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高校生の頃から笑うことで正しくない方法を生み出した。

高校生の時ぐらいから笑っていた方が楽かもしれない。
そう思ってしまった。
その方が暗かったり辛かったりする時に、お母さんみたいにみんな情緒が不安定になったり、心配されてしまうことを私はずっと怖かったから。
だから、みんなに優しくしてたし、笑顔を作ってた。
どんなに辛い出来事に直面しようとも私は私の気持ちを隠してた。
本当は歯を噛み締めるぐらい苦しくて辛かった。
だけど、お母さんは辛い自分や苦しい自分を見ると暗くなるから嫌だと言われてから、どんなに辛くても家族の前では明るく振る舞った。
それが、正しくないことだとしても私はそうすることでしか家族の前では自分をコントロール出来なかったから。

お母さんの情緒が不安定になることも、お母さんの地雷を踏むことも、お母さんの暴言が私とお父さんに向く時も全部、悲しい顔一つせずに頑張って今を生きてきた。
私はお母さんを好きにはなれない。
多分今後も好きという感情はないだろう。
私たちは本当に家族なのかな。

私の笑顔は本当に楽しい時とそうでない時と二面性があると思う。
その使い分けをしながら26年間生きてきたけど、もう無理かもしれない。
疲れてしまった。

お母さんの前で笑うのが少し怖いからだ。

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