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読まれたい人たち

カクヨムのアクティブユーザーになって一月ほどたちますが、自主企画に群がる読まれたい人たちの多いこと多いこと。
自分の作品を誰も読んでくれないから、必ず読んでくれる企画者に甘えるのです。
醜い、そう思う人もいるでしょう。
実力がないから、そう言う人もいるでしょう。それはその通りです。優れていれば、誰かが見つけ広め、瞬く間に評価が来ますから。才能のない多くはそうではない。

でもね、自主企画の多くの企画内容に書いてある通り、読まれないのは当たり前なんですよ。

私たちはプロの作品に感銘を受け、小説を書くんです。アマのじゃないんです。
既存の作家を掘り尽くしたとか、予想外のアイディアが欲しいとか、掘り出し物の才能を見つけたいとかでない限り、カクヨムのアマの文にプロほどの魅力はありません。

余談ですが、私の最も好きな文は佐藤賢一の文です。文の美しさという観点において、セミプロ未満のアマの文は「部分的に優れる」ことすらあり得ないと思うのです。

漫画村の問題もありますが、根源的な快感を得るための小説で安かろう悪かろうなんてしたくないのです。

散々述べましたが、「読んでもらうため、読む」これが私の態度です。私も力のないアマの、さらに初級者なのだから。アプローチしなければ読まれるはずがない。

私たちは今のあり方を、それでも肯定せねばなりません。

1件のコメント

  • 「読んでもらうため、読む」
    大事ですよね。これ。
    インプット無くしてアウトプットはあり得ないです。国語の教科書でもいいから読みなさい、と言いたくなる作家がカクヨムには多すぎる気がいたします。小説の作法を一から十まで貫けとは言わないけどもう少し基本を学んだ方が良い方は多いですね。

    あと安易に感想を求める人が多いのも気になります。短編でもないのに一万字かそこらの小説の感想求めてどうするの?って思う事が度々ありますよ。
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