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66位(歴史・時代・伝奇)

おはようございます。

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御老公 ミトコウモン――ミトミツクニの物語

66位 歴史・時代・伝奇 週間 です。有難うございます。

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わたしという「問題」――僕も自意識の始まりについて考えてみた2

投稿してあります。

今回は、何故僕の「自意識」が、過去のあの人のでもなく、未来のその人のでもなく、また隣にいるこの人のでもないのか、ということを考えました。
問い自体が分かりにくい可能性もあるのですが、伝わるでしょうか。
あの人にも僕にも「自意識」があると考えられる訳ですが、それでは何故、ここにある「自意識」が僕なのか。

結論としては、

 わたしがわたしなのは(わたしの「自意識」が、わたしなのは)、この時代のこの時間にこの場所でこの肉体で存在しているからである

 彼が彼なのは(彼の「自意識」が、彼なのは)、この時代のこの時間にその場所でその肉体で存在しているからである。

結論としては、こうなったのですが、よろしければお読みください。

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よろしくお願いいたします。

2件のコメント

  • デカルトの「我思う、故に我あり」の先をさらに掘り下げて考えてみた、という理解でよいのでしょうか。(併存しているはずの「我」の、それぞれにとっての唯一絶対性?)
  • こんにちは。

    デカルトの言葉について、深く考えたことはないのですが……。

    「併存しているはずの「我」の、それぞれにとっての唯一絶対性?」というのは、いい言い方かも知れません。

    コピーを考えたことがありました。僕の記憶等がAにコピーできたとしたら、Aに意識が誕生するかも知れない。しかし、Aの自意識は、僕ではないだろう、と。
    AはAで、僕とは異なるわたしをもっている訳ですね。
    そういう意味での、何故わたしはわたしなのか、です。
    別に、江戸時代に生まれた誰かが僕だったとしてもいい訳です、何故この時代のこの場所にあるのか。

    しかし、今回の僕の結論としては、

     わたしがわたしなのは(わたしの「自意識」が、わたしなのは)、この時代のこの時間にこの場所でこの肉体で存在しているからである

    ということで、コピーの例で言うと、直ぐ隣にいるとしても、その隣はもう、わたしとは違う時間・場所な訳ですから、異なるのは当たり前だろうとなります。

    僕の感触だと、「なぜ私は私なのか」というWikipediaの項にもある、この問題のたてかたが何か変なのではないかと……。

    それでは、また。
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