地元の街で毎年11月に行われているマラソン大会のハーフの部で出場していました。私が唯一、大会と名の付くものに参加しているのがこのマラソン大会です。これまでに3回出場して、ベストタイムは2時間1分19秒です。
1km当たり6分を切るペースでハーフを走る、というのは、普段、1km7分のペースで10kmを走っている私にとって明らかなハイ(オーバー)ペースです。
しかし、それを可能にするのが “大会のなせる業” です。
千人以上の人たちがスタートを待つ。市長のピストルの合図で一斉に走り出す。競技場を半周して道路に出る場所で、地元のダンススクールに通っている小学生の女の子たちがダンスを披露して選手を送り出す。これを走りながら見るだけで泣きそうになってペースは5分台になってしまいます(笑)
道路に出てから鼻呼吸をキープするべく落ち着きを取り戻します。後続から次々に抜かれていっても気にせずに1km6分~6分30秒を守って走り続けます。
自慢できるくらいの水田だらけの農道にもかかわらず、近くの家から出てきたおばちゃん、おじちゃん、おじいさん、おばあさん、子どもたちなどの応援・歓声が背中を押してくれます。中には、赤い軍手をしてハイタッチで元気づけようとするおばちゃんや中学生たちが沿道に立っています。
給水ポイントでは、地元の有志の人がスポドリや水を入れた紙コップを並べてくれたり、コース後半のポイントでは、手作りの団子やチョコレートをふるまってくれたりする有志の方もいらっしゃいます。
三本の道路を往復するコースの中で、私の勝負所は、最後の往復8kmのコースです。往路の登りは息遣いが激しくならないように我慢して半ば脱力させた腕を速く振ります。復路の下りは、全ての縛りを解き放って追い風を背中に受けながらかっとびます。
競技場手前、名物の急坂の始まりの所に設置されたテントで「ゼッケン番号●●●●の△△△△さん、お誕生日おめでとうございます!ラスト頑張ってください!」と双眼鏡で一人一人のランナーをチェックしている有志の人がメガホンで応援をしてくれます。11月生まれの私の名前をそう呼んでくれるのです。最早、泣きながらも最後の力を振り絞って急坂を駆け上がります。
競技場に入ると、さらに応援の人の数が増え、拍手と歓声に包まれながら400mトラックを半周走ってゴールします。
ゴールをすると、地元の中学校の陸上部の子たちが花道を作って出迎えてくれて労いの言葉をいただきます。
そんな心温まる大会故に、この自己新記録が生まれます。
諸事情+コロナの影響で、残念ながらここ3年開催されていません。でも、いつか再び開催されることを願って、独りランを続けていこうと思っている橙であります。
最後に紹介する曲は、競技場に入って、ゴールを迎えるまでの半周を走りながら聴きたい曲です。
思い付き企画ながら11回までお付き合いただいた皆様、毎回、対バンライブのようにメタル曲で応戦してくださった九乃さん、どうもありがとうござました!
鳥山雄司「The Sound of Life」 (1996)
https://www.youtube.com/watch?v=Wg30x9R2yC8今シリーズでアップした曲はこちらで
RUNプレイリスト
https://www.youtube.com/watch?v=eEoXg6jTF4g&list=PL_Ji7CEaP_c5kLFPdp8oejWD55w0ldrs5&index=1