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 やったぜ! 質問してもらえた!

 誰でもそうだと思うのですが、自作を描く時、結構内容を削りますよね。
 キャラの行動の理由を考えてはいるんだけど、ストーリー上、重要ではないので結果だけに留めておく事がかなりあります。

 だからそれについて質問されると、それなりにテンションが上がります。

 WEBサイトに投稿する形式だからこその楽しみ方なんじゃないかなぁ。それがようやく僕にも訪れた感じ。

 んで、今回の質問は「主人公の母親の行動に対する疑問」です。

 お答えしましょう。
 物語中のさりげない描写を解説する様なカタチでね。

 まず、ウォルフくんのお母さんはどんな人なのか。

 朝食を取る様子を見る限り「ちょっと口うるさい母親」です。ですがその内容に注目してください。
 農村で生活しているのに「テーブルにつく前は汗を拭け」「言葉遣いが汚い」など、そこで生活していく上で必要のない事を指摘しています。
 そこそこ育ちが良いみたいです。
 更に決定的なのはウォルフくんが「文字を読める事」。
 村の他の人達は文字を読めないのに、「母親だけは文字を読めた」ので、ウォルフくんはお母さんに文字の読み書きを教えてもらう事ができました。
 つまり、お母さんは村の外から来た人、です。
 なんであんな村に嫁いだんでしょうね?

 お父さんとの夫婦仲はどうか。
 一見、仲が良さそうですよね。
 でも、「ずっと恋愛し続けている夫婦」って、多数派ですかね?
 人によるでしょうけども。
 そもそもウォルフくんのお父さんとお母さんは恋愛結婚だったのか。
 そうだったとしても、そうじゃなかったとしても、息子が旦那と仲良くお仕事をしている間、自分はひたすら家事をこなしています。
 どんな気持ちで日常を送っていたのか。
 それをウォルフくんは
「黒男と話す俺を遠巻きに見ていたお袋の顔は、俺が親父と楽しそうに仕事をしていたのを見てた時と、同じ表情だった。羨ましいのだろう」
 と解釈してます。

 そんなお母さんは「酷い目に遭った状態」で、親切なオッさんに優しくしてもらいました。
 そしてお母さんは「親父に見せていた時とは違う表情」をしたんすよね。

 でも親切なオッさんの親切は、とても脆かったです。
 一度は覚悟を決めたものの、自分がこの先どういう扱いをされるか痛感してしまったお母さんは果たして、オッさんの親切を手放す事に未練はないのか。
 更に男女の関係は恋愛を抜きにすると、ある程度打算的なモノになりますよね。
 役割り分担の為だとか、安定した立場を維持する為だとか、「子育ての為」だとか。
  
 んで、ここからはちょっと閲覧注意です。
 性的なお話とドラッグについてです。
 
 例えば、女性はおっぱいを揉まれて性的な感覚を得る事ができるのか。
 答えはYESであり、NOとも言えます。
 人によっては感じるし、人によっては感じない。
 重要なのは胸を揉まれる事を「性行為と連想できるか」です。

 性器に受ける刺激と乳首に受ける刺激は、脳みその中の近い部分で処理されます。
 だから乳首をいじると感じる女性はとても多いです。
 でも乳房に受ける刺激は全然違う場所で処理されるので、それだけで感じるのは難しいとされています。
 ですが、他人に胸を揉まれる状況ってどういう状況ですかね? どんな人に揉まれる?
 そういう精神的な部分で性行為と連想できる人もいます。
 そうじゃなくても「性器に刺激を受けながら胸を揉まれる」みたいな体験を経て、「揉まれる事自体を性行為と認識する」という学習結果になる人もいますよね。俗に言う「開発」ってヤツです。

 さて、お母さんは、とあるゲス野郎に薬物を使用された上で性行為を強要されるという体験をしました。
 強い快楽を伴う薬物を使ったならば「もう普通の行為で満足」できなくなるそうですね。
 ですがそれでも普通の人と比べて「行為」を求める様になります。
 何故かというと、「性行為時に薬物を使用した事」によって、「薬物の快楽を得る事ができる条件は性行為」と錯覚してしまうんです。
 脳みそはそういう学習をしてしまいます。

 実は薬物から抜け出せない人の多くは「薬物関係のコミュニティは性行為のハードルが低い」からなんだそうです。
 そのコミュニティに属していれば性行為に事欠かず、快楽に依存している人は性行為を求めちゃう。そういう負の連鎖があります。

 ウォルフくんのお母さんもそういう開発をされてしまい、「男に触られる」「比較的優しくしてくれる男と一緒にいる」みたいな状況だと、性行為を意識してしまいやすい状態になっていると考えられます。

 そして、そういう状態は「ハンディキャップを背負っている」とも言えますよね。
 極めて自分を強く保ちにくい状況下では、他人に助けを求めてしまうのでしょう。
 そして目の前には「困った人を見ると同情せずにはいられない人」がいます。
 この好機を逃してはならない、としても、仕方のない事だと思います。
 抑えるのが難しい欲求も満たせますし、その上で「コレは恋愛なのだから間違っていない」と思い込む事もできます。

 さて、上に書いた事を繰り返しますが、恋愛結婚ではない結婚とはどういう結婚でしょう。
 あんな村の男性に嫁ぐというとはどういう状況?
 フラストレーションが溜まりながらも「生きる為」と割り切って(ずっと一緒にいれば流石に情はわいていたと思いますけど)夫婦生活を継続してきた人にとって、旦那が死んだから乗り換えるという行為のハードルは、高いでしょうか、低いでしょうか。


 以上に述べた事の結果が、作中のあの選択へ繋がった、というワケです。

 んで、ですね。
 とても悲しい事なんですけど、ウォルフくんはその結果の理由を「半分」だけ理解しました。
 でも半分だけなので、黒男の云う「すきもの」という言葉に、心の中で同意しちゃったんですよね。

 更にお母さんは「駆け落ち」しませんでした。
 ウォルフくんがいるからです。
 でもウォルフくんは「予想が外れた」程度の認識しかできませんでした。子供なので。

 というワケです。納得できたでしょうか。

 そして「作中で説明せず描写だけで匂わせた理由」も。

 セルフレイティングしているとはいえ、カクヨムは誰にでも読めちゃいますからね。
 そーゆー事です❣️

 終わり。
 
 
 

6件のコメント

  • はい、大納得ですよ!
    物語前半に書かれていたことが、こんなふうに繋がっていたなんて。
    そして、駆け落ちしなかった理由は母性愛だったのですね。
    私はまだまだ読み取りが浅いです。
    Y .T さん、お忙しいのに丁寧にお返事してくださり本当にありがとうございました。
    今後の物語も楽しみです。
    質問されて喜ぶなんてY .T さんらしいですね。笑
  • あ、移動中お母さんだけが足の自由を許されていたり、服がよそいきだったりしていましたね。
    これらもそういう理由だったのですね。
    すごい。
  •  葉月さん、こんな長文で喜んでくれるか正直不安だったのですが、その様なコメントを貰えて嬉しいです。

     お母さんの服装については色恋などは関係なく、「よそ行き」という概念を知っているが故ですね。痩せ男にアレされた時、着替える時間くらいはもらえたのでしょう。
     足を縛られてなかったのはシンプルに「どーせ逃げねえだろ」とたかを括られていただけだったりします。

     そして、こういう描写は「作中で語るべきではない事」を隠す為のモノでもあるのですが、手法だけとったならば「そういう読み方をする人へのサービス」「作者としての遊び」だったりします。

     だから無理に読み取ろうと時間と労力を消費したりしなくても全然大丈夫ですよ。

     余裕があれば作品の背景を想像する、程度に留めておくのがスムーズに先へ進むコツですね。
  • 北川さまはそのように読んだのですね。

    私は「育ちの良さ」≒「お嬢様的な弱さ」と読んだので前項の表現で
    納得したわけで、「武家の娘」的な強さを持っている母であれば、
    ウォルフ一人でも生きていける教育を与えたと確信しているなら
    彼を遺して男たち諸共大打撃を与えて逝ったことでしょう。

    その死に方すらウォルフの糧となるように教育している前提が
    あるから、その子も強かなあり方を求めるという意味で。
  •  えーちゃん🤨
     一つの選択をとってみても上記した様々な要素が絡み合ってますので、色んな読み取りができますよね。

     僕は「描写」というモノはまさに、「絵」とか「イラスト」の「描き写す」と同じである様に感じます。

     イラストは言葉で説明をしてくれませんが、観ただけで色んな情報を「感じとる」事ができますよね。

     どこから光が当たっているのか。
     それによって視える奥行きはどんなもんなのか。
     どんな触感がしそうなのか。
     比べるモノがあれば大きさもわかったり。
     人物であれば体躯とか表情でどんな奴なのか想像できたり。
     何故そこにあるのか、とかも見えてきたりします。

     ところで話は変わるのですが、ちょいと面白い(僕がそう感じてる)お話を。

     例えばえーちゃん🤨のいう「武家の娘」的な強さを持つ人は、自らウォルフの前から姿を消すかもしれません。

     そして「子供に愛情を微塵も感じていない人」もやっぱり、自ら去る事でしょう。

     一章の最後にも別のカタチでチラッと出てくるのですが、「どんな理由や理屈があろうとも、物事にはシンプルに事実だけがある」——とは限りません。

     どういう視点から評価するかによって、事実は変わらずとも「真実」は結構真逆に行ったりします。

     僕が描写にこだわるのはソコなんすよねー。
  • @fts01さま
    コメントありがとうございます。
    はい、女は環境に求められた子育てをする順応性を持っているはずです。
    子どもが困ることのないように。
    母のイメージはひとつではありませんでした!
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