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インディーズゲームとは(哲学)

ちょっと本日はラノベと離れた話題を書こうかと思ってます。ただ、Web投稿小説とちょっと被るところもあるのかなと

ここ1~2年インディーズゲームが脚光を浴びるようになり、今や一般的なゲーム会社がインディーズグループにお金を出してゲームを制作、発売するような事になっているわけでして

昔はインディーズゲームと言えば「素人が少人数でつくって販売しているゲーム(同人ソフトをちょっとカッコ良く言った物)」であり、おそらくほとんどの人がそれをおもいうかべると思うのですが、こうなってくるとその定義もあまり当てはまらないようになってるのだろうと

といって自分は別に「インディーズゲームとはかくあるべき」みたいな定義を振りかざすインディーズ警察になりたいのではないですw


むしろ例えば「ゲーム業界でブイブイ言わせていた人が、業界を離れ自分の作りたいゲームを作り始め、それにゲームメーカーが出資して完成させる」みたいな流れも熱いと思ってるわけです

ただ、そんな流れで販売されたゲームが結局ゲーム業界にいた時代に作った物と何一つ変わらないのだとしたら、それはちょっとインディーズを名乗る意味があるのか、と問わざるを得ないのかなと

結局、インディースゲームが「単に市販と比べて値段が安いだけのもの」でしかないのか、否かの境目はそこにあるんだろうと思われます

詰まるところ「採算を必要以上にあまり考えず、作り手本意に作った物がインディーズ」なのかなと

そもそも、「通常より値段の安い作品を量産して儲ける」というやり方はゲーム業界で既にあった流れなわけで、その結果行き着いたのが「基本無料、課金(てかガチャ)で儲けるビジネスモデル」や「低基本料金でいろんなゲームやり放題ビジネスモデル」なわけです

そしてゲーム会社がさらに貪欲に利潤を突き詰めるあまり、市場にはブレイブフロンティアやFGOを原点とするデッキバトルものやリズムゲームなどのいくつかの類型にそった似たり寄ったりな作品が氾濫したと

プレイヤーが今インディーズゲームに手をだしているのはそういう背景もあると思うわけです。『市販のゲームは似たり寄ったりで、もう飽き飽きだ』と


もちろん会社なので利潤を求めるのは悪いことではなく、また(金を払っているのは少数でも)大多数の人間がダウンロードしてプレイしているわけで、そういったソシャゲーは大多数の支持を得ていると考えてもいいと思います

ただインディーズゲームは、そういった運営を回していくための量産体制から外れた、(食べ物に例えるなら)魚の粗やロールケーキの端っこみたいなものであり、それを通常と同じような流れにして出してしまえば結局歴史が繰り返され、せっかくゲームの多彩性を担保していた部分がなくなり、「なんだインディーズゲームってどれも似たり寄ったりだな」ということになりユーザが離れかねないと、心配したりしなかったり


ちなみに最近特に危険視しているのは「ゲーム業界人が貴方のゲームを診断します」とか「ゲームの作るノウハウを教えます」とかをゲームの出資に絡めて行う辺りですかね

もちろん、作り手が「市販ゲームを作るノウハウを教えて欲しい」と望んで受けるのは個人の自由だし、また教え方も「貴方が表現したいことをユーザーに理解してもらうにはこう作ればいいですよ」みたいな物であるのなら問題はないと思われます

ただ、「こう作れば多くのユーザーからジャブジャブお金を巻き上げることが出来る」みたいなノウハウを出資と絡めて行うのだとしたら、「ホントはこう作りたいけど、出資して貰うためには相手の言うとおりに作るしかない」となりかねないのではないかと思うわけです

もちろんこの流れも基本的に悪しき流れだとは思いませんが、この辺が進めば、結局「ゲームメーカが作った古い製法の酒をラベルだけ『インディーズ』と貼り替えて販売する」行為でしかなくなり。インディーズとしての面白みもなくなってしまう可能性があるなあ、それはイヤだなあ。というふうに思ったり思わなかったりするわけです

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