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書く・読むの対象は自他のどちらも

このごろ、「カクヨム」の語源となったであろう、「書く」と「読む」への考えかたが少し変わりました。

「書く」は、自身のお話を書く、が主目的でした。
しかし今は、“誰かの物語を読んで想いをつづる”が同じくらいになっています。これまでは、応援コメントやレビューを書いても、自身のお話を「書いていない」→「なまけている」→「書く力が衰える」と考えていたのです。
想いをつづる場面では、想像をめぐらせ、言葉を選び、文章として組み立てる、と物語を書くのと何も変わらないな、と気づきました。そうして自分の物語を放っておくと、無理なく自然に書きたい気持ちがわいてきます。無理をしないのが一番ですね。

「読む」は、誰かの物語を読む、だけのものと思っていました。
ですが、わたしがカクヨムを始めたのは、「自分が一番読みたい物語を書けるのは、自分しかいない」の理由からです。そうであれば、自身のお話も立派な「読む」の対象ですね。推敲を目的としない「読む」時間を大切に、と。

慣れにより変化や感動は少なくなるものの、心を動かし続ければ、ささいな気づきが新しい発見をもたらしてくれますね。

4件のコメント

  • こんばんは。

    私も読む方ばかりで書いていないと、衰えてきそうで不安になります。ですが、そうやって見切り発車した結果、最後に失速してしまうということを繰り返しています(^^;)
    自分の書きたいことを見つけるまでは、他の方の作品を読んで感想やレビューを書くのも、勉強になるし、新たな気づきもあるんですよね。

    私も自分の作品を、泣きたい時に読んでいます。鬱展開からのハッピーエンドが多いので、泣いて笑って気分が晴れるという感じです。
    自分の作品の一番の読者は自分かもしれないと、最近は思います(^^)
  • おはようございます、海星さん。
    近況ノートへのメッセージをありがとうございます。

    「書く」を休むと、力はあっという間に錆びつく、と本で読みました。ですが、あせって変なクセがついてもいけませんよね。
    そんなときは、応援の「書く」がよいような気がします。おっしゃるとおり、得るものがありますので。
    (*'▽'*)

    海星さんはすでにご自身の作品を、推敲でなく読んでいらしたのですね。
    「一番の読者は自分かもしれない」はわたしも同感です。
    (//∇//)
  • 近況ノートへのお邪魔、失礼いたします。

    当方の拙作『蟲のささめく杜に』に星やレビューコメントをいただきありがとうございます。
    盛りあがりのない地味な話なので、どうかなあ、と思っていました。評価をいただけて少し安心しました。
    繰り返しになりますがありがとうございました。
  • こんばんは、烏目さん。
    お仕事はもちろん、執筆・書籍化とお忙しい中、いつもご丁寧にありがとうございます!
    (//∇//)

    淡々と忍び寄る、のホラーの定石がお上手でした。
    全四話に共通のつながりがあったのもよかったです。
    (๑˃̵ᴗ˂̵)

    む、虫は好きになれませんでしたが…。
    ^^;
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