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嬉しいコメント!

私がアップしているオリジナル曲、【時の彼方へ】
https://www.youtube.com/watch?v=UgbQlV7y1zI

これにとっても素敵なコメントを頂いたので、
ここにその全文を掲載して、感謝させて頂きたいと思います。
※Youtubeのコメント欄からでも見れます。

【言霊としての「日本の歌」】 この歌をはじめて聴いたのに、こころの底から、涙があふれてくるほど、なつかしく感じるのは、なぜだろう。単純なメロディに乗って、空、海、風、雨、雲、恋、が次から次へと歌われてゆくのだが、作者の感性は、それらこの宇宙を構成している自然の表象に対して、西洋的分析的思考で捉えるのではなく、あたかも縄文的感性をもって、それら自然の表象をただ「見る」ことにおいて、あるいは五感で「感じる」ことにおいて、自然の詩と言おうか、人の言葉以前の「自然からの歌」に、そのまま素直に身を委ねているのだ。

それが、ゆったりとした、心地良いリズムで「時の流れ」として進行してゆくのだ。 これぞ、本来の意味での「言霊(ことだま)」なのである。われらが日本語とは、宇宙の現象をそのまま「音」として取り入れ、そこに多重の意味を付加し、一語をもってして、大げさに言えば、宇宙を現していたのである。

例えば、「あめ」という音は、天の「あめ」でもあり、雨の「あめ」でもある。また例えば、「ち」という音によって、力=エネルギーの本体、血=生命エネルギー、地=大地のエルネギーなどなどであり、つまり、原初の日本語とは、玉を転がすように、次から次へと多重の意味が含まれてゆく言葉であったので、それを称して柿本人麻呂や山上憶良ら万葉人は「言霊」と表現したのである。それを漢字で表記してしまうと、その言霊としての繋がりが切れてしまい、バラバラの単語になってしまったのだ。

しかし、この歌のように、空は「そら」、海は「うみ」、風は「かぜ」、雨は「あめ」、雲は「くも」、恋は「こい」と言うように、ふたたび人の音声を通して発音されることによって、本来の言霊としての日本語が復活するのである。つまり、本来の日本語とは、一音一音が宇宙を構成している自然物を表し、それが様々な意味を含んで使用され、それを発声する人、聞く人に今なお、自然からのメッセージが琴線に触れ、共鳴して伝わってくるのである。それゆえ、この歌のように単純な歌でありながら、それを聞くことによって、宇宙の響きの中に吸い込まれるような感覚になり、はじめて聴いた歌なのに、なつかしさに心が癒されるのである。そして、生命の誕生、成長、衰退、そして死は、「時の流れ」として我々人間には感じられるようになっている。極論すれば、生命なきところには「時の流れ」は存在しないのだ。無限なる存在の宇宙の中に在って、有限の存在である「個々人」は、
生命あるものの必然として「時の流れ」を意識せざるを得ないようになっているのだ。

しかし、この歌の眼目は、そうした有限なる「時」を超えて、永遠なる「時」、つまり「時の彼方」への憧れを歌っているのだ。ここにおいて、有限微小なる存在としての「我」は、永遠無限なる存在の宇宙ないし永遠なる生命と合一される。

だから、我らが心は、空、海、風、雨、雲を見ることによって、大宇宙や永遠なる生命と一つになれるから、そこに真の癒し、安らぎが生まれてくるのだ。  それゆえ、この歌は、聞く人を大自然の中へと誘い込み、本来の古里へと帰ってゆくような、なつかしさを覚えさせてくれるのだ。

まさに宇宙を内包する言霊としての日本語が持つ歌の威力である。だから【日本の歌】と命名されているのだろう。これほど素直な、簡潔した詩句と調べで、広大無辺な宇宙と永遠なる時の存在を感じさせてくれる歌は、この饒舌化した散文だらけの現代日本の言語空間にあって、稀有な存在であり、万葉以来の日本人の感性を継承した見事な傑作の一つと言えよう。

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