなの?」

「えっと……お、おい、杉山! 体操服は若干話がずれてるぞー、でもがんばれー」


 どんどんと冷たさを増していく吉野の視線を受けながら、俺は杉山を応援する。

 直接議論に参加していないのに猛烈な居心地の悪さを感じた。


「とにかくだ! チラリズムがない以上、お前のそれはただの男物のパンツであり、それ以上でもそれ以下でもないんだよ!」


 その言葉で、場は水を打ったように静まり返る。


 唖然とした片岸とやり遂げた漢の顔をしている杉山。

 そして終始冷めた視線をこちらに浴びせてくる希美と、それに耐える俺。


 不思議な膠着状態がたっぷり五秒は続いただろうか。

 それを打ち破ったのは朗々と響く笑い声。

 片岸が、突然笑い出したのだ。


「くっ、はっはっは! なにを言うかと思えば、そんなことか」

「そんなこととはなんだ! 大事だろ、チラリズム!」

「やれやれ……みくびってもらっては困るな、杉山。そんな大切なことをこのぼくが忘れるはずがないだろう。当然、これにもチラリズムはあるのだよ!」


 片岸が身構え、そして素早く一回転した。


 断言しよう。

 その瞬間にみたのは、俺が今まで生きてきた中で一番価値のない光景だった。

 誰も喜ばない一瞬だった。


 一つだけたしかなのは、片岸によって杉山が論破されてしまったということである。


 チラリズムは……あったのだ。


「そん、なっ……!」


 自らの勘違いに気づかされた杉山ががくりとひざをつく。

 しかし、すぐにけろっとした顔で立ち上がった。


「おい、じゃあ完璧じゃないか」

「お前の中のスカートはチラリズムさえ合格してればそれでいいのか」

「男子って……」

「はっはっは。やはりぼくのスカートは完璧だ。実に気分がいい。よし、これで外出して実験してみよう」


 いや、それはダメだ!

 そんなことをしたら片岸が社会的に死んでしまう!


 止めようにも、論破された杉山はすっかりあのパンツ二枚重ねを認めていて、使いものにならない。

 あきれ顔だった希美は先ほどのチラリズムですっかり具合を悪くしてしまい、今は壁に頭をうちつけている。


 現状でまともに動けるのは俺だけだ。

 多少無茶でも、ここであいつを止めなくてはならない。


「待ってくれ、片岸!」


 すでに階段のところへたどりついていた片岸を呼び止める。


「俺も、それはスカートではないと思う」

「なぜかな? 理由を言ってくれないか」


 杉山を倒したことですっかり自信をつけた片岸は余裕の表情だ。

 そんな相手に、俺はつとめて冷静に挑む。

 脳裏には先ほど焼きつけた希美のスカートが浮かんでいた。


「片岸、女子はスカートをはいたまま自転車に乗る。そうだよな?」

「それくらいは知ってるよ。すそを折って、サドルとお尻の間に敷く感じで座るんだ」

「そうだ。だが、それがすべてというわけじゃない」

「バカな。それ以外の乗り方など、あるわけがない」

「いいや……あるんだよ」


落ち着いて、自分の中のスカート論を言葉にしていく。

繊細で、神聖な作業だ。


「ミニスカートの女子はな、短すぎてすそを折りこむことができないんだ。ゆえに、そのままサドルにまたがる。それでいて謎の技巧によって決してスカートの中が見えてしまうようなことがない。これがどういうことか、お前にはわかるな?」

「ま、まさか……」


 驚愕に目を見開く片岸に俺はゆっくりとうなずいた。

 もう勝利を確信していた。

 とどめの一撃で、この議論は終わりだ。


「そうだ。女子はパンツでサドルにまたがることができる。それが本来あるべきスカートのもつ能力だ。だが、お前のそれではできない。トランクスでは絶対にできないんだ!」

「な、なっ……!」


 俺の言葉によって殴られかのように、片岸はその場で腰を抜かす。

 瞬間、パンツ二枚重ねのチラリズムが発動したが、俺は視線をそらすことで回避した。


 今なら片岸の自信が揺らいでいる。

 たたみかけるのであれば、ここしかないだろう。


「さぁ、もう目を覚ますんだ、片岸。俺に論破されるくらいなんだから長年の研究なんか本当は存在しなかったんだよ。本当のお前は、勉強熱心ないいやつだったじゃないか」


 しばらく焦点のあわない目がどこへともなく視線をおよがせていたが、やがて混濁がおさまったように、片岸は赤面した。


「ぼくは……なんて、ことを……」

「これにこりたら、勉強ばかりしてないでたまには気晴らしをすることだな」


 片岸は自分のやっていることをようやく冷静に見ることができたらしい。

 火のついた導火線のような素早さで、自分の部屋へと戻っていった。


 あの様子なら、もう心配はいらないだろう。

 人間誰しも思い悩んでしまうことがある。

 それが他人にとってどんなにつまらないことであっても、当人にとっては一大事なのだ。


 そんなとき、真剣になって、相談に乗ってくれる友達のありがたさを知るのである。


「これにて、一件落着! めでたし、めでたし!」

「……いい感じにまとめようとしてるけど、私はさっきの熱弁を忘れないから」


 ぼそりと言い残して希美は先に階段を降りていった。


 のぼせた頭が一気に冷める。

 俺は自分では冷静なつもりだったが、実際そんなことはなかったのだろう。

 後ろから杉山が俺の肩を力いっぱい叩いてきた。


「深い。深かったぜ、木戸! あの理論は見事だった! オレもまだまだだな!」

「あ、いや、その……まぁ、ありがとう、って言うべきなんだろうか……」


 たしかに修正作業は成功した。

 しかし、諸々の大切なものを失ってしまったらしい。


 その日はあと何件か修正作業を手伝ったが、依然として希美の視線は冷たいままで、しかも目を合わせてはくれなかった。


 とてもじゃないが、買ったお菓子をみんなで楽しく食べるような雰囲気ではない。

 俺たちは疲労感を抱えたまま順次解散した。


 そして、この日を境に希美のスカート丈が若干長くなったのは俺のせいではないと信じたい。

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