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近況に書いて良いものかどうか・・

悪い話ではないのです。

物語になりそうな話になるかも・・と思ってしまいます。
いや、ならないか。

今現在の私の心の世界・・といえば、大げさか。

最初に「宗教」
日本人は宗教というと拒否反応から入ると思います。
私だってそうです。
宗教という言葉に、これほど毛嫌いするように教育を受けたのでしょうね。

その教育は誰が考えたものなのか?
昔からあるかもしれないし、戦後の教育の中にあるのかもしれない。
ただ、うまくカムフラージュされていて、正確にその根源にたどりつけないようにされているのか、探らせないようにしているのか、それは不明です。
そして、そんなことは重要ではないのです。

人は、何かを信じなければ生きてはいけない生き物でしょう。
日本以外、特に一神教圏内では、信仰するものを持たない人種は疑われると聞きます。
だから、もし外国人にあなたの宗教は? と聞かれたら、仏教と答えるのが無難でしょう。

日本には宗教を意識しないレベルまで仏教に染まってますからね。
生活に入っているのです。
もったいないとか・・。

さて、そんな宗教ですが、以前にもどこかで書いたかもしれません。
私たちは神の存在を明確に信じてはいないでしょう。
まぁ、カクヨムに投稿されて異世界ものが好きな方とかは、漠然と想像の中にいるかもしれませんが。

これがキリスト教などの場合は、明確に超えられない一線を引いています。
「神」と「人」という風に、明確に分けられます。
この思考が基本となって、彼らは自分たちの文化を作り上げているのでしょう。
だから英語では、曖昧な表現が少ないと言われています。
男と女、白と黒、悪と正義・・などなど、いろいろあるでしょう。
でも、実際生きていると、何でも分けられないのは自明の理。
だからこそ、心理的な言葉にできない病魔が多いのかもしれません。
それゆえに、ドラッグなどに走る人が多いのも関係していると思っています。

日本は特殊な文化圏でしょうね。
何でも取り入れて、自分たちの都合の良い形に作り替える。
柔軟というか節操がないというか、まぁそれで良い面もあると思います。
ただ、民族的には戦前のように行き過ぎると止まれない面があるのでしょう。

そういった考えを元に、自分の生き方というのを考察している近況です。
ここからが本題になります。

人は何かを信じなければ生きていけない。
私の場合、最近感じたことですが、それは神という言葉ではないですが、近いものがあるように思います。
自分が超えられない何か=神と表現して良いのかもしれません。
それが外にはないのです。
自分の中に、それを見つけようとしている感じがします。
うまく言葉にできないですが、そんな感覚があるような気がします。

アメリカだったか、とある家庭の話。
両親が離婚して、母親について行った子供。
その母親は再婚し、今度はどこかへ行ってしまった。
残された子は、血のつながりなどないわけのわからない男のところでいる。
その男も、自分の子ではないので、どこかに行ってしまう。
子供はどうなるのか?
こういった生活環境があるそうです。
無茶苦茶ですね。
でも、この子供にはモデルになる大人がいない。
どうやって生きていくのか?
神を信仰するのかもしれない。
また、悪に染まっていくのかもしれない。

私も何かの話で記憶にあるだけで、こういった環境に生きている子が、自分の中に自分を支えてくれる何かを見つけるのだということだったと思います。
フト頭に浮かんだのは、「同行二人」
お遍路さんの言葉ですね。
1人で遍路を回っても、常に弘法大師がいる。
なるほどと思わされました。
自分の人生には、自分という切っても切り離せない味方がいる。
それをリアルに実感すると、どうなるのかわかりません。
危ない、戻ってこれない世界に行ってしまうかもしれない。
ただ、そういった曖昧な場所で、自分を感じながら、自分の答えを求めているのが、今の自分だなぁと、思った次第です。

近況報告でした。
長々とここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

2件のコメント

  • (`・ω・´)無宗教な割に葬式に宗教的要素が絡んでいるのも不思議ですよね
  • 股間スマッシャー道八段 オンボロ@猫 さんへ

    はい、日本は変なものです。
    だからこそ、クリスマス、ハロウィン、正月などが存在できるのでしょうね。
    そして、そもそも無宗教の無は、仏教言葉ですからね(笑)
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