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KAC20227

「出会いと別れ」

 墨汁にあって、コーヒーにない。
 夜中にあって、シーツにない。
 賃金にあって、課税にない。
 渡し船にあって、赤の女王にない。
 弱いにあって、やつれるにない。


 では空欄に入るのはどちらだろうか?
 これは本当にあった物語だ。

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 こうなってくるとコーヒーではなく墨汁だな、というくらいに黒い飲み物を飲み下してなんとか目を覚ます。体力的に徹夜は難しくなってきたが、いかんせん仕事が忙しく、なんとか片付けるために夜中まで起きて、眠り込まないように机に突っ伏している。だからシーツは何日か前に整えて以来触っておらず、未だにピンと張っている。

「参った参った」と独りごちる。今日も仕事だ。まだ家から出ていないのに全然帰りたい。これはうつ病かなんかのサインなのだったか? 

 (だったら嫌だな)と少しだけ思う。

 賃金は大して高くない。にもかかわらず課税はされる。正直逆になってほしい。賃金があって、課税がない。これが理想なんだけどねえ。そんな益体もないことを思いながら、体と精神を引きずりながら家を出た。

 冬と春の境目はいつも嫌な気分だ。気温は少しずつ高くなるから、日中は雪が溶けて道路がぐだぼろになり、夜になるとそれが凍ってとりつくしまもなくなる。とにかく「人間が、歩く」ということを想定していない道と言える。

(こんなとこに住み続けているのは、ばかなんじゃないのかな)

 と、毎年のように思う。こんなに好きではない街に、生きる場所を決められるようになってもまだ住んで暮らしているのは、弱いせいなのか、それとも愚かなせいなのか。

(この街に愛着がある、とは思いたくないな)

 「同じ場所に留まるためには、全力で走り続けなければならない」。赤の女王の言葉だ。個人的には現実そのものの感じがする。全力で走って、なんとかここに留まっている。世界はものすごいスピードで加速する。もちろん、まるで渡し船に乗ったかのようにスイスイと先に進んでいく人もいるんだが、そうはなれないこと。それは良くわかっている。

(だから、弱い、の方なのかな)
体だけは頑丈で、こんな生活でもやつれたりはしないけれど、心はすり減るような気がする。

 この日だった。<<俺>>とあなたとの、[   ]の日は。

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理由も含めて解答せよ。

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