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世界の名著への興味

https://kakuyomu.jp/works/16818023213464205583

Listen Again(「音楽」)
最新作は「第58曲 ふりむけばヨコハマ(1989)」

よろしくお願いいたします。

さて、タイトルに関係する文章はここからです。
僕は、或る方の近況ノートでこうコメントしました。
《もともと僕は小説よりも、吉本隆明、江藤淳、そして大塚英志さんを結構読んでいました。福田和也さんの本は字面を追うのすら大変で挫折したことがあります(『江藤淳という人』)》
つまり、文藝評論家のものを読んでいました。

倫理学や哲学に隣接するものでいうと、思想書と呼ばれるものに興味をもってきました。「○○日本思想大系」(筑摩書房)、「世界の名著」(中央公論社)、それから「世界思想教養全集」(河出書房新社)の端本を読んできました。

僕は、いわゆるリベラルよりの見方を好む傾向があると思いますが、アジア主義に関する本を見ると読みたいなあと思います。

システムというかルールづくりが巧くなされればさえすれば世の中がよくなるとも思えていません。

近代というのは進化論の影響がとても強いので、どの主義も或る意味では「進歩」主義なんじゃないかなあとも思います。その反対があるとすれば、ニヒリズムと言えるでしょうか?

まあ、何かの主義者に成れるほどのIQもないし学力もないしというのが本当のところだと思います。

2件のコメント

  • システムもルールも「遵守する人」がいて初めて機能しますしね・・・
  • 無名の人 様

    システムを提案する側は、仕掛けを作れば人々は意図通りに動くだろう、と思っているのかも知れませんがそうはならないですよね。

    犯罪となる場合にはルールを破る人が確かに悪いのかも知れないですが、そうではない場合には意図通りに動かない人が悪いとは言えません。

    例えば、或る技術を持った人(資格保有者)を増やしたい。学校を増やそうとやってうまくいくとは限らなかったりするんじゃないでしょうか。……いや、これはテキトーに書いている例でして、政策的なことを念頭にしていることを言いたいのです。
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