なんとなくシリーズ化しつつ、宣伝もしつつ、でもあまり効果ないなぁと思いつつ、そのまま突き進むノートの続きです。
今回で第五幕までの公開が終わりました。
物語は中盤、ここからさらにエンジンがかかってきます。
読んでくれている方にはとにかく感謝の気持ちを。そして期待を裏切らない作品になっていればいいなと思いつつです。
未読の方はぜひ、ぜひ読んでくれると嬉しいです。
さて。今回のテーマは喜劇と悲劇です。
第五章の推敲をしつつ、思ったことです。
喜劇、つまりコメディーって私的にはすごく大事なことだと思っているわけです。笑える話、楽しい話、笑いの中に潜むちょっとした真実みたいなもの。
私自身は結構ネガティブな性格ゆえに、コメディーにはすごく助けられるし、楽天的な考えを持つようにしたいなと思う原動力だったりするわけです。
で、悲劇。これはもう人生って、生きていくって、やっぱり大変だよなぁ、と日々思うわけです。身の回りには悲しいこと、思い通りにいかないことなんてたくさん転がってるわけです。
アトランティスのつまようじの中にはこの悲劇的な要素がたくさんエピソードとして放り込んであります。それでもこの物語はコメディーとして成立させたかったんですね。
今回推敲してて、そこに思い至ったわけです。
キャラクター達には様々な不幸が襲い掛かっています。それでも彼らはそこで躓(つまづ)くことはないんですね。これはたぶん自分の中の心情の投影なのでしょう。
生きていてつらいことはたくさんある、でもその感情だけに引きづられるとつらさばかりが降り積もってしまう。
だからこそ。彼らにはそんな不幸、不運を笑い飛ばしてほしいんですね。そう悲劇を吹き飛ばすのは『笑い』なんです。その笑いを生むための心の余裕、度量の広さ、人間としての器の大きさ、そんなものを託していたんですね。
まぁそんなもんだよ、と何事にも対して受け止める心の力、人を許すことのできる度量の大きさ、そんな矜持を持たせたいと思って作り上げたのが主人公の輝男だったんだな、と、推敲をして改めて思ったのでした。
逆に言えば悲劇があるからこそ、喜劇はより重厚になるのかもしれません。
人の痛みを知るからこそ優しい人になれる。
まぁこんなこと書いてると甘いこと言ってるな、なんて思うかもしれません、でもね、オレはそれでもみんなには笑って暮らしてほしいんですよ。知ってる人ばかりでなく知らない人みんなに笑って暮らしてほしい。
アトランティスのつまようじがそんな笑うきっかけになってくれればうれしいな、と思ったのでした。
ちょっとお酒が入ってるのでいいこと言ったかもしれません(笑)