第3話 撃たれた理由


 あの日。


 午後から急接近した大型台風によって授業は流れ、俺たちは集団下校することになった。

 近所に住む生徒と列をなし、引率の先生に連れられて通学路を歩く。


 風も雨も今まで見たことがないくらい激しいものだったが、まだ小学生だった俺はそれを楽しんでいた。

 バケツをひっくり返したような雨も、空を飛べそうなくらいの強風も、普段経験できるものではない。

 雷が鳴るたびに周りが悲鳴をあげるのも、なんだか面白かった。

 みんながおびえているものが平気という優越感があったのかもしれない。


 なによりも、授業がなくなって家に帰れるということが嬉しかった。

 そういう非日常の出来事が俺の気分をたまらなく高揚させていた。


 水たまりを強く踏みつける。


「ちょっと、やめて!」


 隣を歩いていた女子が水しぶきを浴びて、困った顔をする。

 それがまた次の行動を起こす原動力になる。


 へへへ、と笑って俺はその子の手をとった。

 もう一度、同じことをしてやろうと、そう思ったのだ。

 そのためになら雨に濡れるのもかまわなかったし、列からはみだすことなんて気にもならなかった。


 彼女の小さな手が抵抗するようにこわばったけど、構わず強く引っ張った。

 そうして前方に見つけた大きな水たまりを目がけて、飛び出す。

 俺に引っ張られた女の子が転びそうになりながらも、なんとかついてくる。


 水がはねる音が心地よく聞こえる、と思っていた。

 あるいは嫌がる少女が非難の声でもあげるんじゃないかって、無邪気にそう思ってた。


 代わりに聞こえたのは、甲高いブレーキの音。


 そして、激しく耳をつんざくような轟音。


 視界の端で巨大ななにかが倒れて、俺の背後にあったあらゆるものを無差別に薙ぎ倒し、すりつぶしていく。


 俺は彼女の手を握ったまま、なにが起こったのかわけもわからずに背後を確認した。


 バスが歩道に止まっていた。

 停まっているのではなく、横転していた。


 周囲で悲鳴があがる。

 ざわめきも大きくなる。


 あのときの俺はそれがどれほど大きな事故で、何人の死傷者が出たなんてことは知らなかった。


 それでも、足元に流れてくる赤黒い水たまりを見たとき。

 それがずぶ濡れの靴に染みこんできたとき。

 なにが起こったのかはおぼろげに理解した。


 隣にいる少女が、俺の手を強く握る。

 手形がつきそうなくらい、きつく。

 俺はその手を同じくらい強く握り返すことしかできなかった。


 ***


 最悪だ。

 よりによって、あの日のことを思い出すなんて。


 まだ暴れている心臓を落ち着けるため、ゆっくりと深呼吸をする。

 それによって弛緩していた末端の神経が徐々に感覚を取り戻す。


 まぶたを開いた。

 部屋の電灯は、なにごともなかったかのように明るさを取り戻している。


「うぇっ……きもちわる……」


 俺は慎重に起き上がる。

 急に動いたら吐きそうだった。


 さっきまでの悪趣味な演出は綺麗に消えていた。

 雨音も雷鳴も、最初からなかったみたいに静かなものだ。


 一気に音が消えた室内で、ナユタが女優のようにほほえんでいる。

 腹が立つほど、綺麗な笑みだ。


「おはようございます、木戸さん。ご気分はいかがですか?」

「いいわけあるかよ……」


 間違いなく、さっきの演出はこいつの仕業だ。


「その様子だとしっかり目がさめたようですね」


 目が覚めた。

 それは記憶の混濁からさめたということを指しているのだろう。


 そういう意味ではたしかに頭はすっきりしている。

 昨日なにをしていたかを思い出せるし、この場所のことも、目の前にいるナユタのことだってわかる。


 いや……まだちょっとだけ不安は残る。

 それを解消するために俺はナユタに歩み寄った。


「どうされましたか?」


 俺の肩ほども身長がないナユタは、こちらを不思議そうに見上げている。


「ちょっと失礼」


 俺はナユタの胸をわしづかみにしようと、彼女の胸に両手を伸ばした。

 ちょっとした仕返しである。

 そして見事どちらの手も、ナユタの胸に達した。


「セクハラですよ」

「おいおい、これでもかよ」


 両手で揉むが、そこに女性的なやわらかい感触はなにもない。

 ただ空気をつかむようにすり抜け、指同士がむなしくぶつかった。


 それも当然だ。

 俺の腕はナユタの胸を通り抜けているのだから、何度手を動かそうと意味はない。


 これでようやく確信できた。


 目の前で平然としている少女は記憶しているとおり、ホログラムだ。

 あまりにもリアルなせいで自分の記憶のほうを疑ってしまった。


「恥ずかしいです」

「こんな状況でか」

「ええ、わりと」

「そうマジメに言われると俺にもなんだか罪悪感が芽生えるな」


 腕を抜いて、一歩下がる。

 ナユタはわざとらしく両手で胸を隠す仕草をした。

 特に恥じらいの表情がないのがミスマッチだが。


「なにするんですか、いきなり」

「こうして確認しておかないとお前が機械なのを忘れそうだったんだよ」


 ナユタというのは漢字で書くと〝那由他〟という表記になるそうだ。

 これは数字の位を表すもので、兆や京でも太刀打ちできないくらい大きな数字であるらしい。

 前に俺が一生かけて歩いた歩数を全部足したって、一那由他にもならないとナユタに自慢された記憶がある。


 それくらいとてつもない性能をもつ、コンピュータなんだそうだ。

 学校のパソコンと比べて「お前はこれ何台分?」と訊いたら失礼だと怒られた覚えもある。


 そんな些細なことは覚えているが、技術的な説明はほとんど覚えていない。

 俺には理解できないと判断したナユタがあえて話さなかったのかもしれない。


 そのため、俺にとってのナユタはひどく単純化されている。


 とてもすごいコンピュータで、色々なことができるし、わかる。

 並行世界と衝突する世の中で、唯一たしかな記憶を持っているやつ。


 で、それ以外はそこらにいるクラスメイトとあまり変わらない。

 若干性格が悪いくらいだ。


 ようやく胸をおおっていた手をといたナユタは「そうですか」とやけにあっさり言った。


「しかし、次からはもう少し穏便な方法でお願いします。うっかり人間の女性にやったら懲役ものですから」

「穏便な方法でお願いってのは、そっくりそのままお前に返してやる」


 ナユタのおかげで混濁は解消された。

 たしかにそうだ。


 が、さっきのやり方はどう考えても体に悪い。

 まださっきの冷や汗が全身に残っている。


「すいません。あの方法がもっとも早く目を覚ますことができると判断したので」

「いや、謝ってもらうほどじゃないけどさ……」

「そうですね。それに関しては先ほど私の胸にさわったことで帳消しになってましたね」

「俺がいつそんな取引したんだよ。それ以前にさわれなかったし」

「実際にさわれたら納得したんですか?」

「……別に、そういう話じゃなくてだな」

「一瞬の沈黙がすべてを物語ってしまいましたね」

「へ、平日だしもう帰るよ。学校行かないと!」


 知らず知らずのうちに、俺の立場が悪くなっていた。

 こういうときはさっさと退散するにかぎる。


 それに、制服に着替えてはいるが、荷物はなにも持っていない。

 ついでに朝食もまだだ。

 学校が始まるまでにやらないといけないことは多い。


 待機室を出ると、来るときに使った階段と動いていないエレベーターの扉に出くわす。

 ここまで降りて来るときは階段を使ったが、記憶が明瞭になった今ではそんな手順を踏む必要もないことがわかっている。

 あの階段は本来、非常用なのだ。


「なぁ、ナユタ。どうしてエレベーター、動いてなかったんだ?」

「あ、心配しないでください。故障ではありませんから。エレベーターが動いていないことに対するリアクションで木戸さんがどんな状態なのかをはかろうとしたんです」

「なるほど」


 たしかに、あのときは今のようにエレベーターが動かないことを不思議に思わなかった。

 それはすっかり並行世界の〝木戸博明〟の記憶に侵食されていたということだ。


「あとはちょっとしたいやがらせです」

「感心して損した」

「冗談です」


 本当かよ。


「ではエレベーターを動かしますね」


 低くうなるような駆動音がして、エレベーターの扉が開く。

 俺はニコニコとした笑顔でごまかそうとするナユタをにらみながら、箱のなかに乗り込んだ。


 扉を閉めるなどの操作はナユタがおこなってくれる。

 もちろん、ホログラムだから直接ボタンを押すことはできないが、手をふれずに操作することはできるのだ。


 自称・とんでもないコンピューターであるナユタさまに操作できない電子機器はこの世に存在しない。

 ……というのは、さすがに言い過ぎのような気もするが少なくともエレベーターの操作はできる。


 そしてここにはないものに関しても、操作することができることも間違いない。

 そう、例えば俺の携帯とか。


「そういえばナユタ、また俺の携帯を勝手にいじっただろ」

「なんのことですか?」

「とぼけるなよ。あの妙な着信音、お前の仕業だろ」


 さっきはそれほど疑問に思わなかったが、あの愉快な音声で着信を知らせたのはこいつの仕業だ。

 俺が自分であんな着信音を設定するわけがない。


「ちゃんとしたのに戻しといてくれよ」

「ダメですか、あれ。わりとがんばって収録したんですけど」

「ダメだ」

「別パターンも六種類ほど用意してありますよ。どうでしょう、試してみませんか?」

「試さない」

「わかりました。残念ですがそこまで言うなら変更しておきます」

「そうしてくれ」


 エレベーターがゆっくりと上昇しはじめる。

 これが上に到着するまでに、俺はナユタに言いたいことをすべて言い終えなくてはならない。


「ま、色々言ったけどなんにしても助かったよナユタ。もう全然わけがわからなくなってた。ここまで混濁したのは初めてだ」

「でしょうね。木戸さんは基本的に混濁に対する耐性は強いほうですから」

「ああ、なんか前にそんなようなこと言ってたな」


 並行世界との衝突、そして融合によって影響をどの程度うけるかというのは個人差によるところが大きいらしい。


「それがどうして今回にかぎって俺はこんなにダメになったんだ?」

「並行世界との同調中に、向こうのあなたが死んだからです」

「なに?」


 結構、物騒な言葉が聞こえたぞ。


「聞こえませんでしたか? なら、繰り返しましょう」


 わざとらしくナユタはキュルキュルとテープを巻き戻すような音を出す。

 加えてあえて、先ほどと同じような表情を再現しながら言った。


「並行世界との同調中に、向こうのあなたが死んだからです」

「小芝居がすぎる」


 なのに、内容自体は愉快なものじゃない。


「それだけだと、全然わからん」

「より詳しく説明いたしますと、並行世界の〝木戸博明〟は撃たれました」

「誰に?」

「吉野希美さんに、です」

「それはまた……」


 希美とはさっき顔を合わせたばかりだ。

 あいつに撃たれたというのは、たとえ並行世界の出来事であっても気分のいい話ではない。


「とはいえ、もちろん事情はあります。あれは並行世界の〝木戸博明〟が――」

「まぁ、そのへんは本人と話すよ」


 あいつが俺をここに連れてきてくれたわけだから、まだ上にいるかもしれない。

 いなかったとしても学校ですぐに顔を合わせる。


「そうですか。たしかにそのほうがいいかもしれません」


 エレベーターが止まる。

 ホログラムであるナユタが同行できるのはここまでだ。

 外にはナユタの姿を投影する機械がない。


「では木戸さん。いってらっしゃい」

「いってきます」


 エレベーターがしまる直前まで手をふるナユタに手を振り返してから、店内へ向かった。


 来るときに感心させられた重厚な扉だが、カードキーは俺も持っている。

 簡単に開けることができた。


 すると、いきなり妙なにおいがする。

 なにかが焦げているような、鼻だけでなく喉と目にしみるにおいだ。


 においの発生源は厨房のようだ。

 そこからなにかを調理する音が聞こえる。

 調理する、というよりかは物音に近いような気もするが場所が場所だけに調理のはずだ、きっと。


 おそるおそる中をのぞきこむと、悪戦苦闘する背中が見えた。

 ゴムでまとめた髪が獲物をねらう猫の尻尾みたいに揺れている。


 吉野希美はどう見ても慣れていない様子で、フライパンをにらみつけていた。


「な、なにやってんだ、希美」

「あぁ、その様子だと思い出したのね」


 希美は視線をフライパンに固定したまま、安心したように言った。


「おかげさまで。それで、お前はなにを?」

「朝ご飯を作ってるの。ヒロ、ごはんまだだったでしょ。簡単なものだけど」

「お、おぉ……助かる」


 口ではそう言ったが、内心かなり不安だった。

 とはいえ、せっかくの厚意を無駄にする気にはなれない。

 それにここで予想を裏切って、意外と料理上手ということがあるかもしれないしな、うん。


「休憩室で待ってて。もうできるから」

「はーい」


 店の奥にある従業員用の休憩室はテーブルとパイプイスしかない。

 だが休憩するにはこれで十分だ。


「おまたせ」


 宣言通り、一分とたたずに希美はお盆を手にこちらにやってきた。

 普段からバイトで慣れているせいか、その歩き姿はなかなか様になっている。

 一緒に働くことはあれど、客としてこうして運んでくるのを見るのは初めてだった。


「ありがとう」


 若干焼きすぎのトーストと、やや黒い目玉焼きが乗った皿、そして砂糖とミルクの入ったコーヒーが置かれる。

 豪華な朝食だ。


 希美は自分の分である真っ黒なコーヒーをおいて、正面に座った。

 あれには砂糖が一粒たりとも入っていない。

 俺には飲めない液体だ。


「ごめん、ちょっとこげた」

「大丈夫だよ、これくらい」


 俺はパンに目玉焼きをのせて口に運ぶ。

 こげによる苦みは思ったよりも大したことはなかった。


「うまいよ」

「そう。なら、よかったわ」


 希美はすました顔でコーヒーに口をつける。

 話を切り出すなら今だろう。

 さっき、ナユタに言われてからずっと気になっていたことだ。


「あのさ、ナユタから聞いたんだけど」

「なに?」


 平然としている希美からは、俺を射殺したことなどまったくうかがえない。

 俺だけが変に緊張しているみたいだった。


「……お前、俺を殺したらしいな」

「殺してないわ」

「なんだと?」


 即答されたのが予想とは違う答えだったため、面をくらってしまった。


 だがナユタからの情報がウソであるはずがない。

 あいつはくだらない冗談を言うことはあっても、並行世界に関する報告にウソをはさむようなことはしないはずだ。


「だって、あなたは今も元気に朝ごはんを食べてるもの。私の目の前で」


 しれっとそう言った希美は、両手でコーヒカップを持ったまま小指をたてて俺の顔を示した。

 どうやら言葉の意味が正しく伝わっていなかったらしい。


「じゃあ訂正する。並行世界の〝木戸博明〟を殺したんだよな?」

「そうね。そうだったかもしれないわ」


 今度は簡潔な答えがかえってくる。

 それを望んでいたとはいえ実際に耳にすると恐ろしい話だった。


「なんで殺したんだ?」

「時間がなかったの。まだやるべきことが残っていて、それを向こうの〝木戸博明〟が邪魔した。あの対処による弊害は認識していたけれど、他に方法がなかったわ」


 対処、というのはつまり射殺することで。

 弊害、というのはつまり俺の記憶が混ざってしまうことだ。


「あと、警告はしたわ。それでも、あの人がどかなかったから」

「撃ったのか、俺を」

「だから、あなたじゃないわ」

「並行世界の俺だろ。同一人物みたいなもんじゃねぇか。現に俺はさっきまで死んだそいつと混ざってたんだから」

「同姓同名で少し似ているだけでしょ? 別人じゃない」

「強情だな。並行世界なんだから、少し似てるんじゃなくてほとんど一緒なんだよ」

「……いいわ」


 希美がコーヒーカップを皿の上に戻す。

 その手つきは少し苛立っているようで、食器同士がぶつかる音が静かな店内に響いた。


「なら、並行世界の〝木戸博明〟とここにいるあなたが同じだっていう証拠を出して」

「いいんだな、そっちがその気なら俺も本気でやるぞ」

「望むところだわ」


 希美を怒らせた自覚はあった。

 本来ならば、ここで和解の道を模索するべきなんだろうがこうなると俺だって引っ込みがつかない。


 携帯電話を取り出す。

 それから、テレビ電話でナユタとつないだ。

 呼び出し音が鳴ることなく、すぐに画面にはナユタの顔が映った。


『どうしたんですか、木戸さん。忘れ物?』

「違う。ナユタ、ちょっと手を貸せ」

『吉野さんとのケンカなら巻き込まないでくださいよ』

「いや、これは単なる事実関係の確認だ」

『なら構いませんよ、協力します。それで私はなにをすれば?』

「このわからず屋に教えてやってくれ」


 携帯電話をテーブルの真ん中に置き、画面を希美の方へ向ける。

『やっぱりケンカじゃないですか』というナユタの声は無視した。


「ナユタ。今回の並行世界で俺とあの〝木戸博明〟が同じだった部分を教えてくれ」

『仕方ありませんね。少々長くなりますがいいんですか?』

「手短に頼む」

『勝手ばっかり言って』


 液晶画面のナユタがむくれた様子でぼやく。

 それでもナユタは希美に向けて俺の希望通り事実の列挙を始めた。


『二人の木戸さんは年齢、性別、誕生日、血液型、現住所がまったく同一です。学歴も成績もほぼ同じと言っていいでしょう。身長と体重にも目立った差はありません。放課後の過ごし方については、向こうの木戸さんは運動部に所属していたようです』


 聞いているだけで頭が痛くなりそうな情報量だったが、希美は涼しい顔でそれを聞き流していた。


『データに関してはこれくらいでいいですか。細かな体験等については話すとキリがないので、割愛させてもらいます』

「ああ、十分だ。ありがとうナユタ。さぁさぁ、これでわかっただろ?」

「ええ、よくわかったわ。それだけよく似たそっくりさんってことが」

「まだ言うか」

「じゃあ」


 希美がテーブルに手をついて、ぐっと身を乗り出す。

 それに気圧されて、俺は上半身をそらす。

 それでも視線からは逃れられず、希美と目を合わせたままになった。


 希美の瞳にうつった自分がいかにもバカな顔をしている。

 なんとかしたいとは思ったが、どうにもなおすことではきなかった。


「例えば子どもがモデルガンで撃たれているのを目撃したとき、あなたならどうする?」


 いきなり話が変わった。

 それに対して抗議しようにも希美の有無を言わさぬ圧力に逆らえない。


「け、警察に連絡する」

「とびだしてかばったりは?」

「しない、というかできない。警察に連絡して、大きな声で人を呼ぶのが精一杯だ」


 それが最善策のはずだ。

 俺にヒーローのようなマネはできない。

 そりゃ身を挺して子どもを守れればかっこいいとは思うけれど、どうしても先に頭で考えてしまう。

 そうすると身体はなかなか動かない。


 希美はその答えに満足したのか、ようやく身をひいた。


「なら、やっぱり別人だわ」

「あの、意味わかんねぇんだけど……」

「それじゃあ私、先に行くから。食べ終わったら食器洗っておいて。あと戸締りもね」


 空になったコーヒーカップと鍵を置いて、希美はさっさと店から出ていった。

 俺はその後ろ姿を呆然と見送るしかない。


「なんだったんだ、最後の質問は。ナユタ、お前わかるか?」

『さぁ、わかりません。ただ実際に接した吉野さんが別人だと判断しているんだから、それ以上は余計だと思いますよ』

「いや、でもさ」


 並行世界とはいえ、やっぱり自分が殺されたというのはなんだか気色が悪い。

 そして躊躇なく撃てるのだとすれば、その覚悟も怖い。


 なにがおかしかったのか、画面にうつるナユタが意地の悪い笑みを浮かべた。


『木戸さんは女心がわからない人ですね』

「ぬかせ、ポンコツ」


 俺は携帯電話を閉じて強制的に通話を終わらせた。

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