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書き初め

短編をひとつ仕上げました。
前回のノートでご紹介したオンライン即売会「はろー、わーるど!」の企画内企画「短編お宝探し!」用に書き下ろしたものです。
その名の通り、会場に設置された短編を参加者に探してもらおうという企画になっています。

そういう企画なのでタイトルやあらすじは伏せますが、端的に言えばミミックやマルマインのような話ということになります。
「お宝発見! ラッキー!」と受かれる冒険者に牙を剥いて襲いかかってきるような内容です。

自分の出店の準備もあるので6000字くらいに収めようとしたんですが、その倍になってしまいました。
これからまたイベントのために1,2作書き下ろす予定なのですが、この話が一番長くなりそうです。
力の入れどころがおかしいですね。

とにかく、戸松秋茄子の最新作にして2021年最初の1作です。
3月6日はpictSQUAREの会場でぜひ探してみてください。

小説をちゃんと完成させるのは8ヶ月ぶりとかなんですけど、得るものが多い作品でした。

小説はやっぱり文体だなと。
文体さえ発見できれば勝ちなんじゃないかと。
「どう書くか」という問いは「何を書くか」ってとこに戻ってくるもので、どういう文体で書くかということは、何を書く文体なのかということだと思うのですよね。
筋を進めるだけではない、何か。
その何かを巻き込んでいくようにして転がっていくのが小説の醍醐味であろうなと思うのです。

ご存じの通り、わたしは無駄な要素は極力切り落としたいタイプです。
それがエスカレートしすぎて行き詰まり、長い話が書けなくなった。
筋を追うだけの文章はつまらない。
でも、何を書いていいのかわからない。
といった具合です。

書かないですませるための工夫はいろいろとしてきましたし、それが自分の持ち味だとも思うのですが、もっと融通を利かせてもいいのではないかとはずっと思っていて、文字数もそんな気にしなくていいかなと思いはじめているところではあります。
短くする方が時間かかりますしね。

よく、文章が下手になった、初期の方が上手かった、と痛感する機会があり、どうやって書いてたんだろうと分析してみるのですが、細々とした工夫は思い出せてもなかなか同じようには書けないのですよね。
饒舌な文章がイコール上手いということでもないのですが、饒舌でもすっきりまとまっててだれない、しまった文章が当時は書けていた気がするのです。
いまそれをやろうとすると、単なる回り道になる。
何が違うのかと。

で、この作品を書いてるときに気づいたのが、初期は文章の情報量を可能な限り増やそうとしていたということです。
いや、それは変わらぬモットーではあるのですけどアプローチが違うのですよね。
いまは削って削って、密度を上げる発想。
初期は盛って盛って、情報量そのものを増やす発想。
「どう書くか」「どう切るか」という発想を突き詰めるうちに、「何を書くか」の発想が希薄になっていたと気づいたんですよね。

キャラでも舞台設定でもいいんですけど、とにかくその世界のビジョンをいかに伝えるか。
解像度を上げてくか。
けっきょくそこだなと。
過去の真似じゃなく、いま自分が書きたいのは何かっていうのが重要なんだなと。

もちろん、プロットの段階では情報を削ぎ落としていく工夫も必要なのですが、執筆に入れば必ず予想した以上の何かが出てくるもので、そこは現場判断で柔軟に筆を進めるべきだなと。
そこからまた編集し直す。
ときには脚本にない台詞も出てくるし、場合によってはシーンを増やしたり切ったりもする。

その判断基準となるものが直感、心だなと。
心は強いです。
理屈でちまちま計算してたのでは一生たどりつけないような複雑な演算を一瞬でこなしてくれます。
情報量というならこれ以上のものはないでしょう。

そんなわけで、心を大事にしていきたいものです。

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